Yori

「うちがわ」の家族の備忘録。

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「うちがわ」の家族の備忘録。

最近の記事

そういうことになりました

塀から生えてた女の子まだ銀杏も紅葉していない暖かい秋のある日、いつものように娘を塾に送って行く時に、小区の門の脇にある店の塀(トタン板をつなげただけのもの、多分違法)から猫の鳴き声が聞こえた。 かなり熟練の「猫おばさん」になってきたと自負している私は、反射的に「あらあらだあれ?」と声に出してあたりを見渡した。この辺りにも馴染みの外猫が何匹かいるので、お見送りをしてくれたのかと思ったからだ。 しかしそれにしては声がデカくて幼い。 今はすっかりご隠居様の雰囲気の黒チッチがまだ街の

    • よりのよりどりー杭州サバイバルライフ その11. いよいよ!

      今回の帰国は夫も一緒だったので大分安心できた。万一に備えて薄い毛布も持ち込んだ笑 実家に着くと、仏間が私仕様に模様替えしてあった。隅にあるテーブルの上にミシンを出してもらった。暇だったのでとにかく毎日ミシンを踏んだ。ベビードレス、布団カバー、スタイ…母が洋裁学校を出ているので手芸や洋裁は身近だった。子供ができたら手作りのものをプレゼントしたいと思っていたので、近所の生地屋に通ってあれこれ生地や小物を買ってはミシンを踏んだ。 そして毎日散歩に行って、1日3個グレープフルーツを食

      • よりのよりどりー杭州サバイバルライフその10. 太ってよかった!

        やっぱり日本にいればよかったー。 戻ったら戻ったでそう思う自分は何とワガママなんだろうか。テレビは相変わらず東京ラブストーリーとチャンドンゴンの韓国ドラマだったし、ポンポン船はうるさくて私はすぐに後悔した。しかも私のいない間に運河の向かい側にあった建物を取り壊して公園にする計画が進んでいて、一日中ものすごい音でコンクリを割る音まで加わっていた。朝5時から夜10時過ぎまで。気が狂う、と思った。幸いお腹の子は元気で、よく動いた。 ようやくつわりも終わり、食べられるものを好きな

        • よりのよりどりー杭州サバイバルライフその9.How To GET母子手帳

          母が連れて行ってくれた病院は、実家から一番近い総合病院だった。私が4歳の時に手術をしてからずっとお世話になっている古い病院で、米軍キャンプの真横にあって外壁は黒ずんでヒビだらけの迫力ある病院だった。4歳で入院した時は夜は怖くて怖くて、見回りにくる看護師さんが何より怖くて逃げ出したかったのを覚えている。点滴だらけで動けなかったけど… 久しぶりのその病院は一層古びて迫力を増していたけれど、産科の医師はとても優しく親切だった。私は中国の病院のカルテを見せながらいつどんな処置をして

        そういうことになりました

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          よりのよりどりー杭州サバイバルライフ その8.いざ一時帰国

          一時帰国の日は夫に上海まで送ってもらった。久しぶりの国際線。東方航空の成田便の座席はほぼ満席だった。私は前に席があるとお腹が苦しいだろうという夫の配慮で取られた最前列の窓側の席だったが、実際私がいちばん嫌いなのはその最前列の席なのだった。嫌いな理由はいくつかあって、離着陸時に向かい合わせに座るCAに気を遣ってしまう、機内で使う荷物を足元に置いておけない、遮るものがなくて寒い、というのが主なものだ。 このフライトの時もすごく寒くて、きっと機内でブランケットがもらえると思ってい

          よりのよりどりー杭州サバイバルライフ その8.いざ一時帰国

          よりのよりどりー2年ぶり2度目

          先週の金曜日、上海は2度目のロックダウンに入った。今回は昔話をお休みして現場の備忘録を書いておく。以前のもの同様今回も個人の感想です。 オリンピック後から感染拡大するだろうと噂されていたが、まさかの香港から入ってくるという形で広がった。今流行りのオミクロン。 武漢の時から考えても、市内でここまで感染が広がったことはなかったので、みんな少し混乱している。混乱しながらも指示に従っている感じ。 いつも通り陽性者が出るとその濃厚接触者はもちろん、濃厚接触者の濃厚接触者まで追跡し

          よりのよりどりー2年ぶり2度目

          よりのよりどりー杭州サバイバルライフその7.3ヶ月に一度の

          杭州に住み始めてからの数少ないお楽しみは、3ヶ月に一度の買い出しだった。夫と二人で上海まで買い出しに行くのだ。 今はガオティエと呼ばれる高速鉄道で1時間ほどで行けるけれど、距離にして約200km、東京ー名古屋間くらいあると言われている上海との間に、東京高速道路もガオティエもなかった。手段は1日一本だけある国内便に乗るか、1日2便だけある列車に乗るか、8時間かけて一般道を車で向かうかだ。 国内便は杭州発が夜便で上海発が朝便なので、2泊3日できないと利用できない。列車は2日前

          よりのよりどりー杭州サバイバルライフその7.3ヶ月に一度の

          よりのよりどりー杭州サバイバルライフその6.買い物のお作法

          10月の国慶節あたりに一時帰国する予定で夫と話がまとまった。 その歩を指折り数えながら、私は日常を送っていた。ここでの出産はないな…ということだけは割と初期の段階で決めていた。分娩台にもギャラリーがいたら?と思うだけで無理だった。そもそも産後の世話を頼める人もいないし夫は毎日仕事だ。切迫流産で絶対安静の日々を思い出したら、二度とあの孤独は味わいたくないと思った。二重国籍がもらえるわけでもないし。 里帰り出産したかったら、一時帰国中に病院を探して分娩予約?を取らないといけな

          よりのよりどりー杭州サバイバルライフその6.買い物のお作法

          よりのよりどりー杭州サバイバルライフその5.緑の野菜の隣には

          ※今回スプラッタ注意です。 翌日から元通りの生活になった。 毎朝夫を送り出すと最初の掃除、洗濯。この部屋はサッシ窓だけどパッキン?密封処理がされてないのか、窓を開けてもいないのに砂が入り込む。朝晩掃除機をかけてモップで拭き掃除するけれど、その度に集めた砂が盛り塩のようにこんもりする。それから市場へ行く。 アパートの目の前が市場で、当時のデパートやスーパーでは乾物と日用品しか売られていなかったから、生鮮食品を買うには毎日市場に行くしかなかった。野菜と肉を買う店は決めている

          よりのよりどりー杭州サバイバルライフその5.緑の野菜の隣には

          よりのよりどりー杭州サバイバルライフその4.水を2リットル

          特級先生の診察はいつも通り衆人環視の元で行われた。 「出血が止まったならもう大丈夫だろう。予定日などを調べたいからエコーを取るので、水飲んで」 は? チャンさんが売店で大きな水のボトルを買って一緒にエコー室までついてきてくれた。水、2リットルボトルなんですけど何に使うの…? 訝しんでいる私にチャンさんが「じゃあ、はいこれ飲んで」とボトルを渡してきた。 「水飲むの?これ全部?なんで?」びっくりして日本語が片言になった私にチャンさんは冷静に答えた。 「水飲んで膀胱膨ら

          よりのよりどりー杭州サバイバルライフその4.水を2リットル

          よりのよりどりー杭州サバイバルライフその3.注射は自分で

          夢の中で私はずっとお腹の赤ちゃんの心配をしている。このまま会えなかったらどうしようとずっとドキドキしていると、どこかから女の子の声で「今度は大丈夫、きっと会えるよ」と聞こえる。 少し特殊な疾患で空に帰ってしまった子供は、後から調べたら女の子のことが多いとあって、私は勝手にはじめての子を女の子だったと思っているんだけど、この時答えてくれたのもその子だと信じている。 「次生まれる時もお母さんの子になるって言ったけど今回は間に合わないから男の子に行ってもらうね!」と言われて目が

          よりのよりどりー杭州サバイバルライフその3.注射は自分で

          よりのよりどりー杭州サバイバルライフその2.安静の基準とは

          「自宅で安静」この意味を私は多分全然わかってなかった。後になってやっぱり色々飲み込んで入院すればよかったと何度も何度も思った。でもこの時はとにかく家に帰りたかった。婦人科の診察台(もちろんカーテンなし)にまで群がって医師の周りで覗き込みながらしたり顔で頷く女性の群れ。ドアのないトイレ。清潔とは言えない通路。目に入るもの全てが私に「ここは無理」と訴えてきていた。20代、初産、在住3ヶ月の私はまだ色々と捨て切れていなかった。 とにかくできるだけ動かなければいいだろうくらいに考え

          よりのよりどりー杭州サバイバルライフその2.安静の基準とは

          よりのよりどりー杭州サバイバルライフその1.ニックネームはリーベンレン

          約25年前。中国。浙江省の杭州という町の片隅の病院のトイレで私は苦悩していた。 トイレはもちろん今では懐かしいいわゆる「ニイハオトイレ」で、溝だけの便器、大事な部分「だけ」が隠れ、考える人ポーズの人々と待つ人々がご対面している。このトイレで私が課せられたミッションは「検査用の尿を取る」だ。 苦悩の時間は短かったと思う。夫の体調不良を機に夫が3年以上単身赴任していた杭州へやってきて3ヶ月。海外暮らしは初体験だったが、素敵な駐妻ライフを知らなかったため暮らしに慣らされるのも早

          よりのよりどりー杭州サバイバルライフその1.ニックネームはリーベンレン

          近ごろのわたしたちは

          2022年になった。コロナ禍と言われる状態に世の中がなってからもうすぐ2年が経とうとしている。 初めの混沌とした半年間が過ぎ、ロックダウンが明けた2019年の夏から、上海市内の市中感染者はずっと0だった。 公共交通機関、オフィスビルやモール、病院学校ではマスクの着用が義務付けられているが、基本ノーマスクが普通になっている。 大人数での会食にも制限はなく、国内旅行を楽しむ人も多い。 秋口から単発的に市中感染者が出るようになってきたが、陽性患者の行動記録をすぐトレースして公表し

          近ごろのわたしたちは

          そのときわたしたちは-その20

          夫と相談して、隔離中にお世話になった守衛たちにお礼をした。 守衛にするお礼といえば、タバコが一番だと私たちは思っている。彼らは大抵喫煙者だし、吸わなくてもタバコはお金のようにやり取りできるから。例えば夜勤を代わって欲しい時、2、3本のタバコを渡しながらお願いする光景は至る所で今でも見られる。 さっそく仕事を終えて帰宅した夫とタバコを買いに行った。うちの担当としてあれこれ動いてくれた守衛に1カートン。他の人には一箱ずつ。 うちの担当だった守衛は本当にいい人で、いつでも気分

          そのときわたしたちは-その20

          そのときわたしたちは-その19

          隔離中ずっと気になっていたことは、「一体いつ誰がどうやって私たちの隔離明けを教えてくれるのか?」だった。 毎日の検温の人も、ゴミ回収の人もみんな防護服姿で極力近づかず一言も話さず疾風のように現れては去っていく。聞きたくても聞けない。 2週間隔離の基準もはっきりとわからなかった。在住者の情報交換チャットでは、到着日を0日にカウントする説と1日目にカウントする説があり、到着時間が午前と午後でも違うとか、家に入った時間を見るとか特によって違うとかさまざまな憶測が飛び交っていた。

          そのときわたしたちは-その19