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真人間(爺婆)の特性・・・・ 爺婆はエベレストを目指す

いわゆる老年(爺婆)というのは、人間固有の期間であり、人間が人間たる真に人間として生きる期間だ。だから爺婆とは真人間のことだ、という記事を書いた。

では、真人間(シンニンゲン、爺婆。以後爺婆と呼ぶことにする。)と動物としての人間は、どう違うのか。ということを考えてみた。以下は、老年と成年の最も大きな違い、生殖能力の有無がそれぞれどのように影響を及ぼすかを論理的に考えてみたものです。

あらかじめ申し上げておきますが、子供のない方、子どもを作らなかった方等に関して批判や否定をするつもりは、一切ありません。それぞれにご事情お考えが、おありだと思います。事情もわからず、私がとやかくいうことではないと考えています。


爺婆は、生殖本能という極めて強力な本能から解放される。これによって、次のような特質が出てくる。

・爺婆は争はない
・爺婆はノウハウを隠さない
・爺婆は気力で生きる
・爺婆に必要な気力は、好きなこと、人のためになることから
・爺婆は失敗を恐れない
・爺婆はエベレスト目指す


以下順に考えてみる。

爺婆は争はない

成年期は、直接的であれ、文化というベールで隠した間接的なものであれ、競争の時期だ。ライバルに勝たなければ、異性を獲得できない。

獲得できたとしても、その異性と家庭を持ち、子供を育てていくには、これまた競争相手に勝ち社会的なポジションを獲得しなければならない。
成年期とは競争社会で生きることだ(疲れるなぁ。でも頑張れ)。

爺婆は、この異性を獲得し生殖し、子孫を残すというくびきから、解放される。もはや生殖本能に振り回される必要がない(さびしいことだと思うだろう。でも、そうでも無いのだわ)。

つまり、生殖を究極の目的とする生存競争は、もはやする必要がない。しても意味がない。だって競争によってやっと発揮できるその能力・生殖能力自体が、もは無くなっているのだから。

爺婆はノウハウ等を隠さない

成年期は、ノウハウを獲得したら、それを秘す。秘することによって、自己の優位性を保とうとする。

しかし、爺婆は、上記のように他人と争い勝つ必要はない。

したがって、他人に対して優位性を主張する必要もない。仮にそのノウハウを知った他人が何かうまくいったとしても、自分に関係ない話で、よかったねでしかない(最も自分の人生に邪魔になるとかいうのなら話は別だが)。よって、爺婆はノウハウを隠さない。

爺婆は気力で生きる

成年期までは、生殖本能が生きることを導いてくれる。なんやかやといっても、生きる力が備わっている。生きていないと生殖=子孫を残すことができないから。言い方を変えれば、本人の意思に関係なく自動的に生きられるし、生きさせられる。


だってそうだろう。大人になろうと頑張って大人になった子供はいない。勝手に大人に育つ。

爺婆になると、この本能が消える。完全に消えるわけでも異性に関して興味が全く無くるわけでもない。

しかし、大幅に減少することは確かだ。そうすると、成年期までの生きる力の源であったものがなくなることになる。もはや本能に導かれて生きることはできなくなる。

本能で生きることができなくなった爺婆は、何を支えに生きればいいのか。


それは・・・気力だ! 気力で生きるしかない。
自分の意思で、生きると決意し、真人間たる道を歩もうとするものを、私は覚醒した爺婆と呼んでいる。

爺婆に必要な気力は、好きなこと、人のためになることから生まれる

爺婆が生きるのには気力が必要だ。

しかし、とはいっても、「くそ!、やるぞ〜!」みたいなものでは、短期間はいいが、長期間、50年、60年はもたない。息切れする。

では、爺婆に必要な気力はどうやってだしたらいいのか。
私が考えるには、2つしかない。あるいは、この2つの混合型。
・自分の好きなことをやる
・他人のためになることをやる

自分の好きなことやる。それも、本心から、好きなこと、やりたいことをやる。誰かが言っていたが、えげつないほど本心から好きなこと、やりたいことをやる。

カッコ悪いとか、恥ずかしいとか、人に笑われるのじゃないかとか、メンツがどうのとか、キャリアのイメージが崩れるとか、社会の常識がとか、もっと言えば道徳がとかは、・・・関係ない!。無視する。捨てる。(と言っても当然限度はある。人を殺してまわるとかはNG)

こうやって、本心から好きなこと、やりたいことをやれば、気力は出る。また、その気力はもつ。

しかし、こういうと、自分の好きなこと、やりたいことがわからない、あるいは、無いという人がいる。

わかる。


子供の頃は、学校で優等生になるよう躾けられ、社会に出れば出たで、いい社会人になるよう求められ、それに必死に応えようとして来たのだ。

長い年月、自分の欲求とかは必然的に押し殺し、抑え込むしかなかったのだ。
自分が何が好きか、何をしたいかわからなくなっているのも仕方ない。

こういう人は、どうしたらいいのか。

それは、人のためになることをすることだ。

不思議なことに、我々は、自分のためではなく、人のためと思うと頑張れる。

だからと言って、世界を救うとか考えなくてもいい(考えてもいい。むしろ達成不可能と思われるような目標の方が長持ちするし、ワクワクするがそれは個人の好み。自分がすんなり受け入れられるので良い)。

身近な人や、周りの環境に関することで十分だ。

スポーツ選手とかが、苦しくて心が折れそうになった時、自分を支えてくれた親や、コーチ、応援してくれている周りの人のことを思い浮かべたら、頑張り通せたというよう話を聞くが、同じことだと思う。

また、人のためになったことをしたと思うと、胸が温かくなるような充実感を覚えるようにできている。

これが世界標準かどうか、つまり人類全体に共通の性質かどうかについては、確信はない。しかし、多分、人類共通に持っている性質じゃないかと推測している。

ひとのために生きるというのは、自分の直系(子孫)を残すということに焦点を当てるのではなく、種としての人類を存続させるために働くという行為ともいえる。

遺伝子に意思があれば、個々の遺伝子が残らなくても、種としての、ホモサピエンスの遺伝子が存続できればそれでいいのだから、この方向に向かう行為に対しては、プラスに働くということは大いにあると思っている。

ただし、人のためになることをすると言っても、人から感謝されたり、評価されようなどとは思わないこと。

人から評価されるというのは、強力な魅力がある。
したがって、評価されると嬉しいしモチベーションが上がる。ところが、反対に評価されないと、これが凹む。

これでは、モチベーションが上がったり下がったりで、安定しない。精神衛生上も悪い。とても生きる気力のもととするには、心もとない。

だから、評価を目当てに行動をしてはいけない。極論すれば、人のために何かするとしても、知られずにやるくらいの気持ちでやるのがいい。

そしてもし評価されたら、それは宝くじに当たったようなものと考え、ラッキー、ありがとう。それでおしまい。それくらいでちょうどいい。

爺婆は失敗を恐れない

失敗を恐れないというより、恐れる必要がないのだ。
失敗したらどうだというのか。

失敗の最たるものが、命を失うということだろう。
しかし、爺婆はすでに死は覚悟している。いずれ死ぬ。(*)一般的には。早い話が、それこそ死ぬのが少し早くなるだけだ。

*(もしかしたら、死なない人がいるかも知れない。そんな人は見たことないというだろうが、それこそ見た事がないだけで、何処かにそっと暮らしているかも知れない。

SFかファンタジーの世界みたいだが、その可能性は否定できないし、今の科学の進歩をみていると、少なくとも今より長く生きられるようになる可能性はある。)

また、すでに子孫を残すという、動物としての人間のステージは終わっている。したがって、生存競争に勝つ必要性はもはや無くなっている。

つまりは、たとえ失敗したとしても、そのことは、爺婆の人生のおいて重大な影響を与えることにならない。だから爺婆は、失敗を恐れない。むしろ、失敗を恐れて、本当にしたいことをしないと、生きる気力が湧いて来ず、死ぬ。

爺婆はエベレストを目指す

若い時は、失敗するとその後の人生に影響をあたえ、下手をすると人生(成年期の)が終わってしまう可能性がある。

それは避けたいと、勢い安全策を取ることになる。いってみれば、本当はエベレストに登りたいのに、遭難するかもしれないので、近くの小山にハイキングするというようなものだ。

このこと自体は、それぞれの人生の戦略であり、それはそれでいい。

しかし、爺婆は、周りのみんなが、無謀だからやめておけ、近くの小山にしろと言っても、本当にしたい事がエベレストに登る事なら、エベレストを目指すしかない。

本当にしたいことを差し置いて、したくも無いことをやり続け、悶々としながら人生を終えるわけにはいかない。

第一そんなことをしていたら、生きているか死んでいるかわからない状態になり、気力が湧いて来なくて、死ぬ。

爺婆は、客観的に見て、不可能なことでも、本当にしたいことならやるしかない。エベレストに登りたいのだったら、エベレストを目指し、たとえ旅の途中の神戸港で終わっても(死んでも)、それはそれでいいのだ。

だって、それしかしたく無いのだから。2番じゃダメなのだ。

エベレストに向かっている途中は、紛れもなく生きている。
それでいいし、爺婆が爺婆たらんとするということは、そういうことではないかと思う。

まとめ

失敗を恐れないで、自分の本当に好きなことに集中し、人と争わず、自分の獲得したノウハウ等は惜しげも無く開放し、人のために働く。
これが覚醒した爺婆、真人間として生き抜こうと決意した爺婆だ。





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