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たかが肩書き、されど肩書き。「ブランドデザイナー」になるまでの苦悩

私は、2018年10月、れもんらいふを辞めて6curryに専念することにした。
その決断をしてから、もう1年以上が経つ。

今では「6curryのブランドデザイナー」として誇りを持って仕事しているが、2019年は仕事の中で自分の存在意義がわからなくなって悩んでいた時間が多かった。今日はブランドデザイナーとして自信を持てるようになるまでの苦悩を、備忘録のためにありのまま綴ろうと思う。

6curryは、ただのカレー屋さんではない

6curryをやっていることを、ただ単に「カレー屋さん」をやっていると思っている人も多いかもしれない。私たちはただのカレー屋ではない=美味しいカレーをつくって食べてもらうことが目的ではない。
恵比寿と渋谷にあるコミュニティキッチン6curryKITCHENでは、

新しい生き方を選んだ人が、孤独にならない「サードコミュニティ」

をつくるために、コンセプト「EXPERIENCE THE MIX.」を掲げて運営している。そして実はコミュニティキッチン事業だけではなく、企業やブランドの(カレーを通じた)コミュニケーションプロデュース事業もやっているし、レトルトカレーを開発したり、今年は「食べるカレー」とは関係ないコラボグッズ事業も発展していく予定だ。なので私たちは、6curryをカレー屋さんではなく「カレーを通じて新しいコミュニケーションを生み出すブランド」と定義している。


ブランドデザイナーとは

私は、そのブランドを「より6curryらしくある」ために、そして「たくさんの人に届ける」ために、ブランドデザイナーとして従事している。

具体的にはどんなことをしているかというと…

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クリエイティブのクオリティ統一やモノのデザインなど、アートディレクター/デザイナーとしての仕事ももちろんあるけど、デザインの枠に当てはまらない仕事内容も多い。

私にとってブランドデザイナーとは、ブランドをよくするためにブランドをとりまくすべてのことをデザインする仕事だと認識している。

だがしかし、ブランドデザイナーとして定義し始めたのは2019年6月。それまでは、ずっと「アートディレクター/デザイナー」と名乗ってきた。
前置きが長くなってしまったけど…、6curryに専念してからブランドデザイナーに肩書きが変わるまでの経緯を時系列に振り返る。



パラレルワーカーだった日々

2015年の立ち上げから参画したNEWPEACEに片足残したまま、2017年4月〜1年半ほど兼業して関わらせてもらったれもんらいふ
かわいいデザインをしてみたくて、「れもんらいふ」で働きたい、と新平さんに相談したところ、私のデザインの成長に繋がるなら、と快く送り出してくれた。兼業した理由は、どちらか片方の環境にいるよりも、両方を同時に経験することでインプット的にもアウトプット的にもメリットがあると思ったからだ。この1年半はまさに、成長するための修行期間だった。

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私はれもんらいふで「アートディレクター / デザイナー」として、ドラマポスター、飲料広告のデザイン、上野パルコヤのオープニング広告、桑田佳祐さんのLIVE DVDジャケデザイン、オニツカタイガー新宿東店のオープニングパーティーデザイン、勝手にサザンDAY運営、千原さんのエッセイ本などなど、たくさんのプロジェクトを担当させていただいた。
NEWPEACEで経験したCI・BIデザインの仕事とは、考え方やつくる見た目も180度違う案件ばかり。アーティストのジャケや広告は、華やかでかわいくて、ずっと携わってみたい憧れの仕事だったから、その仕事に携わることができて毎日楽しかったし、学びも多かった。

でも途中で、兼業という働き方に限界を感じるようになった。

れもんらいふ週3・NEWPEACE週2の勤務は、3日連続・2日連続ではない。日数が連続だと、片方の仕事に間が空いてしまうため、交互に働くようにしていた。
自分ではコントロールできないスケジュールや仕事量の多さと毎日格闘していて、徹夜をして家に帰らずにそのまま別のオフィスに出社したり、ひどい時には一睡もできず三徹したこともあった。その結果、自分の身体を削り取られているような消費されている感が強くなり(完全に仕事のしすぎなんだけど)体調も崩すことが多くなった。


れもんらいふを辞めて6curryに専念した理由

では、「仕事のしすぎでれもんらいふを辞めた」のか?
というと、そうではない。

れもんらいふで、フォトグラファーやスタイリスト、プロップデザイナー、ヘアメイク、プロデューサーなど、色んなクリエイターと出会うことができた。みんなプロフェッショナルに、自信を持って仕事に取り組んでいる姿を見て、私はアートディレクター/デザイナーとして、どう生きていきたいのか / どうなりたいのかをよく考えるようになった。千原さんともたくさん話をして、たくさんアドバイスや問いをもらったことは本当に感謝している。

でも、「どうなりたいのか」の答えはその時の私には出せなかった。とあるアートディレクターのクリエイティブが大好きで憧れてはいるが、夢見がちな私でも自分はその人のようにはなれないことはわかっていた。

そこで気付かされたのは、「憧れ自分の適性は違うということだ。

この考え方が全てではないと思うが、少なくとも私はアートディレクターとして成功するには、強烈な個性があり、そしてその個性が必ず滲み出て、作品を光らせるものでないと生きていけないと思っている。他の誰にも真似できない、その人だからできる作品かどうか。大学生の頃、イラストレーターを諦めた理由もそれだった。

自分は個性を追求して尖ったアートディレクターを目指してこれからも仕事をしていくのか?と悩んでいる時、「勝手にサザンDAY」プロジェクトにメイン担当として携わった。

勝手にサザンDAYは、サザンオールスターズ大ファンの千原さんを筆頭に、サザンファンのアーティストがサザンファンのためにサザンの曲を歌うというフェス。代々木公園で入場無料(チケット制じゃないから当日どのくらい人が来るか全く予想できなかった…)で行われ、プロジェクトメンバーの仕事内容は、アーティストへの出演依頼からフェスの構成決め、資金集め、会場手配、グッズ作成、メディア対応、当日運営など多岐に渡る。

台風の時期にもかかわらずこの日は快晴に恵まれ、4000〜5000人の観客が集まりサザンの曲に包まれ会場は大盛り上がり、結果イベントは大成功に終わった。

実はこの案件では、唯一デザイン仕事をほとんどしなかった。というより、キャパ的にできなかった。(れもんらいふの他のメンバーが担当してくれた)
私の仕事は、打ち合わせ仕切りや、アーティストのブッキングやマネージャーとのメール対応、会場構成などディレクター的な役割だった。
「デザイナーならデザインできるのは当たり前。それ以外に何の強みがあるのかが大事」というようなnoteを以前書いたが、この案件を経て、私はデザイナーだけど、人を巻き込んで、アイデアを出し、情報を整理したり、プロジェクトを前に進めることもデザイナーの中では得意かも…?と気づかされた。

今までチャンスがきたらとりあえずその波に乗ってみる、気になったらどっちもやってみるというような人生を歩んできた私にとって、自分で片方の道をぶった切って新しい道を歩む決断をするのはつらかった

でも、れもんらいふと出会ったことで、アートディレクター / デザイナーとして「デザインの軸」で成長するよりも、自分の得意な特性を仕事に活かしてみたい、その結果どんな自分になれるのか想像できないけど、その方が面白そう!と思うことができた。このプロジェクトがきっかけで、6curryというブランドを育てて大きくしていこうと決意した。


苦悩の時期


れもんらいふを辞めて6curryに専念したのは2018年10月、まだ6curryKITCHEN恵比寿をオープンして1ヶ月も経っていない頃。

日本ではいち早くゴーストレストランとしてUberEatsでカップカレーを販売していたことで、メディアで話題になることも多く、2018年12月には林先生の初耳学・がっちりマンデーとTVに取り上げられた。6curryKITCHENは会員制だからお店に来ることができないよね、じゃあTVを観た人がカレーを食べれるようにと、原宿の交差点でPOPUPを開催したりもした。(2日間寒空の下カップカレーを販売…😂)

メインの事業である「会員制コミュニティ」ではなく「ちょっと変わったメニューを出してるカレー屋」としてカップカレーやスイーツカレーがメディアに取り上げられていることは、私たちが意図していることではなかったけれど、ただただ多くの人に知ってもらえることが嬉しかった。

2019年3月、ようやく会員が100名を突破した。会員になりたいとSNSに投稿する人も増え始め、そこから6月に200名突破、7月に300名突破と急激に増えていき、毎日満席以上の空間で交流する会員さんたちを間近で見て、コミュニティとしての成長も身をもって感じていた。

先に挙げた通り、私の仕事内容はデザイン以外にも色々あるのだが、友人にも店で会う会員さんでも、6curryでのアートディレクターの仕事を説明するのは難しかった。誰にでもわかりやすいように、「ロゴデザインとかイベントの時のチラシをつくってるよ」と説明するようにしていたら、会員さんも、私のことを他の会員さんに紹介するときに、そう紹介してくれていた。

簡単だからそう説明していたのに、それがきっかけで毎日もやもやしていた。

① 過去に作ったもので語られている自分ダサい。
日々6curryの未来のことを考えたり運営をしているのに、「ロゴデザイン」という過去の産物で語られている。
② 実績が更新されないのがつらい。
まわりのアートディレクターとして活動している友人の作品が更新されるのをSNSで見て、自分は1つのブランドの中で細かいクリエイティブをつくっているからわざわざ実績としてSNSで投稿できるようなものじゃない。
③ 辞めたことが正解なのか…?
半年経って、私がれもんらいふを辞めてなかったら担当するはずだったプロジェクトがローンチされた。それがとっても素敵で、もし自分が担当していたらこんなに素敵なものは作れなかっただろうな…辞めてなかったらもっと成長できてたんだろうか…

おもに自信がなくなった理由は上記3点だと思う。
6curryではその時見た目のデザイン的な仕事の割合が2〜3割だったこともあり、SNSで流れてくる「素敵な投稿たち」に段々焦りを感じるようになり、6curryの中で自分の存在意義はあるのか?価値を発揮しているのかどうか分からなくなった。


肩書きの変化による気持ちの変化

今思えば、最初の1年間は6curryにとって「コミュニティを作るフェーズ」で「ブランドを育てるフェーズ」ではなかった。事業の立ち上げを経験して、ゴーストレストランからコミュニティへ転換し、6curryのチームメンバーもみんなそれぞれ役割が変わっていた。事業フェーズによって、必要な役割も変わってくるけれど、立ち上げフェーズからずっと同じ役割でメンバーみんなで協力しながらなんとかやってきた。個人noteなので個人的につらかったことばかり書いているけど、誰もがやったことないことだらけで、みんな別のつらい思いをしていたはず…。

2019年6月、6curryメンバー全員で初めてロングミーティングを開いた。この日、新平さんからチームメンバーみんなの肩書き任命式を行った。

この日を堺に、私は「ブランドデザイナー」になった。

実は新平さんには、前々から肩書きについて相談していた。デザイナーという枠だけでは収まらない仕事をしているから、新平さんの「ビジョンアーキテクト」のように、新しい肩書きをつけたい!と思っていたからだ。

ブランドディレクターではなくブランドデザイナーなのは、「デザイナー」の文字があることで、デザインもするし、過去デザイナーだった知見を生かしてブランドを作っていくということを表明しているのだ。

デザインワークはもとより、ブランドを作っていく、ちゃんとデザインしていく。(広義の意味で)

これまでと仕事内容は変わらないのに、肩書きが変わり自分で自分の仕事を認めれるようになることで、自分の価値を再確認できたし、自信にも繋がった。肩書きは人に名乗るためのものだと思っていたけれど、自分の仕事に対する役割の捉え方・存在意義にもなるんだと。

たかが肩書き、されど肩書き。


私の役割を胸に、2020年は6curryブランドを育てていきます。


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最後まで読んでくれた方ありがとうございます。苦悩を綴るだけで5000字を超えてしまったので、2020年の抱負はまた今度…!


6curryのもりゆかが数字丸出しのエモnoteを書いたのでまだ見てない方はぜひ読んでね👇


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