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なぜ、よみたん自然学校をつくったのか?

灘中、灘高、東大を卒業して商社の丸紅に勤めていた私が、沖縄県の読谷村で自然学校を設立。という経歴を見た人は、必ず聞いてきます。

なぜ、よみたん自然学校をつくったのか?

まずは、そのことについて書こうと思います。

かれこれさかのぼること、中学生の時のことだったと記憶しています。父は私にこう言いました。「好きなことを仕事にできたら、こんな幸せなことはないぞ。」大人になってからその話をしても、父はかなり酔っていたせいか、そんなことを言った記憶はないと言っていましたが、なぜか、当時の私はそれを真に受けていました。

その頃から興味を持ったのは、法律、政治、環境問題などなど。中高生の時にいろいろな本を読みましたが、一番影響を受けたのは、ジャーナリストの石弘之さんの書いた「地球環境報告」でした。自分たちの身近にあるものが実は地球の裏側の熱帯雨林の減少に関係していることを知った時はかなりの衝撃を受けました。

これはなんとか解決したいと思いましたが、こうすれば必ずうまくいくという「答え」は見当たりません。それに、ただ環境問題をたくさんの人に教えて知ってもらえば解決になるかといえば、そうではないと思いました。そして、環境問題だけでなく、社会にあふれる「答え」のないたくさんの問題を解決していくためには、「自分で考え、行動する人」が増えないと根本的には解決していかないだろうと思うようになりました。

大きな転機が訪れたのは、そんなことを考えていた、大学3年生の時。小中学生を対象としたキャンプのアルバイト募集が大学の学生課に出ていました。子どもと遊んで毎食ご飯が出て、しかもお金ももらえる、こんないいアルバイトはないと早速申し込みました。GWにキャンプ場で行われた宿泊研修でのこと。夜の懇親会の時間に隣にいた、キャンプディレクターの方が言いました。「キャンプでは、子どもたちとただ遊んでいるのではない。これは野外教育という教育活動であり、従来のインプット型教育とはアウトプット型教育だ。」それを聞いた私は、「自分で考え、行動する人」を育てていると感じ、「これだ!」と思いました。

それから、たくさんのキャンプに関わり、社会人になってからも、夏休みはキャンプに合わせて取って、活動していました。しかし、決められたプログラムをこなし大人の考えた方向へ導くように見えたキャンプに違和感を感じ、子どもたちが「自分で考え、行動する人」に育っていくためにはもっといい方法があるのではないかと模索するようになりました。

そうこうしているうちに、教育活動を仕事にしたいという思いが強くなり、会社を辞め、新たな道へと歩み始めたのでした。周りからは思い切ったことをしたと言われたものですが、私にとっては会社の休みの日に関わるキャンプもすごく大きな意味があったので、軸足を移すというような感覚でしかありませんでした。

9ヶ月ほど定職につくことなく他の野外教育団体を手伝ったりしながら過ごしていました。半年ほど経った頃、東京で紹介された方に惹かれ、2000年3月から沖縄に新しく立ち上げるNPOの研修生を募集しているということで、応募することにしました。場所は沖縄県読谷村の体験王国むら咲むら。沖縄のことも読谷のことも何も知りませんでしたが、そんな縁があってこの地にやってきたのでした。そのNPOでは、エコツーリズム、ワークショップ、キャンプ、乗馬、NPO法人の総務経理といろいろな業務をしました。また、障害者を対象とした乗馬をやっていたこともあり、マイノリティに関することやコミュニケーションについてたくさんのことを学ぶことができました。

それから、4年近く経った2004年1月に当時パートナーと一緒に活動していた、自然育児クラブをスタートに、よみたん自然学校を立ち上げたのでした。むら咲むらの園内で長く活動してきた縁があったおかげで、同じむら咲むら園内の、当時使われていなかった、石垣に囲われた赤瓦の一軒家を借りることができました。

しかし、「自分で考え行動する人」を育てたいという私の思いはまだ形になっておらず、よみたん自然学校を立ち上げてからもまだまだ模索は続くのでした。

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