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女性に優しい差別

かねてから、ずっと思っていることがありました。



それは、今一つ言語化できておらず、それこそ長い間、
頭に"モヤッ"と滞留していて(笑)、話す機会もなかったことです。




年明けに考えている、ストアカで開講予定のセミナーでは、
参加者の皆さんから、頭に滞留している"モヤッ"としたことを、
話して頂いた上で、それについて他の参加者達と話し合う、
という内容を考えており、少しずつではありますが、
時間を見つけては、着々と準備を進めています。




自分にとっての、"モヤッ"とした話。




"モヤッ"とし過ぎて、上手く説明できないことだったのですが、
その内容に、限りなく近いことが書かれた記事を、
以前、noteで見つけ、思わず何度も読み返してしまいました。




山崎 響 さんの書かれた、
「女性は男性と比べてコミュ力が低い
『女子は基本コミュ障説』がかなり腑に落ちる」という記事です。





おしゃべり好きで、誰とでもすぐに打ち解けてしまうのは、
どちらかと言えば、男性よりも女性のお家芸。




そんな風に思っていた私でしたが、この記事に書かれた、
女性が男性よりも"コミュ力が低い"という指摘に、
なぜだか、凄くしっくりくるものを感じてしまいました。





2分で済む話を、何時間も話している。


相手の話の最中に、いきなり自分の話をし始める。


話に中身が無いだけでなく、そもそも会話が成立していない。


物事の解決策を考えず、ただ自分を"悲劇のヒロイン化"する。





こうした、非常に辛辣な事柄が書かれており(笑)、
"女性に対して、そこまで言って良いのだろうか?"と思う反面、
書かれていることには、正直、頷ける部分は多々あります。



そして、更には、この方の記事を読んだときに、
"女性に対して、そこまで言って良いのだろうか?"と思った、
自分の考え方自体にも、女性に対して抱いている、
理由なき差別意識があるように感じました。



女性にも男性にもそれぞれ、傾向としての長所・短所はあり、
それは、実際に男女の言動に現れていることであれば、
言葉にして表現するのは、問題がないことのように思います。



しかし、男性の短所はズバズバ言って良さそうな一方(笑)、
女性の短所は、あまり言ってはいけない空気みたいなものを、
30年以上生きてきて、社会の中に凄く感じていました。







もっとも、人を傷つけるような言動は、男女など問わず、
誰に対しても、ひとしく許されるものではありません。



しかし、明確に現れている女性の短所を、
可愛そうだからと、"誰も言わずにいてあげる"というのは、
一見すると、優しい気遣いにも見えますが、
実はそれも、女性に対する差別の一つではないでしょうか。



皆が気を遣って、誰からも指摘されずにいたことによって、
本人がその短所を、ずっと認識せずに生き続けていく。





それは、その人にとって、本当に良いことなのか。





普段、耳にするのは、男性特有の短所ばかりで(笑)、
女性の短所を、誰かの口から、はっきりと聞かされることはない。



そうしていくうち、女性である自分達が傾向として持っている、
コミュ力の欠点などを認識できぬまま、歳だけを重ねていきます。



誰かとのやり取りで上手くいかないことがあれば、
まずは自身を、"悲劇のヒロイン"として設定し(笑)、
コミュニケーションの失敗を誰かの責任にしたり、
"男って、これだから"などと言って(笑)、男性側のせいにする。






女性に優しい社会というと、とても聞こえは良い表現ですが、
そこで、実際に施される"女性に対する優しさ"というものに、
言葉にならない違和感や、気持ち悪さを感じていました。



女性に優しくするなら、男性にも優しくすればいいし、
男性の短所を言っていいなら、女性の短所も言えばいい。



性別はどうあれ、同じ人間じゃないですか。



男女差に対する、必要最低限の配慮はするにせよ、
基本的に、接し方をそんなに変える必要があるのでしょうか。




以前、"社会にはグラデーションがない"という内容で、
記事を書かせて頂きましたが、男女についても同様です。



社会は、人を男と女にはっきり区別しようとしますが、
性別は違えど、一緒に同じものを見て、同じものを聴いて、
同じものを食べて、同じことをして楽しむことはできます。



身体的な差は、もちろん当然あるとはいえ、
男女の扱いを、明確に区別しようする社会の空気に、
とてつもない息苦しさを感じた経験は、数え切れません。




女性の男性に対する対応。


男性の男性に対する対応。




いずれも、一人の男性として経験してきましたが、
正直、男としての線が細い自分にとっては(笑)、
それが物凄く、苦痛に感じてなりませんでした。





当然、女性は女性社会での特有の苦しみなど、
挙げ始めたら、枚挙に暇がないこととお察ししますが、
1社目で入った、9割が男性社員の体育会系企業にいた頃は、
女性と言うだけで、周囲からチヤホヤされている社員を、
傍目で見て、何とも言えない異様さを感じたのを覚えています。




毎日、チヤホヤされている当人は楽で良いですが、
それが続いて2年目にもなると、彼女達もすっかり、
若手社員らしからぬふんぞり返り方をし出し(笑)、
客観的に観ていて、まるで"大きな子供"のようでした。



過度にチヤホヤされる中で、欠如していく社会性。



これも、もしかすると女性が社会から受けている、
差別による被害の一つではないかなと思います。







以上、結構な文字数で書かせて頂きましたが、
やはり、"モヤッ"としていた題材なだけあり、
明快なまとまりを見せずに、ここまで着てしまいました(笑)。




最後までお読み頂いた皆さん、いつも大変恐れ入ります。


思いや感情は、全てきれいに言語化できるものではありません。




それゆえ、テンポを求められる日常会話では、
あんまり"モヤッ"とした題材は出しにくい面があります。






そうした、皆さんの"モヤッ"とした題材を、
年明けの講座で、一つでも多く拾っていければと思います。

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