【726】朱牟田夏雄『英文をいかに読むか』(文建書房、1959年)
初学者向けではない語学教育(というよりは、外国語でテクストを読むための訓練)について知るどころかガチャガチャやる必要が出たので、過去に電子化しておきながらまだ読んでいなかったものをいろいろ読んでいます。
ちょうど午前中には朱牟田夏雄『英文をいかに読むか』(文建書房、1959年)を読んでいました。私が持っているのは昔の版ですが、2019年に新装復刊されているようです。
往年の東大教員が書いた英文解釈のための参考書という体の書物ですが、これはなかなかよいものです。第一編にあたる「総論」だけでもおおいに勉強になりますが、なにせ第二編「演習」が実に豊富です。
自分は英語を読める(そしてこれ以上能力を向上させる必要はない)と思い込んでいる大人や、少し発展的なことをやりたい受験生には向いている本と言えるかもしれません。
英語に限らず外国語を「できる」ということには様々な外延があります。が、その言語で書かれた一定程度知的な文章を読める、ということはひとつの基準にしてもよいはずですし、これを拒む人ははっきり言って知性のない人でしょう。ハナから外国語を学ぶということを拒むのでなく、しかも知性がわずかでもあるのならば、実にどう読めばよいか、ということをわりとクリアに示してくれているようでもあります。
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もちろん、教育的意図を持つものは特にそうですが、何かを書くときには、おおいに雑になる。学習参考書はその最たるものです。クリアカットに示さなければ読者はついてこられない。あるいは書き手の側も単純なことしか考えていなかったりする。
そういう意味で、朱牟田の同書もかなり雑なところはあります。が、そんな雑さを補うほどに説明がしっかりしている、というのは強みです。なにせクソみたいな(と言ってはいけないのかもしれませんが)図などなしで、全て文章で説明しようとしているところが最もよい。結局文章を読んで文章を書くということが少なくとも知的である(知的であろうとする)ことの核にあるわけで、そこを軽んじない姿勢はもちろん時代がかったものであるとはいえ、極めて重要です。
「わかりやすい」が薄っぺらい、字が太く・すぐに改行する・スカスカの・キャッチーな図に満ちた・結局毒にしかならないような本は学参に限らずいっぱいあるわけですが、だからこそ、そんなくだらないものとは一線を画した本書をやりぬくという選択をとれば、一味違う学力(と知性の基礎)が身につくことでしょう。そのあたりの英文解釈用の学参を10冊やるよりもずっとお得ですね。
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その他、東大の入試に使われた問題も多く提示されており、しかもそれがMaughamやらOrwellやらRusselやらであるということには時代を感じます。自分が学部入試の採点に関わったという(現在であれば隠し通さねばならない)ことをあけすけに書いている点などは、或る種の歴史資料としての性質をも感じさせるものです。そういう意味で、寝る前の軽い読書にも向いていますので、是非。