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空港の地で足を。

久しぶりに空港に来ることができた。1ヶ月ぶりくらいだろうか。
1ヶ月も開くと空港の様子も少し変わっている。

夏の終わりくらいから秋口にかけては社会の情勢もあって全然ひとがいなかった。チェックインカウンターに特別な事情を抱えて海外に向かうようなひと達がちょっといるくらい。

公演が終わって来てみると特別な事情を抱えているというよりも、もう少しラフな出国をしているひと達が目につくようになる。
子ども連れが多くなっているのが顕著な変化なのだと思う。

それでも街中にあるカフェと比べたら、圧倒的に空港の方が広いし、他者との適度な距離を図らずも取ることができるので、精神衛生にとても良い。

空港に来る目的はもちろん作業を進めるためなのだけど、作業に本腰を入れる前にふっと物思いにふける時間が訪れる。
舞台の本番前に色々な思考が湧き上がってきてしまうように、日常でも普通に思考が湧き上がってくる瞬間はあるのだなと実感している。

そしてその思考をシャットアウトする方法も同じだった。具体的に周りのモノを見るだけ。

まあ本番前と違うのはその思考を垂れ流しにしてても、日常生活にさほど影響がないということだ。

今、頻繁に起こる思考は

【不得意なことを目の前にしたときにどうしても焦りを感じてしまって、余計な一手を打とうとしてしまう】

というものだ。

今までもぼくはこの思考に悩まされ続けてきた。

焦っていることを自分でも認識していて、余計な一手を打ってしまいそうなことも分かっているのに

「何をくよくよ悩んでるんだ」
「男だろ」
「決断しろ」
「やれ」

という非常に時代錯誤なことば達が脳内に踊り出して、勢いで物事を進めて失敗する。
それが典型的なぼくの失敗パターンだ。

だから思考をシャットアウトする方法を会得できて良かったのかもしれない。

行動を起こさなければ、世界は変わらない。
そんなことを思いながらぼくは生きてきた。

でも今は「何を思い上がってるんだ」という気持ちもある。

ぼくが行動を起こさなくたって、世界は変わっている。
ぼくが今ここにいるだけで、世界は変わる。

世界の変化をぼくがどう見て、それに対して何を思うか、あるいは何も思わないか。それで充分なのだと思う。

ぼくは何もしてないのに、1ヶ月のうちに空港の空気が変わった。
その変化をぼくは受け取った。

なんか、ちょっと、地に足がついてきたんじゃないの、自分よ。

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