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毒消し雑誌

最近、本を読むときに“章”ごとで読んでいくことが多い。
分かりやすい区切りだし、「もうちょっと読みたい」というところで止めておいた方が再び本と向き合うときにワクワクする。

小説となるとそうもいかないことがあるかもしれないが、最近読んでいるのがエッセイとか自己啓発本的なものが多いので、一気に読むよりも自分の身に染み込んでくる感じがする。

しかも“章”ごとで読んでいくと、自分の置かれている状況に対して響くことばが偶然散りばめられていることが多い。
もちろんそもそもの話、今の自分が欲していて読んでいる本なのだから響くことばはたくさんあるはずなのだけど、それでも日々の状態が変わる中で本から得られることも変わるというのは、読書に対するモチベーションが高い位置で維持できる気がする。

でも、どうにも満足な読書体験が出来ない日もある。

先日、次の舞台作品のポスター撮影があった。
都内某所のスタジオに約束の時間の30分前に到着する。
でも30分前にスタジオ入りしてしまうのは他の方の迷惑になりかねないので、5分前になるまで近くの公園で時間を潰す。
その段階ですでに結構緊張している。

5分前になったのでスタジオに入る。
スタジオには初めてお会いする方やら華やかなスターの方やら、日常では体験できないような緊張感のバリューセットみたいな空気が漂っている。

自意識過剰でしかないのだけど、場違い感がすごくてあたふたしてしまう。

あたふたしていると優しいスタッフの方が

「座ってお待ちください」

と声をかけてくれて、待合室的なところのイスに案内してくれた。

緊張感は多少解けるのだけど、それでも手持ち無沙汰感がすごい。

ということで、本を読み始める。
本の内容に感化されたいとかではなく、緊張を解くために本を読み始める。
(写真を撮っていただくのだから、そりゃ撮られる前に緊張をなくしておきたい)

でも本を読んでいても、意識は全く本に向かず、外側と自意識に強く挟まれているみたいな状態になる。

そのとき、初対面の共演者の方が入ってこられる。
当然、ひととして最低限のご挨拶はさせていただく。
でも気の利いた話ができない。その感じを隠したくて、再び読書姿勢に戻る。あたかも“今、本が良いところなんです感”を出しながら。

普段は“章”ごとに、大切に読んでいる本。
そのページが自分の緊張をごまかすために消費されていく。とても居た堪れない。

なんだか本を読んでいても、緊張で何も得られていないことが悲しくなって、本を閉じた。
本を閉じて、今度はスマホでごまかそうとしたところで名前を呼ばれた。

雰囲気的には歯医者の待合室みたいな感じだった気がする。

家に帰ってきて、無駄に消費してしまったページが悔しくて、もう一度読み直す。
しかしもうダメだった。ページに新鮮さが失われているのか、ページに緊張感が移ってしまっているのか、あまり良い読書体験にはならなかった。

歯医者や美容室に置かれている何でもない雑誌。
あれの意味が分かった気がする。

何事にも緊張は毒だ。
毒消し用のなんでもない雑誌、持ち歩こうかしら。

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