筆の滑り
「荘子」のテキストをできるだけ哲学的(議論が面白いよう)に解釈する試みです。テキストそのものを読むことを重視し、2次文献や他の解釈を議論することはあまりしません。原文は手に入りやすそうな岩波文庫版の読み下し文を使いますが、漢字を簡単なものに置き換えたりひらがなで置き換えたりします。付属の現代語訳は私と解釈が異なることが多いので使用しません。
AIに医療・教育・軍事・与信などの重大な意思決定を行わせることに対する強い忌避感があるが、それが合理的かどうかは検討する余地があると思う まずAIの方が精度が良い可能性がある。例えば素早く大量の情報を処理しなければならないトリアージや救急搬送などではAIに任せた方がよいかもしれない。なお機械に十分な精度があるとき(>80%くらい)に人間が関与するとかえって精度が低下することが知られているそう またAIの判断が公平かどうか懸念が持たれることがあるが、機械学習公平性の研究者で
本論では、言語は記号ではない、という主張を行う。そのため、ウィトゲンシュタインの哲学探究の冒頭部分の「考察」を再構成したアーギュメントを提示し、記号論とくにウンベルト・エーコの記号の理論を批判する。 アーギュメントは次の4つの部分からなる。 直感的な議論:常識的な直感に訴え、言語の働きが単なる記号作用ではないことを主張する。 系譜学的な議論:言語が記号である、という考えの起源にさかのぼり、それが根拠が無いことを示す。 直示的定義の議論:直示定義が意味を定められない、と
カンタン・メイヤスーはその著書「有限性の後で」[1]において、「相関主義」が近現代の哲学を覆っているとし、その批判として「祖先以前性の問題」(第1章)を提起した。メイヤスーは相関主義は科学を虚構主義的に解釈しているとする(前掲書, p.29)。本論では、メイヤスーの議論を、「祖先以前的言明」を虚構主義的に解釈する際の困難を指摘するものとして捉える。そしてこの困難とは、祖先以前的言明の時間的な「隔たり」(前掲書p.37)ではなく所与の「贈与」(前掲書p.40)が実現しない可能性
論理哲学論考において写像理論はその意味理論の中核をなすが、一見すると写像理論は単純な言語観の表明であるように思われる。つまり、世界の側に存在する事実を言語が命題として写しとり、事実の構成要素一つ一つに命題の構成要素が対応している、というわけだ。さらにこのような対応関係はあらかじめ措定されており、それがどのように可能になるかについてなんらの説明もないように見える。さらに言えば、後年の例えば青色本などの記述を思い起こして、命題が私秘的な媒体(精神)に存在する謎めいた存在であり、そ
ベンジャミン・クリッツァーさんの「21世紀の道徳」を読みました。具体的論点でも示唆に富む本だと思いますがこの本から「哲学の方法」と「ポピュラーサイエンスの意義」という点を論じたいと思います。 哲学の方法アカデミックな哲学は解釈自体が問題になるような哲学文献の解釈を延々と行ったり、細かい論点について色々な哲学者の見解を列挙した上で比較検討する、といったことを行いがちです。もちろんどちらも有益な点があり、例えばプラトンのような古典的な哲学文献はそれに繰り返し立ち返ることで新しい
何か(Twitterでよくみる例だとたとえば人文学やフェミニズムなど)が批判された時、それにも色々あって一枚岩の主張はないのでまとめて批判することは適切でない、という反論が行われる時があります。そして、こういった批判は差別意識や不当な攻撃の意図が含まれている、とほのめかされることがあります 悪魔の証明しかしこのような議論は悪魔の証明を求めていることになりかねません。全てに妥当する批判を考えることは難しいからです。さらに挙証責任を批判者に負わせています。一般的にいって、ある学
一般的に荘子は相対主義者であるとされますが、実際はもっと複雑な立場をとっているように思います。ここでは徐無鬼篇にある恵施との問答をとりあげて、荘子の相対主義についての考えを論じてみたいと思います。長くなりますが引用します。 「荘子曰く、射る者、あらかじめ期するにあらずしてあたる、これを善射といわば天下皆羿なり。可ならんかと。恵子曰く、可なりと。天下に公是あるにあらざるなり。しかしておのおのその是とするところを是とすれば、天下皆堯なり。可ならんかと。恵子曰く。可なりと。荘子曰
メタ倫理学でのフレーゲ・ギーチ問題とウィトゲンシュタインの「主体用法」の関係を考えます。 フレーゲ・ギーチ問題(メタ)倫理学の立場の一つとして、エイヤーが唱えた「情緒主義」というものがあります。これは、善悪に関する言明は語っている人の感情を表しているにすぎないというものです。例えば、「人を殺してはいけない」は「人を殺すなんて(怒)」という感情の発露に過ぎないんだ、という主張です。 フレーゲ・ギーチ問題は情緒主義への批判として提示された問題です。次のような推論を考えます。
モナドについてちょっとわかった気がしたので、モナドの話をします。 Monoidal Categoryまず Monoidal Categoryの話をします。日本語でなんていうんだ。 Monoidal CategoryはカテゴリーCでユニット Iというオブジェクトと⊗ : C×C→Cというbifunctorを持つものです。⊗は次の自然な同型を持たなくてはいけません。 ⊗が結合則を満たすこととIが単位元であることを言っています。また、次の図式が可換でなければなりません。 (
いつもわからなくなるので随伴関手の復習をします。 随伴関手:定義C, Dを圏、F: C → D、G: D → Cを関手とします。FがGの左随伴関手あるいはGがFの右随伴関手とは、まず という全単射があり、さらにこの全単射がXとYについて自然であることです。Xについて自然とは、 はそれぞれ圏CからSetへの関手ですが、上の全単射がこの二つの関手の自然変換になっていることです。同様にYについて自然とは はそれぞれ圏DからSetへの関手ですが、上の全単射がこの2つの関手の自
コロナもとりあえずは落ち着きつつあるようです。大阪府は段階的に自粛要請を解除しています。ここでは大阪府の基準となっている「大阪モデル」の問題点を考えます。 大阪モデルの問題点「大阪モデル」は具体的な数値目標に基づく行動計画を提示したことで高く評価されています。しかし、数値目標は適切なものを選ばないとかえって逆効果です。 大阪モデルでは4つの指標を用いて1)市中での感染拡大状況、2)新規陽性患者の発生状況・検査体制の逼迫状況、3)病床の逼迫状況を把握するものとされています。
数学に関心のある人なら、20世紀の初めに「数学基礎論論争」があったことをぼんやりとは聞いたことがあると思います。数学基礎論論争が結局どうなったかについて書きます。 数学基礎論論争とは19世紀を通じて数学は厳密化の道をたどってきました。たとえばフーリエ級数の収束については多くの誤った「証明」がなされ、最終的に「測度0上の除外点を除いて収束する」という条件にたどりついたのは20世紀になってからです。そして「測度」という概念を定式化するには集合論が不可欠です。 そこで集合論を厳
そろそろコロナも落ち着いてきた感じです。私がコロナ関係でやったことをまとめます。 新型コロナ感染モデル新型コロナの世界レベルの感染モデルを作りました。まだStanの使い方もまともに分かってなかった...仮定も間違っていたのでしょう、コロナの感染者は予測を軽々と超えていきました。 公衆衛生政策はCOVID-19を止めるのにどのくらい効果的か(日本版) データサイエンスによる日韓のコロナ対策比較 ピーター・ターチン「公衆衛生政策はCOVID-19を止めるのにどのくらい効果的か
振り返りまとめを書きました。まずそちらをご覧ください。 ベイジアンモデリングという手法を使って日本と韓国のコロナ対策の有効性を考えます。 SIRDモデルまず背景にある数学的モデルを説明します。理論的な話に興味のない方は飛ばしてください。 ベースになっているのはよく知られているSIRDモデル(susceptible, infected, recovered and death model)です。これはこのように考えます。S[t]を時点tで未感染の人の数、I[t]を今感染し
振り返りまとめを書きました。まずそちらをご覧ください ピーター・ターチン「公衆衛生政策はCOVID-19を止めるのにどのくらい効果的か」(2020年3月23日)で紹介されている手法をベースに日本のコロナ対策を評価します。 注意書き:使用している手法はごく単純なもので結果をすぐに真に受けるべきではありません。使っている理論やツールに関して私は初心者なので、間違いの指摘等はコメント欄等で歓迎します。またこれはあくまで個人的な活動です。所属機関とは関係ありません。 更新:20
深層学習を数学好きの人のためにできるだけ抽象的に解説します。 犬と猫を見分ける問題画像が犬か猫を見分ける問題を考えます。深層学習(機械学習一般)では、まず訓練データを用意します。訓練データとは、犬か猫の画像のサンプルとそれが犬か猫であるかを示すラベルからなります。画像は大きな次元の数値ベクトルx_i, i = 1, ..., nで表せます。それに犬ならばy_i=1, 猫ならばy_i=0という値が割り振られています。この時、次のようになる関数Fを を求めるたいです。もちろん