よりのよりどりー杭州サバイバルライフその7.3ヶ月に一度の

杭州に住み始めてからの数少ないお楽しみは、3ヶ月に一度の買い出しだった。夫と二人で上海まで買い出しに行くのだ。

今はガオティエと呼ばれる高速鉄道で1時間ほどで行けるけれど、距離にして約200km、東京ー名古屋間くらいあると言われている上海との間に、東京高速道路もガオティエもなかった。手段は1日一本だけある国内便に乗るか、1日2便だけある列車に乗るか、8時間かけて一般道を車で向かうかだ。

国内便は杭州発が夜便で上海発が朝便なので、2泊3日できないと利用できない。列車は2日前に駅までチケットを買いに行かないといけないが、インドの満員電車のような人混みの中で誰も並ばず力で前に押し切っていく方法で買わねばならず、しかも売り切れたらすぐ窓口が閉まるので相当の覚悟と体力がないと辛い。

息子が産まれるまでは金曜の夜に夫に早退してもらって国内便で上海まで行った。毎回違うホテルに泊まってみるのも楽しみの一つだった。上海のホテルは3つ星以上ならどこもそこそこ洗練されていて清潔で、明るくてオシャレだった。ロビーの明るい電灯の下に立つと、自分の服が薄いシミだらけで白い服はグレーに薄汚れているのがよくわかった。私たちは紛れもなく田舎者だった。

買い出しの1番の目的は日本の食材を買うことで2番目は綺麗に加工されてパックされた肉や魚を買うことだった。当時上海駅前にジャスコがあって、空港に着くやチェックインもせずにタクシーでジャスコに直行して全てのフロアを見て回ることも多かった。一階が生鮮食品や日用品、2階が服飾や生活雑貨だった気がする。トップバリュと日本語で書かれたトランクスを握りしめて本気で泣いたことがある。

市の外れに日本人街と呼ばれる場所があって、そこにも行った。日系スーパーで食料品を買い、ランドセルを背負って並んで登下校する日本人の子供たちをよく眺めた。当時上海には婦人会があって、買い出しの時の情報や友達作りがしたくて入会を申し出たけれど、上海在住者以外は入会できないと言われてがっくりしたこともあった。

安定期に入るまでその上海詣ができなかったので、一時帰国前に夫と久しぶりに買い出し旅行に行った。国内線で出かけて、空港近くの日系ホテルに滞在した。万一を考えて体調が悪くなった時に私一人でも日本語で対応してもらえるところがいいだろうということで。

そのホテルは日本式の深い浴槽があってトイレとシャワールームが別になっていることがウリだったので、久しぶりのお風呂も楽しみだった。当時の上海の水は茶色くてかすかに下水のような匂いがした。そのホテルは水道水をさらにホテル独自の浄水フィルター8層に通してきれいにしていると説明があったが、それでも浴槽に溜まる水は茶色かった。この水に浸かっていいものか悩んだけれど、浴槽で温まる誘惑には勝てなかった。

当時南京東路と空港の近くに友誼商店というお土産専門デパートがあって、今回は帰国用のお土産としてそこで買い物もした。昔も今も無難なお土産はお茶で、その時は日本でも人気だったパールクリームとかタイガーバーム(中国じゃないけど)を買ったと思う。帰りしなに別のホテルのグローサリーで美しくパックされた肉と柔らか感触のトイレットペーパーや小さいヘッドの歯ブラシや外国製の歯磨き粉などを買った。妊娠5ヶ月、もうすぐ一人で一時帰国する。