見出し画像

自分のことのように

BiSHが解散するらしい。

ぼくはその情報を知って「ああ、マジか」って思うくらいだった。
BiSHの曲を聴き始めたのも今年5月くらいからだし、BiSHファンの総称【清掃員】と自分で名乗るほどのファンでもないという自覚がある。

高校から大学時代のぼくはラーメン二郎好きの総称【ジロリアン】を自称できていたので、それと比べると熱は低い。

でもトレーニングをするときにかける曲の1stチョイスはBiSHのプレイリストであることが多いし、BiSHのライブ『REBOOT』で最初に歌われた「LETTERS」という曲のパフォーマンスを見て、何度も涙を流している。

そして解散をファンに伝える7分の動画を見ても、ちゃんと涙を流した。

こうして書き出していくと、案外ちゃんとファンの動き方をしている気はする。

それに加えてぼくはBiSHメンバー、アユニ・Dのソロバンド活動【PEDRO】にちゃんとハマっていた。
なんならBiSHに少し飽きを感じはじめた頃にぼくはPEDROの曲ばかり聴いていた。

しかしアユニ・DがBiSH解散まではBiSHの活動に専念するためにPEDROは無期限活動休止になってしまった。

そしてPEDRO活動休止のことをおそらく綴ったのであろう曲「さすらひ」のMVを見て、ぼくはちゃんと泣いた。

でもぼくは一度もライブを観にいったことがない。BiSHもPEDROも。
PEDROのラストライブのチケットを取るかものすごく迷った。でも最終的には行かなかった。

ぼくの中では、これだけのファンムーブを見せているのに

「熱心なファンかって聞かれるとねえ」

という意味のわからない理由で一線を引いているのだ。

先日、Perfumeのライブを友人の好意で見せてもらった。
生のパフォーマンスはやっぱり良かった。

きっと映像で見るよりも、ぼくも含めた観客側の集中力や主体性が違うのだと思う。

演劇も同じく生のパフォーマンスではあるのだけど、ちょっと違う気がしている。

ここからはぼくの主観だし、難しいところだなと思うのだけど、ぼく自身が演劇を観に行くとき、客席で開幕した瞬間から主体的にいられるかと聞かれると疑問符がつく。

どちらかというと若干引いた目で見ているというか、舞台と客席のラインを感じながら開幕して、良い作品だと気づけば主体的になっている、引き込まれている感じがある。

音楽ライブと舞台公演の違い。
多分、ぼくは最初から主体的になれる音楽ライブの方が好き。
だから俳優として、主体的になれる舞台上に立っているのだと思う。

だったらBiSHのライブ、見に行っちゃえよっていう話ですよね。
主体的になるって結構覚悟がいるのよね、多分。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?