よりのよりどりー杭州サバイバルライフ その8.いざ一時帰国

一時帰国の日は夫に上海まで送ってもらった。久しぶりの国際線。東方航空の成田便の座席はほぼ満席だった。私は前に席があるとお腹が苦しいだろうという夫の配慮で取られた最前列の窓側の席だったが、実際私がいちばん嫌いなのはその最前列の席なのだった。嫌いな理由はいくつかあって、離着陸時に向かい合わせに座るCAに気を遣ってしまう、機内で使う荷物を足元に置いておけない、遮るものがなくて寒い、というのが主なものだ。

このフライトの時もすごく寒くて、きっと機内でブランケットがもらえると思っていた私は念のため持っていたバスタオルだけが防寒具だった。季節は真夏の8月で、薄手のカーディガンしか羽織っておらず、緊張もあってお腹が張り気味になったので、私はブランケットが欲しいとお願いした。

けれどもブランケットはすでに全て貸し出されてないという返事だった。私はひと座席に一枚確保されていると思っていたのでびっくりした。びっくりして思わず「あの私妊娠してるので」と口をついて出てしまった。CAさんはちょっと驚いた顔をしたけれど申し訳なさそうにすみません、と言った。

食事の後でトイレに立った時にブランケット消失の謎がわかった。あるご老人に冗談のようにブランケットが山積みになっていたから。どうやらとある宗教団体のご一行が同乗していたらしく、ご老人はとても偉い方らしかった。周りのご婦人方がブランケットをご老人にかけてはお祈りしていて、ご老人の上にブランケットの山ができているのだった。そして一人のご婦人がCAさんに「もっとブランケットはないの?〇〇様がお寒いと言ってらっしゃるの!」と言っていた。ご老人は微動だにせず座っていた。

ブランケット以外は問題なく飛行機は着陸した。ほぼ半年ぶりの日本。飛行機を降りると嗅ぎ慣れた日本の空港の匂いがしてほっとする。実家の最寄りまでリムジンバスに乗った。バス内が静かで驚きつつも安心する。私は窓の外を眺めながら、日本でやらなくては行けないことや買い物のことをあれこれ考えていた。

リムジンバスの駅まで迎えに来ていた両親は、私を見つけられなかったらしい。妊娠5ヶ月のふっくらした女性を探していたのに、私は発つ前より10kg近く痩せてお腹も全然目立たない疲れ果てたボサボサ髪の女だった。そういえば中国に行ってから一度も美容院に行ってなかったな、と思いながら、果たして杭州に美容室はあるのかしらと考えていた。

母は私を見ると泣き出した。あまりの変わりようが不憫になったらしかった。電話で何度かつわりが辛いことや切迫流産で安静のことは話していたけれど、おおむね元気にやってると思っていたそうだった。このところおおむね元気だと思っていた私はびっくりした。

「とりあえず明日早速病院に行って赤ちゃんを診てもらいましょう」と母が言った。もう母子共に危険ですと言われているかのように切羽詰まっていたので頷くしかなかった。久しぶりの実家は当たり前だけど何も変わってなくて、私が結婚してから拾われた犬がいつも通り私を忘れていてわんわん吠えた。雑然とした仏間で寝るのもなんだか嬉しかった。とりあえずここは日本で、好きなものが食べられる。肉も魚も綺麗にパックされていて、米に石は混じっていなくて誰も道路で用を足していなくて幸せだった。