よりのよりどりー杭州サバイバルライフその2.安静の基準とは

「自宅で安静」この意味を私は多分全然わかってなかった。後になってやっぱり色々飲み込んで入院すればよかったと何度も何度も思った。でもこの時はとにかく家に帰りたかった。婦人科の診察台(もちろんカーテンなし)にまで群がって医師の周りで覗き込みながらしたり顔で頷く女性の群れ。ドアのないトイレ。清潔とは言えない通路。目に入るもの全てが私に「ここは無理」と訴えてきていた。20代、初産、在住3ヶ月の私はまだ色々と捨て切れていなかった。

とにかくできるだけ動かなければいいだろうくらいに考えていた私は、朝夫の食事を用意し、軽く片付け、それからできるだけリビングのソファに横になって過ごした。ソファと言っても大家が用意した備え付けのそれはピカピカした木製で横に龍の彫り物がなされ、クッションは後付けの何故かファンシーな柄のせんべい座布団で要するに駅のベンチみたいなものだった。真夏とはいえひんやりする板の上に横になって、ひたすらTVを見ていた。もちろん日本語の番組はおろか英語の番組すら入らない。全ての番組は同じ女性の声で吹き替えられていて、それは映画やドラマだけでなくニュースも同様だった。だから本当に眺めていただけ、音を出していただけだ。

1日の唯一の楽しみは、毎晩10時から始まる韓国ドラマ劇場とそれに続く日本ドラマ劇場だった。どちらもずーっと同じドラマを繰り返し放送していたのを覚えている。韓国ドラマは、チャン・ドンゴンが弟役で兄にいつも酷い目に遭わされて泣いてばかりいるドラマ、日本ドラマは東京ラブストーリーだった。どちらも中国語の字幕が出たので、中国語のセリフが暗記できる勢いで観ていた気がする。

あとはひたすら香港台湾のMTVを流した。全部中国語の歌だったけれど、女性の吹き替えがないだけマシだったから。いつも番組の合間に流れていた子供向けのお風呂の歌❁今でも歌える。

そうやって充分自分では休んでいたつもりだったのに、出血は全然治らなかった。そして1週間が過ぎるある日の午後、今までにみたことのない出血の量を見て私は貧血を起こした。ショックだったんだと思う。またお別れになってしまうかもしれないという恐怖。でも中国語もできない私は一人で病院には行けない。チャンさんも勤務中だ。

どうしても心配でなんとか辞書を片手に夫に電話した。まだ携帯電話が普及していなくて、会社に電話して繋いでもらわないといけなかった。もちろん中国語で。

どうにか繋がって夫に現状を訴えた。「出血がひどくなったの。まただめかもしれない。怖い。病院に行きたい」

「俺今仕事だから」

電話は切れて、私はもう一度電話する気になれなかった。


夫曰くその後「猛ダッシュで仕事を終わらせ」「上司に事情を説明して」「車を借りて病院に行く許可をもらい」「チャンさんにも同行をお願いして」帰ってきたそうだ。時刻は6時半を回っていたけれど。終業は5時だったけれど。

とにかくチャンさんに隣に座ってもらって社用車で病院へ向かった。夫は助手席だ。私は今優しい助けの手が必要だから。

チャンさんに訴えた。「どうしよう、この子がダメだったらもうおかしくなっちゃう。どうしても助けたい」チャンさんは困ったような顔をして、でもずっと私の手を握ってくれていた。

病院に着くとすぐにストレッチャーに乗せられ、看護師に何か言われた。チャンさんは諸手続きをしに行ってくれていて、夫が話を聞いた。「うーん…」と渋い顔をしていたことを覚えている。それから「でもとにかく診て欲しい」と答えた。

連れて行かれた先は手術室だった。やってきた男性医師が「この子は弱い子だからもうやめてしまいましょう。次はきっと大丈夫」と笑顔で言われた。当時の中国は一人っ子政策だったので、一人しか持てない子が育てるのが大変そうならすぐやめて次行こう、というのが普通らしく、その場にいた中国人全員がそうそうその通りと頷いていた。

私は慌ててチャンさんに「私は外国人で、この子が弱くても助けて欲しい。手術はしないでと伝えて!」と訴えた。必死だった。何しろここは手術代の上で生殺与奪権は完全に医師の手の中にあるのだ。夫もさすがに声を荒らげて「なんとか助けてくれ」と訴えた。するとチャンさんが言った。

「特級の先生に診てもらう?」

当時の中国の病院は先生のランクによって診察料が異なっていて、有名で腕の良い先生は特級ランクで、普通の医師と診察料が一桁違った。チャンさんは特級の先生に診てもらったことなどないから、前回は自分と同じランクの先生で手配してくれたのだが、私の必死さを見てそう言ったんだと思う。それに特級の先生でもダメと言われたら、私が諦められるかもしれないし。

さらによくよく聞いたら手術をしようとした医師は内科の先生だった。初めに看護師は、「夜間診療の時間で内科の医師しかいないが診察を受けるか?」と聞いてきたのに、夫は「男性の医師しかいない」と聞き間違えたのだった。

内科の医師ではなく産婦人科の医師に診て欲しいとお願いしたら、翌朝再度来るようにと言われて診察が終わった。万一今夜中に出血がさらにひどくなったら諦めてくださいね、と送り出された。

帰りの車の中で、ずっと黙っていたドライバーが話し始めた。助手席の夫にずっと何か言っている。夫は黙って聞いていた。診察に結構時間がかかったので、私用で待たせるな、とか言われちゃってるのかしら?ちょっといい気味とか思っていると、ドライバーを援護するようにチャンさんまで夫に文句を言い出した。仕事終わりにこき使うな、って怒ってるんだろうか…?明日も病院に行かなくちゃいけないのにどうしよう…付き添いはお願いできないかな…黙って座ったままそんなことを考えていた。

帰宅すると夫が何を言われていたか教えてくれた。

ドライバーは、「奥さんが具合が悪いのにすぐに帰らず終業まで仕事をするなんてなんて酷い人だ」と怒ってくれていたらしい。しかも奥さんがあの病院で看護師として勤めているから、明日は最優先で特級の先生に診てもらえるように頼んできた。わざわざ外国に来てくれた奥さんをもっと大事にするべきだ。ご飯の支度一つできないなんて、よくそれで結婚できたもんだ」とお説教までしてくれていた。そのお説教にチャンさんもそうだそうだと相槌を打っていたわけだ。

当時中国では夫が家事をするのは当たり前で、特に食事作り全般ができないと婿の貰い手がないと言われるくらいだった。安静の妻に朝食を作らせるなんてもってのほかで、離婚されても仕方がないくらい酷い仕打ちだとみなされたのだ。

私がずっと不満に思っていたことを、なんと一度も言葉を交わしたことのない外国人のしかも男性が上司である夫に対して的確かつ率直に注意してくれたことに驚き、大変感謝した。男女平等に働くのが当たり前の中国では、育児なんてとんでもなく大変なものは祖父母夫婦お手伝いまで動員して手分けをし、保育園も活用するのが当たり前で、ドライバーは一人この地にやってきて言葉もままならない私を放って仕事に勤しむ夫が前々から気になっていたらしい。

まあこれは夫の労働環境が大きく影響していたのだけれど、それにしてももう少し夫が頑張って戦ってくれても良かったんではないかと今でも思っている。思っているのでことあるごとに未だに許せないこととして夫に伝え続けている。夫はもうやめてくれ、充分反省している、自分が悪かったと今では言ってくれるけれど、その謝罪を受け入れて許す気になるかどうかはやられた方が決めることなので、そういう気持ちになるまで思い出すたらずっと訴え続ける、それがあなたへの罰です、と言っている。


話が逸れてしまったが、そんなわけで私は一晩不安な時間を過ごした。眠りは浅く、ポンポン船のエンジン音がいつもよりガンガン響いてくる気がした。明け方ようやくウトウトした時に夢を見た。