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きっとだれも言葉にしたことのない町の魔法を、町民さんの日常視点を借りてかたちにする

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町民さんの日常視点を借りる理由:錦江町の魔法

日常的なできごとや人々のささやかな生活、何げない風景に焦点を当てたのは、この町で出会う一見ありふれたものにこそ、現代の人々が今を生きてゆくためのヒントが隠れていると思ったからです。私はこれを「錦江町の魔法」と呼んで、発信しようと試みています。

「これから先、錦江町に人が増えることはない。あと10年もすれば人口は5000人を切るだろう。さらに過疎が進んで何十年後か、もしかしたら錦江町はなくなるかもしれない」と耳にしたことがあります。
過疎化、人口減少。地方全国で見られる傾向が増えるのと比例して、居場所がなくなってゆく寂しさや不安によく出会います。居場所のなさをひしひしと感じるのは、自分の町が都市開発にあったとき、地域や人と人のつながりが希薄になってしまったとき。例えば、母に連れられて通った小さなスーパーが潰れてしまったり、昔よく遊んだ公園に人気がないときではないでしょうか。私も、地元で閉店する書店や荒れた畑、廃校もしょうがないことだと当たり前にただ受け入れてきました。

ですが、錦江町に来てから少し考えが変わりました。争えないほど強く暗い流れに遭っても、将来この町に関わりを持つ人たちが「錦江町にいられてよかった」「錦江町って良い町だね」と言ってもらえるようなものを何か残せないだろうか、なくなってゆくものが当たり前に流されないようにしたいと考えるようになりました。

ひとりひとりの温度感とミクロな記録

なくなってゆくもの、それが誰かのささいな一日であったとしても、そこには必ず人の思いがあり、温度があります。そして、ひとりひとりの温度がそのときそのときの錦江町をつくっています。

温度とは、その人が持っている心の熱です。情熱とも言えます。錦江町で出会う方々は、皆、温度が高い気がします。町の内も外も関わらず、みんなの温度でこの町を温め、寂しさや不安を溶かし、誰かの居場所を守っています。
そこに好奇心の強さや人懐っこさといった、もともとの町の性質も相まってどんな人も精一杯おもてなしする。だから、よそからきた人はこの町を「あたたかい」「やさしい」と形容し「他の町となんか違う」と言ってくれるのだと思います。
昔のように活気があった錦江町ではないけれど、今、この町で自分にできることに精一杯取り組もうとする姿勢。よそ者も思いやりを持って迎え入れてくれる包容力。錦江町の温度は部屋に差し込む西日のようで、心をあたためてくれます。そして、これは錦江町の魔法の正体だと思います。

なくなっていくものを当たり前にしないということは、例えば、現在あるスーパーで買ったものも、無駄に寝過ごしてしまった時間も、どれだけくだらない記録であったとしても、なるべく思い出す大切さを指します。

町でどんなイベントやニュースがあったか。それももちろん大事だけれど、もっとミクロな視点で、そのイベントにどんな人が参加したのか、その人がどんな思い出を残したのか、できるだけひとりひとりの温度を残したいのです。

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あなたの手元に錦江町を

「お手元に錦江町」をコンセプトにしたのは、錦江町の魔法や温度を持ち帰ってもらうことで、町に関わりがある人、もちろんそうでない人も、こんなにあたたかい居場所が日本の片隅にあることを覚えていてほしいからです。この町では、どんなに小さくても、だれかに寄り添ったメッセージが日々生まれています。だから、一見ありふれた南国の田舎町から時効のない魔法や温度感を発信したいと思いました。

例えば、元気がなくなってしまった町で暮らすだれかが「うちの町でもこんなことがあったな、懐かしいな」「なんだかあたたかい気持ちになった」とちょっとでも心の温度を取り戻してくれたら良いなと思います。そして、その気持ちが明日を生きる活力、原動力につながればとても嬉しいです。
地域をつなぐ小さな思い出や錦江町が感じている魅力をしたためたみんなの日記、それが『錦江おてもと』です。

最後に

長々と書いているけれど、最後に伝えたいことは、自分にできることから少しずつ、錦江町の人々と一緒に町の魅力や記録を残していきたいということです。錦江町の魔法や温度を発信し広げることで、心に西日が差し込んで、ろうそくが灯るように心の温度が少し上がり、ほっとする人や元気になる人がいるときっと信じています。

まずは、錦江町が私たちに何を伝えているのか、町全体から発されるメッセージを受け取って残すこと。言葉と写真にこだわって、錦江町の景色や空気感をごまかさず、町民さんと共に、ふれてきた魔法や温度を文字にしたいと思います。

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