ベンジャミン・クリッツァーさんの「21世紀の道徳」を読んで

ベンジャミン・クリッツァーさんの「21世紀の道徳」を読みました。具体的論点でも示唆に富む本だと思いますがこの本から「哲学の方法」と「ポピュラーサイエンスの意義」という点を論じたいと思います。

哲学の方法

アカデミックな哲学は解釈自体が問題になるような哲学文献の解釈を延々と行ったり、細かい論点について色々な哲学者の見解を列挙した上で比較検討する、といったことを行いがちです。もちろんどちらも有益な点があり、例えばプラトンのような古典的な哲学文献はそれに繰り返し立ち返ることで新しいアイディアを得ることができますし、哲学的な問題を議論する以上これまでの哲学者の見解について検討することは必須となるでしょう。しかし、過度のこのようなことを行えば解釈のための解釈、議論のための議論に陥ってしまうように思います。
本書でもクリッツァー氏は他の哲学者の議論を紹介しながら論を進めています。しかし引用される哲学的議論は明快であれこれ解釈する余地の少ないものですし、過度にあれこれの学説を比較検討するよりも自らが寄って立つ学説及び批判の対象とする学説に絞って紹介することで、議論の全体の見通しが良くなりクリッツァー氏の主張が明確になっていると思います。アカデミックな哲学文献をあれこれ読んだ身としては洞窟の中から青空の下に出たかのような爽快感がありました。
私の観測範囲では本書は職業哲学者の話題にはあまりなっていないような気がして残念だと思っています(倫理学者でマルクス主義者の田上先生は私の見た唯一の例外)。

ポピュラーサイエンスの意義

本書では心理学や進化論に基づいた議論が展開されています。とはいえここで参照されるのは専門的な論文や最新の専門家の知見ではなくどちらと言えば専門家が一般向けに書いたもの、つまりどちらかというとポピュラーサイエンスに属するものです。
ポピュラーサイセンスによって科学を知ることには危険性があります。例えば説明をわかりやすくするために説明が正確でなかったり、著者の考え方に偏っていて専門家全体のコンセンサスが反映していなかったり、あと単純に内容が古い可能性があります(本になるには一定のタイムラグがあるので)。
とはいえ、ポピュラーサイエンスには一般読者にわかりやすいという利点があります。一般に学問分野間で知識が伝播するのにはかなり時間がかかるという印象があります。ある分野の知識を正確に身につけるには何年もの訓練が必要ですが、良質なポピュラーサイエンスを読むことである分野で行われている議論のエッセンスを比較的簡単に知ることができます。
私のような科学の専門家は得手してポピュラーサイエンスを馬鹿にしがちですが、一定の効用があることに気づく必要があると思いました。

まとめ

本書は個別論点も興味深いものが多く、特に紹介されているシンガーの議論は明快で魅力的に感じます。一方でピンカーの歴史的に戦争が減ってきた、といった議論はその後の実証研究でほぼ論駁されているらしく、注意が必要にも思います。この本を出発点に勉強を進めてみたいと思います。

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