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道東原付爆走旅行その2 知床、野付、別海

その1はこちら

宿で朝食をとり知床へ。言わずと知れた観光地なので詳述はしないが、森に残された野生動物の痕跡が読めるようになると観察が捗り非常に面白く探索できるのでガイドの解説に聞き耳を立てることをおすすめする。遠くに熊の姿も見ることができた。

さて、面白いからといってあまり長居すると足の遅い原付では取り返せない旅程の狂いが生じる。今日の走行予定距離はざっくり180kmくらい。野付半島という日本最大の砂嘴に足を伸ばしたあと別海町のビジネスホテルに泊まる予定だった。宿を別海町に決めたのは特に見たいものがあったわけではなく、そのエリアで空きのある宿泊施設がそこくらいしかなかったからにすぎなかった。

まずは知床峠を超えて羅臼に出る必要があった。知床にいる間も気候学上晴れと言えないこともない程度の雲量で好天とは言えなかったが、峠越えを目の前に空模様は悪化の一途をたどり、峠につく頃には一帯が霧に囲まれているという有様だった。

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↑消えた北方領土。

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↑なにもないバス停が好きだ。

それはそれで幻想的だったが、原付でゆく山道での視界不良は命に関わる。しばらく他の車の気配も感じなかったので、峠を下りながら調子に乗って試しにカーブを攻めてみたとき、バイクで死すれすれをかすめ走ることで生を実感する、というよく聞くような話が生まれて初めて真に胸に迫ってきた。こんなよくある話を書いたところで多くの人にとっては面白くないのだろうが、それは読み手側にとってのこの文章の重みが他のあまたある文章と何も変わらないからだ。しかし実感したことのある者にとっては違う。いくら本を読んだところで、よほど能動的な読み方をしない限りは自分の中のなにかが変わることにすぐには結びつかないだろう。知識としてしまっておいたことに体験の肉付けがなされることで初めて、「バイクで生を実感」のような抽象的文章に色を感じることが可能になる。世界に色を増やしてくれるのはなにも旅だけではないが、旅先ではそのトリガーに少し敏感になれる気がする。それが僕が旅を愛する理由の一つである。死ぬまでにできる限りたくさんの色を感じられるようになりたいと願いながら生きているから。以上が霧の中での乱れた平衡感覚が教えてくれたことだ。同時に、この趣味を突き詰めていくと早死にするんだろうなーと思った。

よくあることをいくら書いたところで誰のためにもならないが、ならば誰のために書いているのだろうと言われれば、自分のためと言うほかない。目的は北海道の魅力を伝えるためでも、自分の魅力を伝えるためでもない、自分のした旅の消化のためかもしれない。旅は書くことでようやく終わると沢木耕太郎も言っていた気がする。体験を文章という箱に一度収めてしまうと、次に思い出すときにはその文章が体験そのものよりも強いアンカーポイントとなってしまう。記憶、個人にとっての過去というものはこの意味で、呼び出されては変わり続けるものだと思う。

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羅臼側の海に出た。相変わらず灰色の世界がお迎えしてくれた。昼飯をとるなら今しかなさそうであり、それならここらの海鮮丼で間違いないだろう。大衆的な道の駅はスルーし、Googleマップで見つけた少し離れた海鮮丼屋でそれなりに贅沢な海鮮丼をいただいた。HPの回復を感じた。

延々と海岸近くの道を南下していく。海が見えたり見えなくなったりの繰り返しの中、北方領土はわが国固有の領土ですと書かれた看板がちらほら目につく。見通しのいい箇所で運良く地平近くの雲が切れていた瞬間にはうっすら国後島と思しき影が見えた。写真をよくよく見返すと羅臼の時点で見えていたようだ。

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ようやく野付付近の市街地が近づいてきた。セイコーマートに立ち寄り一休みする。そしてたどり着いた野付半島は想像の数倍のスケール感だった。行けども行けどもネイチャーセンターにたどり着かない。道沿いには放棄されたボートや廃屋が点在し、歩道には雑草が生い茂り、文明滅亡後のような趣が見え隠れしていた。

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センターの駐車場に着くとようやく文明の気配が返ってきた。原付はここで駐め、センターから片道徒歩30分ほど南西にある「トドワラ」を目指すことにする。観光用に獣道が整備されているが、両脇には子どもの背丈ほどの野草が生い茂る原野が広がっている。ここを一人進んでいく。

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写真では取るに足らないマゼンタ色のピクセルとなってしまうが、随所になにかの花が咲いている。とても自然に咲いている。人間がいなくても、誰のためでもなく花はそこに咲くという当たり前の事実にも、ここで初めて鮮やかな色がつく。

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トドワラに到着した。その名はトドマツの原っぱから来ているとのこと。そこに海水が侵入しみな枯れたようだ。人間なんか見ていなくても花は咲くのと同様に、誰も見ていないところで森が生まれ、死んでいる。それはどこまったく別の惑星でも起こっていることかもしれない。この文明にも言えることかもしれない。他の惑星系の生命体に知られないままに生まれ、死んでいく文明。

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野付には物寂しさに拍車をかけるこの空がよく合っていたように思う。死んだ木や静かに波打つ灰色の海、そこに伸びる無機質な桟橋。様々に思いをめぐらせながら、いつまででも見ていられる光景だと思った。ずっと薄暗いものだから時間の感覚はなおのこと狂う。しかし本日の最終目的地は別海町の別海パークホテル、ネイチャーセンターからは60kmほど離れている。休みなしで行っても2時間かかる道のりな上、慣れていない原付、見知らぬ土地を悪天候の日没後に走らねばならないとなるとかなり心細い。早くここを発たねばと思った。

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それでも野付の風景が心を強くとらえる。傾いた陽の雰囲気を感じる瞬間、左前方を音もなく鹿の一群が砂嘴を渡っていくのが見えた。カメラを取り出さざるを得なかった。急がねば。別海町までは中標津町を通りほぼ一本道で着くはずだった。途中までは順調で、それなりに広い国道272をずっと南西に進んでいった。バイクの距離メーターが9999.9キロを迎えた瞬間をとらえたのが以下の写真。何食わぬ顔で00000に戻った。

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北海道を原付で旅する上で怖いところは、RPGの世界よろしく街と街の間には本当に商店がないことである。道が単純で何度も止まって地図を確認する必要がないのは良いことだが、暗く寒くなってくるとそれでも不安になる。中標津の街に着いてすぐにコンビニに入りからあげを食べて休んだ。このときにはすでにかなり暗くなっていたが、これからまた街と街の間の暗闇に入っていくことを思うと焦った。雨も強まり、ヘルメットのシールドに信号と対向車のヘッドライトを滲ませた。

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中標津を離れてしばらくすると、街灯も対向車もない、おそらくあたり一面田んぼであろう農道に入ってくる。ほとんどまっすぐ行けば済むはずの道からは中標津の街中でいつの間にか外れてしまったようで、一本北側の道に入ってしまっていた。車では1時間とたいした距離でもないと感じるだろうが、真っ暗、雨、寒気のする中終わりの見えない農道を一人原付で進むのは本当に心細く、Googleマップにさえ欺かれているような気がしてきた。間違った道に入っていたらどうしよう、この先に本当に街があるのか。こんな不安も初めてだった。

ホテルに着いたのは20時前だっただろうか。無事チェックインはできたが人気はなく物寂しさを感じるビジネスホテルだった。20分後には(1つしかない)大浴場の男女が入れ替わってしまうとのことだったので、部屋に荷物を置いて即風呂に向かうことにした。冷えた身体を大浴場のよもぎ湯が癒やしてくれた。でかい風呂に入って後悔した者はいない。急かしてくれた入れ替え時間に感謝した。

8時を回った別海町ではほとんどの飲食店はすでに閉まっており、頼りになるのは近くのセイコーマートだけだった。セイコーマートは決して我々を裏切らない。旅行中の醍醐味といえばその地ならではの食べ物だが、セイコーマートはれっきとした北海道グルメを提供するコンビニチェーンである。サッポロクラシックやら弁当やらを買い込み、その日の夜ご飯をささやかに済ませた。

さて翌日の宿泊地は川湯温泉である。地図を見ながら寄れそうな観光地に目星をつける。牧場を一望できるらしい多和平展望台や摩周湖あたりに寄りながら、時間をみて屈斜路湖や神の子池や硫黄山を攻略していくのがよさそうだ。そんな計画を立てながら、そういえば道東の田んぼに囲まれた別海という街にいるのだということを思い出した。かつて見たことないようなすばらしい星空が見られるかもしれない。そう思って部屋の窓を開けたが、やはり空は雲に覆われており、天気予報を見てもずっと雲は切れないようだった。星空を見るチャンスは明日にもあると思い直し眠りについた。

その3に続きます。

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