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冷めきったフライドポテトだって、制服を着ていればおいしかったんだ

年末が近づくと、友人からの連絡頻度が増えて心が少し沸き立つ。

もうじきやってくる仕事の繁忙期に向けて、同棲中の恋人と「今年も乗り越えておいしいもの食べよう」と笑ってグータッチを交わしたり、「年末はいつものメンバーで集まろう」という連絡に早打ちで「もちろん」と返したり、気が引き締まる思いだ。

それぞれバラバラのところに住む幼馴染がみんな一度に集まれるのは、お盆や忘年会くらいのもので、会うたびに成長した姿を見て自分も頑張ろうと思える。

同時に変わらない安心感と居心地の良さにほっとして「やっぱりみんなが好き」と思ったりもする。

毎年クリスマスあたりから年明け三ヶ日くらいまでは、毎晩誰かといるから、毎日二日酔いに迎え酒という状態でいるわけだけど、そのあとに身体にがたがくるのを知っているので、1月中旬〜2月下旬は誰とも会わずに引きこもることが毎年の恒例。


高校時代の友達と久しぶりに会って、懐かしくて楽しくて3軒もはしご酒をして、時計を見るのも忘れて一緒にいた。

互いに予定が会わなくて、リスケにリスケを重ねてやっと会えることになり、恋人とデートするとき以上に気合を入れて会いに行った。

「どっちの鞄が良いかな、こっち?アウターはこれで変じゃない?」とバタバタ家中を歩き回る私を見て呆れるのではなく、「うん、こっちがかわいい!」と楽しそうに一緒に選んでくれる恋人が嬉しかった。

時に「これに合うのないよー」と唸っていると「俺の合うかも」と私も着られるサイズの自分のカーディガンをクローゼットから引っ張り出して鏡の前で着せてくれる。

すべて準備が終えたあとで「どう?」と聞くと「顔も服もパーフェクト」と答えてくれる、のを知っていて聞く。

付き合ったばかりのときは「かわいい」「綺麗」と褒められても謙遜ばかりして「やめて」と言っていたというのに、いつの間にか私は「かわいい?」と自分から聞きに行く図々しさを身につけたらしい。

その図々しさも含めて「どうしようもなくかわいい」という彼にはきっとこの先も敵わないのだろうと思う。

高校時代の友達と会うと、学生時代の話もするし、現在の話もするし、これからの話もするし、とにかく、笑いが絶えない。馬鹿な話もするけれど、真剣な話もできるみんなが、これまでもこれからも好きだなと会うたびに思う。

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運動神経がよくて、人を率いる力もあって、部活に熱心だった子(キャプテンだった)が放課後私のところにきて「部活やめてきた」と言ったときはかなり驚いた。

私は部活動をやらずにずっとバイトしていたから(昔から働くのが好きだったし色々なことから自由になるためのお金が欲しかった)他の子より放課後に時間がある私の元へ飛んできたのだと思い、

詮索はせずに「遊ぶ?」と聞いたら「遊ぶ」とだけ答えた。

それから数ヶ月間、放課後のチャイムが鳴るとその子と昇降口で待ち合わせてカラオケやらカフェやらファミレスやら書店やらで19時くらいまで遊んだ。

数人で遊ぶこともあったけれど、その時期は2人のことが多かった。

「部活はいいのか」ということを聞くべきだったのかもしれないけれど、なんとなく、その子は私にそれを望んでない気がしたので部活のことには触れずに、ただひたすら遊びに連れ回した。

どこかで、いつか部活に戻ることをわかっていたのだと思う。だからこそ放課後という自由で限られた時間を全力で楽しんだ。

部活の顧問から「戻ってきてほしい」と何度もお願いされていることも知っていたし、彼女はそれに答えないほど無責任な子ではないことも、よくわかっていた。

ファミレスで、長時間放置されしなしなになったフライドポテトをつまみながら

「部活に戻ろうかと思って」と言った彼女の顔は「部活やめてきた」と言ったときよりも明るくて私が満足した気持ちになった。

「もう気が済んだの」と言ったら「うん」「でもこの放課後がなくなっちゃうのは寂しいなーーーー」と机に突っ伏していたので、長めのフライドポテトにケチャップをたっぷりつけて口に突っ込んでやった。

「引退後、受験後にまたいっぱい遊ぼう」と言ったら餌をずっと待っていた動物のようにフライドポテトをおいしそうに食べていた。

あの日のフライドポテトの味とか、賑やかな店内の音とか、流れているBGMだとか、その子の綺麗に結ばれた制服のネクタイを、今でも鮮明に覚えている



そして、今回の飲み会の2軒目の後でその子に「高校時代に、私が部活をやめて放課後ずっと遊んでいたときがあったでしょ」と急に話し出され

「私、高校時代はあの時期が一番楽しかった」と少しお酒で熱った顔でこっちを見て笑ってくれた。

突然「あの時はありがとう」と言われて、こちらまで照れくさくなったけれど、大人びた顔の中に当時のあどけなさが残る彼女が見えて、愛らしく感じた。

「もう大人になったけど息抜きはいつでも付き合うよ」「それは私も」と言い合って、3軒目へ向かった。


高校時代、選択科目の関係でクラスが離れてしまって「なんで私だけ!!!!!」とその子が私たちのクラスに飛び込んでくるのがほんとうにかわいくて好きだった。

レインボーの傘をくるくるとまわして「かわいいでしょ」と制服のスカートを翻す彼女の姿で大雨も悪くないなと思える日があった。

透き通るような真っ白な肌と、見つめられたら逸らせないような真実を見ている大きな目と長いまつ毛、すらりと伸びた身体と、多くの人をトリコにしてきた弾けるような笑顔。

彼女は、当時あまり笑わなかった私の横にいても気にせずよく笑う子だった。私がひとりでイヤホンをして教室で勉強をしていても

「ね!赤点ギリギリなの!英語!英語教えて!」とイヤホンの片耳を外して、机をくっつけてくるような子だった。

私が放課後の講座をさぼって帰ろうとするのを見つけると「あーーー!サボりー!」と全速力で追いかけてきて「ちゃんと講座出なさいよ!」と叱られることもあった。

私自身、その子の明るさに何度も救われてきたから、「あの時はありがとう」という言葉は私から言いたかったけれど、互いに思っていることを互いに知っているから、もう今更そんなことは気にしてはいない。

彼女の恋愛の悩みを聞くたびに、その容姿とその性格だもの、「引く手数多でしょう」と思うのだけれど、それを言うと少しむっとしてしまうので、言わないようにしている。

私の女友達は、「私が男なら絶対惚れるのに」と思うような容姿も中身も素敵な子ばかりなのだけど、それを言うと「うるせえ!人たらし!」と大変失礼なことを言われるので、控えておこう。




友達のことを書きたくなることって、恋人と同じくらいあるのだけけれど、恋人のことを書くよりもなんか照れ臭くて、そんなにたくさんは投稿できていない。

私の友人、ひとりひとりに物語があってかなり楽しくておかしくて愉快なので、書いている私も愉快になってくる。

私のすきな人たちは私が褒めちぎって褒めちぎって、そうしている間にみんないつの間にか自惚れて、少し図々しさを身につけてしまえばいいなと思う。私が恋人にそうされたように。










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