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すきま宇宙

何でもない瞬間にこそ、何でもあるのだなと思う。

日々6時間の稽古。自分が気づいてなくても、想像以上に気を張っているし、集中している。
社会を生きる多くのひとが定時で働いたりしてる中、たった6時間好きなことをしているであろうにと言われてしまうかもしれないけど、とても疲れる。

稽古オフ。外に出る気力がなかった。
寒いし、変な病気をもらったら困るし、とても眠い。

それでもただ寝ているだけでは生産性がないので、トレーニングをする。そして鶏肉を食べる。相変わらず食事スピードをゆっくりにしているおかげかお腹いっぱいになるまでの時間が徐々に早まりつつある。

そしてNetflixを見る。
今まで本当に映画やらドラマなんて見なかったのに、完全に習慣化している。
毎回何を見たらいいのか迷うので、ひとがお勧めしてくれた作品をなんとなくの気分で選ぶ。

今回はラジオの相方に勧められた「セックス・エデュケーション」を選んだ。
母親がセックスセラピストで思春期真っ只中なチェリーボーイが、学校の性事情を改善すべく自分自身もセラピストになってしまう話。

まだ見ている途中なので内容説明が上手くいってない気はするが、面白い。(Netflixの翻訳だけちょっと残念だけど)

相方がぼくにこの作品を勧めた理由が分かった。
主人公のチェリーボーイにものすごく共感する。親との距離感、女性との距離感、性的事象への距離感。日本版を作るならぼくが主役だ。

でも主人公への共感だけで見続けているわけではなくて、なんでもないシーンがとても素敵なのだ。

中絶手術を待つ女性3人がただ手を握るシーン。その3人の女性たちは深い関係性を持っているわけでもない。ただ病院で居合わせただけ。
別に深刻なシーンに描いているわけでもない。ライトに描いているわけでもない。ただリアルに、ただそこにいて、手を握っているだけ。
でもその瞬間に色んなものが“詰まっていく”のを感じた。

作品が残している余地というか、視聴者がそのシーンに勝手に何かを埋めていく感じ。
なんだか、しばらく脳裏に残りそうな光景だった。

よしお、頑張らない。もっと小さな世界。もっと個人的な話。

演出家の鄭義信さんにぼくが言われ続けたことば。なんだか、ふっと頭によぎった。

オフ明けの稽古、頑張らないことを頑張れそうな気がしている。
でも何でもないシーンだからこそ、何でもあるシーンにするのが俳優の仕事ですから、頑張らないことを頑張りながら、頑張ります。

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