よりのよりどりー杭州サバイバルライフ その11. いよいよ!

今回の帰国は夫も一緒だったので大分安心できた。万一に備えて薄い毛布も持ち込んだ笑
実家に着くと、仏間が私仕様に模様替えしてあった。隅にあるテーブルの上にミシンを出してもらった。暇だったのでとにかく毎日ミシンを踏んだ。ベビードレス、布団カバー、スタイ…母が洋裁学校を出ているので手芸や洋裁は身近だった。子供ができたら手作りのものをプレゼントしたいと思っていたので、近所の生地屋に通ってあれこれ生地や小物を買ってはミシンを踏んだ。
そして毎日散歩に行って、1日3個グレープフルーツを食べてた。文旦の代わりになったのがグレープフルーツだった。実家の近所の業務スーパーに連れて行ってもらって、箱でグレープフルーツを買った。その影響か、息子は今でもザボンや文旦に目がない。

2月で寒かったせいかお腹がよく張った。出産予定の病院のお医者様はとても良い方で、順調だからきっと元気な子が生まれるよ、と言ってくれた。あの注射を打った時からずっと不安だった気持ちがほぐれて安心できた。
臨月に入り、検診が毎週になって2回目の検診から帰るとまたお腹が張り出した。子宮口のチェックをしたせいかも、と思って早めに横になった。とても寒い日で、電気毛布を入れてもらっても体の芯が温まらない感じがした。電気を消して横になっても寝付けずゴロゴロしていたら、ぽん!とお腹がはじけたような感覚があって液体が流れ出てきた。
「破水した…」初めてのことなのにすぐにわかった。夜中の2時。まずはパッドを当てて着替え、準備してあった入院用カバンの中身をチェックし、病院でもらった入院準備の書類を確認した。病院に破水した旨を電話で伝えるとすぐにくるようにと指示があったので母を起こして病院に連れて行ってくれるように頼んだ。母の支度を待つ間、杭州の夫にFAX送った。破水したのでこれから病院に行きます。多分そのまま出産になると思う。

すぐに起きてくれた母は支度をしながら「全部自分で準備して行くだけにしてから起こすなんて…」とぼやいた。
病院に着くと一旦母には帰宅してもらい、一人で手続きを済ませて入院した。看護師さんに破水しているのでとりあえず朝まで様子を見てこのままお産に入るかまだ予定日まで2週間ちょっとあるのでできるだけお腹で持たせるかの判断を医師にしてもらうと言われた。安静にしないといけないのでトイレにも行かないように指示されて、ポータブルトイレがベッドの横に置かれた。

陣痛は微弱で、生理痛より少し軽いくらいだったので、私はそのままうとうとしながら朝を待った。病室は大部屋だったが半分くらい空いていて静かだった。
朝になると看護師さんがやってきて交代の時間なので次の方に状態をきちんと引き継ぎますと伝えにきてくれた。とても感じの良い方だったので、きっと次の看護師さんもそうだろうと思ってホッとした。運良く担当のお医者様がいらっしゃって、このまま出産することに決まった。陣痛が本格化するまでこのベッドで待機するように言われた。
外来が始まる時間になった頃、ひと組のご夫婦が病室にやってきた。出産前の見学に来たようで、年配の看護師さんが案内していた。私はカーテンを引いていたけれど看護師さんの声は大きくてよく通った。

こちらが待機室になります。皆お産を控えているのよ。お産は病気じゃありませんから、順調に進むように普段通りの行動をするの。トイレだって自分で言ってくださいね。あら…
この人はポータブルトイレなんて使って甘えた人ね。こんなことしてたら安産なんて無理ですからね。

その病室でポータブルトイレが置かれているのは私だけだった。

頭に来たけど安静にするように言われていたしその時私はNSTがつけられていて動けなかった。本当は大きな声で怒鳴りたかった。この病院はきちんと引き継ぎもしないんですか?私の状態を確認してないんですか?一人だったので付き添いに文句を言うこともできなかった。どうかあの人がお産に入りませんように、とそれだけを祈った。

午後になって仕事の合間に母が来てくれたけれど、特にすることもないので帰ってもらった。陣痛は徐々に強くなっていたけれど子宮口が開かず、子供は降りてきているのに7cmで止まったままだった。
さっきと違う看護師さんが内診して、これは辛いでしょう、もういきんでもいいくらいに降りてきてるのに開いてないんだもの、と言った。でも今2部屋ある分娩室が塞がってるの、一方は経産婦さんだから早く済むと思うので、空き次第移りましょう。

なんとまあせっかちな子だろう、お母さんはお腹が痛くて大変だよ、と思った。仕事を終えた母がもう一度来てくれた。2時間くらいで分娩室に移るのだが、その間待てずにナースセンター奥の長椅子で産んだ人がいたと後から聞いた。分娩室が空いてない時はそこに衝立をして即席の分娩室にするんだそうだ。ひえー!と思っていたけれど、2年後自分がそこで産む羽目になるとは思わなかった。

いよいよ分娩室に移ってもまだ子宮口が開かず、助産師さんが来て手伝ってくれるということになった。やってきた助産師さんはあの失礼な発言をした例の人だった…

イーヤー!!!!っと力の限り拒否したかったけれど分娩台の上で叫んでも聞き入れてもらえないだろうと諦めた。
その間にも件の看護師こと助産師はものすごい早口で私にの悪口を言いながら子宮口を開く手助けをしているのだった。腕がいいのがまた悔しい。

あーらまだ7cmなのに分娩台になんか上がっちゃって!初産の人は我慢がきかないからほーんと迷惑ですよね?センセ!え?降りてきてるんですか?あらまあ大変どうしてこんなことになるまで言わないのアナタ赤ちゃんが苦しがっててかわいそうよ全く最近の若いお母さんは自分のことばかり優先して赤ちゃんのことを考えてあげないんだからホント赤ちゃんがかわいそうねえ〜…

命を生み出す場で人を呪いたくなかったけど、呪った…こういう分娩時のハラスメントってなんていうんだろう…デリハラ?などと思いながら。
この助産師は何十年も勤めている超ベテランで誰も彼女を諌めることができないと後で分かった。若い看護士さんたちが嫌味を言われて涙目になってるのも何度か見かけたし、医師たちも全然彼女の言うことは流していた。腕だけは素晴らしく良かったのでやめさせられなかったようだが、長女を産む少し前に退職したと聞いてホッとした(退職したからもう大丈夫だよ〜と産科の医師から言われた(笑)

呪ったにも関わらず息子は無事に産まれてくれた。でも小さい。2300g。低体重児なのでとりあえずは保育器に入れて様子を見ることになった。母子同室が基本の病院で、一人でベッドに戻ることになった。
息子だったから薬の影響の心配も無くなった。4人部屋の病室は、付き添いの母親や旦那さんや上のお子さんがひっきりなしに出入りして雑然としていた。出産を見届けて母は父からの電話が入って帰宅したので、一人で入室して赤ん坊も来ず寝ているのは私だけだった。窓側のベッドだったのでカーテンを引いて外の景色を眺めて過ごした。幼い頃から何十年も当たり前にあった米軍基地の金網の向こうの景色を生まれて初めて見た。病室は隣の基地に向かって建っていたから。どこまでもずっと倉庫と空き地が広がる不思議な光景を見ながら私は眠りについた。久しぶりのうつ伏せで。