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【第一の人生】8の章:18歳妊娠出産そして家出

萬里は18歳で結婚して、
翌年の11月に男の子を出産しました。

周りは、大学進学や就職で
新しい生活を楽しんでいる中
子育てとは?なんか何も知らない中
手探り状態で、
ママ友と呼べる仲間もおらず
自分流での育児
毎日色々な面でとても不安定な生活でした。

子育て中は
爆睡、熟睡とは無縁
浅い睡眠の毎日

この頃
萬里は自分が見た夢が
生々しく現実であるかのように
覚えていることが多くなった。

私が見ていないところで
夫が何をしているのかとか、
外出先で
これから起こることを予知したりとか。

カラーだし、ニオイや感触もある。
そういうことがあっても
「夢見ただけよ、気のせいよ。」と言われ続け、育った萬里は
それが癖になっていたし、
実際、夢が現実になっても
嫌な思いをすることが多々だったので
夢のことなんかを気にして生活することはありませんでした。

ただ、目を覚ました時
夢だったのか?過去の記憶なのか?
曖昧な感覚なんだけど
毎回妙な『確信』があった事は覚えている。

でも、
この頃の萬里はこれが俗にいう
霊感などという感覚であること
の自覚などは全くありません。

実は昔から母が見る夢も現実になることが多かった。
それが良い夢なら
幸せな気分で楽天的に過ごせるけど、
起きた時点から嫌な気分になる夢は
やっぱり「気のせい、ただの夢」と思いたい。

これが予知夢だという認識も全くなかったし、
どちらかというと
そういう世界には家族揃って疎い方。

ところが、夫も周囲も
「萬里は知ってるはずのないことをなぜか知っている。」と
気持ち悪がられているって事もちらほら耳に入り始めた。

そして、
その夢を根拠にした問い詰めに対し
「夢で見ただけのことで疑うならまず証拠を見せろ!」と
毎回うんざりする返答。


(これはね、なぜかと言うと浮気してる内容を夢で見てしまうのよ・・・。)

このやりとりは
この頃から相手が変われどずっと続きます。

『知らぬが仏』とはよく言ったものだ、
知らなければ、気が付かなければ
幸せに過ごせる事もある。

この言葉を身を持って知った頃です。
この最初の旦那の異常さ人としての限界を超えた状況、
友達との付き合いもお金を持たされる事も制限されて
(詳しくは話せるレベルではありません)

さすがに愛想を尽かし
10歳も年上のこの旦那を人として超えたな。
と思いました。

息子が3歳になる頃クリスマスも近い冬に
後先、何も考えず家を出ました、
お金もなく、行き先も当てがない。

高校を卒業した時
結婚も出産自体も父から反対された。

でも、母と親戚のおばちゃん、女性陣は結束して子供を生めるよう守ってくれた。

子を守るため押し通した
結婚出産だったため
父の居る実家に帰るという選択は微塵もなかった。

実家に帰ることもできず、
息子を連れたまま
数少ない友達に協力してもらって

勇気を振り絞り
夜の仕事に就きました。

住まいを借りるために必要なものが
何一つなかったので
しばらくは働きながら
住所不定の、車中生活をしておりました。

子供にはすごく過酷な環境で寂しい思いをさせ
申し訳なく思いつつも、
知識、経験のなさゆえの選択、
ただ生きるために・・・。

この時、萬里は22歳。

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祈祷師/療術師:萬里
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