見出し画像

朝茶は七里帰っても飲め 五杯目(最終話)

←前話を読む 最初から読む

五杯目 良い茶の飲み置き

 まだ夜明け前、カインが迎えに来て、私はこの五ヶ瀬荘を発つ支度をしていた。
「本当にもう行ってしまうのね」
 アンナが起き出して声をかけてきた。
「すみません、いくら刺客の記憶を消しても、刺客から連絡のないことをいぶかしんだ者たちにばれるのは時間の問題ですから」
 カインの言葉に、アンナは俯きながらも納得してくれた。
「わかった。みんなを起こしてくるね」
 そう言ったアンナを止める。
「昨日、ちゃんと伝えたいことは伝えられましたし、夜も遅かったでしょう。暗いうちに出たほうがいいから、バタバタとごめんなさい。アンナ、みなさんと仲良く健康で幸せに暮らしていってくださいね」
「ユウリも元気でね」
「はい」
 私は満面の笑みを浮かべ、アンナも涙のにじんだ目元を拭って笑顔を返してくれた。
「お手洗いだけ借りてもいいですか?」
「もちろん」
「カイン、先に行きますか?」
「いや、僕はさっきカセさんのところでお借りしたから」
「では、お借りしてきます」

 カインと二人きりになった私は、気になっていたことを尋ねる。
「昨日、恩返しで守ってるって言ってたけど、本当にそれだけなの? カインはユウリが好きだから守ってるんじゃない?」
 カインの目が泳ぐ。当たりね。
「いえ、ユウリを守るのは私の使命なので」
 すっと元の顔になって否定するカイン。
「使命?」
「そうです、私はユウリを守るという使命を与えられたんです。でも、義務感で仕方なくではありません。彼女のご両親への恩はもちろん、彼女の働きや性質に心動かされ、彼女を守りたいと心から思いながら、彼女に降りかかる災難を取り除くのに必死なんです。今回、彼女を途中で見失ったときは本当に肝を冷やしましたが、行き着いた先にいたのがあなたでよかった」
「カインは優しいのね」
「買いかぶりすぎです。私はユウリに甘く、ユウリを傷つける者には容赦しない。ユウリ側に立てば優しく見えるかもしれませんが、私はただ自分の守りたい者を守る、自分勝手な魔法使い。奴らと、紙一重なんですよ。ユウリの側にいられるよう、ユウリが傷つく使い方だけはしないつもりです」
「キリーも言ってたけど、カインも無事でいるよう努力してね」
「善処します」
 カインの言葉に微笑んだ。もう一つだけ尋ねる。
「カインの名字は何?」
「それは秘密です」
「どうして?」
「どうしてもです。魔法使いは、真名を他人に明かしてはならないんです」
「そう」
「すみません」
「いいの。カインはカインだから」

 お手洗いから戻ると、二人が何かを話し終えたところだった。
「カイン、お待たせしました。行きましょう」
 カインに支えてもらいながら靴を履いていると、アンナから声がかかる。 
「ちょっと待って。最後にお茶だけ飲んでいって。ユウリが言ったのよ、『朝茶は七里帰っても飲め』でしょう? 今の二人にはぜひ飲んでから行ってほしい。すぐ淹れるから」
 そう言って、小走りで奥に行き、アンナは私のお気に入りのお茶を淹れてくれた。
「これ、私も大切に飲むから。はい」
 心地よい甘さが身に染み込んでいく。元気が湧き上がってくるのを感じた。
「ユウリが昔から好きなお茶ですね。さすがアンナさんです」
 カインがそう言いながらお茶をすする。彼はいつから私を知っているのだろうと思いながらも、アンナの思いを感じながら、お茶と一緒に疑問も飲み込んだ。
「私もきっと、カセさんたちのお茶を大切に飲むわ。日記に書いたもの」
 私の言葉に、アンナの頬が緩む。
「それでは、ユウリ以外の記憶を順番に消していきます。ユウリは逃げた先で頃合いを見て消しますね」
 カインがそう言うと、アンナは思いがけない申し出をする。
「ねえカイン、私だけでも記憶を残せないかな?」
「え」
 カインがうろたえる。アンナは真剣だ。
「他のみんなの記憶は消して。危害が及ばないようにっていうカインの気持ちはわかるから。もし誰かがユウリがここに来たことを嗅ぎ付けても、本当に記憶がなければ諦めて去るでしょう。でも、私は、私だけはユウリも、ユウリが覚えてないカインのことも覚えてたい。もしまた出会えたとき、必ず二人を助け、二人と戦いたいから。もちろん、二人のことは決して口外しないと、アンリに誓って約束するわ」
 カインは目をみはり、アンナは微笑む。しばらく考え込んで、カインが口を開いた。
「わかりました」
 私は信じられない気持ちでカインに食って掛かる。
「カイン! 私の記憶も消すのに? 私だって覚えていたいけど、消すんでしょう。勝手過ぎます」
 アンナが私を制する。
「ユウリ、今は二人が言い争うときじゃないよ。ごめん、勝手言って。二人の仲を裂きたいわけじゃない。カインがユウリの記憶を消す理由だってわかるの。私も、ユウリに火事で味わった恐怖や苦しみを忘れて、研究に打ち込んでほしい。お願い、私、わがままで自分勝手なのよ。知ってるでしょう。カイン、困ったら必ず私たちを頼ってね」
 アンナもカインもずるいよ。
「たった一人くらい、ユウリのことを覚えている人がいてもいいと思ってしまったんだ。アンナさんなら大丈夫だと判断した。僕も身勝手で自己中心的な魔法使いなんだよ」
 そう私に言い、アンナに向き直る。
「ただ、次回もし再会したとき、その状況によってはアンナさんの記憶を、ユウリと今回出会って以降すべて、消さなくてはならないかもしれません。その覚悟はありますか?」
「あるよ。大丈夫。私には、アンリも、カセさんにキリーもいるから」
 すかさず言ったアンナに、カインは頷いた。そんなのだめよ。アンリちゃんの成長する姿を忘れてしまうかもしれないのよ。私は食い下がる。
「私の願いでも、カインは聞いてくれないんですか?」
 ずるい言い方だとわかったうえで、こう聞いた。
「ユウリの願いでも、ユウリの記憶を残すことはできないし、アンナさんの覚悟を尊重したい」
 そう言ってカインは、魔法でアンナ以外の記憶を消した。しかし、アンナは意識を失う。倒れ込みそうになるのを、しっかりとカインが支えた。私は困惑する。
「どういうことですか、カイン? どうせ覚えていないからって嘘を吐いたんですか?」
 カインは首を横に振る。
「ユウリのことは覚えているよ。僕の記憶だけを消した。短期間の関係なら、こういうこともできるようになったんだ。ユウリと僕は、間接的だけど長い付き合いだから、残念ながらそういう訳にはいかない。この場所やアンナさんたちを覚えていることで、アンナさんたちに矛先が向くことを防ぐためにも、ユウリは、後で火事の日以降の記憶をすべて消す。アンナさんを寝かせてくるね」
 そう言って、カインはアンナを運んで奥に行った。どこまでもずるくて、それなのに、カイン自身は幸せになれない。罪悪感を抱きながら、自分の記憶を誰にも残さず、他人の幸せを願う。なんて因果なものなのかしら、魔法使いって。せっかく使える魔法を、自分のために使おうとしないなんて。詳しくはわからないけれど、ここまでの技術を身につけるのは、並大抵のことではなかっただろうと想像に難くないのに。
「お待たせ。夜が明ける前に行こう。君を安全にマリアさんのところまで届けたいんだけど、一緒に行ってはもらえないかな?」
「どうしてかあさんの名を」
「長い付き合いだと言っただろう」
 慈しむような眼差しを向けるカイン。カインは、カインの信条で動いているんだ。敵わない。
「悔しいですが、あなたを嫌いにはなれません」
 その言葉に満足げなカインは、私のトランクを持って私を支え、二人で五ヶ瀬荘を後にした。
 道中で、カインが記憶を消す前に聞きたいことはあるかと尋ねてきた。たくさんあるが、それらはなんとなく聞かないほうがよい気がした。カインが話したくない、というより話さないと決めているとわかっているのに、それを聞き出そうとするのは意地が悪いと思ったから。代わりに、別の質問を投げかける。
「記憶をなくした私を守るために、私に気づかれないように側で見守るのは辛くないですか?」
 カインは迷わず喜色満面になって答えた。
「ユウリの成長を側で見続けられることは、このうえない喜びだよ」

 記憶をなくしたユウリを背負ってタクシーに乗り込み、ユウリの育ての母、八女マリアの家に無事着いたのは昼過ぎだった。
「ただいま、母さん」
「カイン!」
 久しぶりに会った母は少し痩せていたが、変わらず元気そうだった。
「ユウリを連れて来た。見えるだけでも体のあちこちに火傷があるし、足や喉も痛めている。病院に行けていないから、早めに病院に連れて行ってほしい」
「わかった。今回も、ユウリは」
「ああ、火事以降の記憶をなくしているよ」
「そう」
 母は、唯一僕が魔法使いであることを知り、記憶を持ったままの人物だ。亡くなった父が同じく記憶を司る魔法使いのため、魔法使いについてよく知っている。身分がばれる危険性も、痛いほどに。
「大丈夫。日記は残ったし、母さんたちといれば」
 母は、こちらを見ると、申し訳なさそうに言った。
「カイン、ごめんなさい。ユウリを守るためとはいえ、こんな危険で損な役回りを押し付けて」
 母は、僕がユウリを狙う者たちを見つけ次第彼らの記憶を消し、時にユウリの記憶も消すこの使命を、押し付けたと言う。僕は否定する。
「押し付けられたとはこれっぽっちも思っていないよ。母さんの看病、リオンさんの薬、ユウジさんの開発してくれた食品のおかげで今の僕があるし、入院費用だってリオンさんたちが母さんを引き抜いてくれたから工面してもらえたんだ。リオンさんとユウジさんに恩返しできるなら本望だし、ユウリのためならお茶の子さいさいだよ」
「カイン……」
 それに、未熟だった僕は、初めて幼いユウリの記憶を消したとき、まだ特定の期間の記憶だけを消すことができずに大切なすべての記憶を失わせてしまった。その自分の犯した失敗の償いもある。母はそれすら、自分が僕に重荷を背負わせてしまったからだと悔いているけれど。
「それより母さん、油断するなよ。刺客を差し向けてきた奴らまでは特定できていないから、手を打てていないんだ」
「わかっているわ。あなたも体に気をつけなさいね。私のためにも」
 心配そうに見つめられ、僕は眉を落とす。
「そう言われると敵わないな。まあ善処するよ。お守りもあるし」
 母さんにユウリからもらったティーバッグを見せると、母さんは笑顔を見せた。
「こっちは任せなさい」
 短いあいさつも終わり、僕は実家を去った。

 目を覚ますと、そこはいつもお世話になっている病室だった。
「ユウリ、おかえり」
 かあさんが隣から覗き込んでいた。私、どうしたんだっけ。
「かあさん。えっと、私」
「ちょうどさっきお茶を淹れたから、少し飲みなさい。日記、読む?」
「ありがとう。うん、読む」
 今日は何日か聞くと、五月七日だという。最後の記憶は、四月末だった。かあさんが淹れてくれたお茶を飲みながら、この一週間の日記を読んだ。記憶をなくした間の出来事は目まぐるしかった。このお茶の味は初めてだったが、不思議とほっとする味だった。
「ラボは?」
「地下施設だけ残ったから、大事なものは無事よ。ラボのみんなもあなた以外無事。またどこかへ拠点を移すしかないわね。あなたはまずしっかり休んで治すこと」
「ん。ここへはどうやって帰ってきたの?」
「病院に運ばれてきたって電話をもらったの。私もそれ以上はわからないわ」
「そう」
「体がぼろぼろなんだから、さっさと休みなさい。私もそろそろ面会時間が終わるから帰るね」
「ありがとう。気をつけて帰ってね」
 かあさんが安心した表情で帰っていくのをベッドから見送り、過去の日記を読んでから今日の日記を書こうとして、その前の不思議なページに気づく。袋とじのようになったそのページをそっと開けると、カインという人物について書かれてあった。覚えがなく、また、昨日の日記のまるで記憶をなくすことを知っているような書きぶりに奇妙さを感じた。よくわからないけど、とりあえず昨日までの私の言うことを信じてみよう。

五月七日
 私はまた、最近の記憶をなくし、気がつくといつもの病院にいた。日記によると、これで五度目だ。一通り日記を読み直したが、記憶をなくした理由はまたわからなかった。
 直前に、キツキアンナと再会していた。彼女たちが無事なのか、今の私にはわからない。アンナたちの無事を祈るばかりだ。
 かあさんが淹れてくれた初めて飲むはずのお茶の味がどうしてか懐かしく、気に入った。これはきっと飲んだことがあるのだろうと思う。多分、日記にあるカセさんのところのお茶だ。
 袋とじのようになったページに書かれていたカインという人物は、誰なのかわからなかった。でも、過去の私を信じ、次に会ったときはカインを信じたいと思う。

 書き終えたところで、再び眠気に襲われた。今は体を癒すときだと、大人しく眠りについた。

 五ヶ瀬荘定期開催のお茶会で、ユウリがくれたお茶を淹れる。
「あまい」
「これ初めてだよな? うめ~。でも、なんか初めて飲む気しねーな」
「甘みがあっておいしいね。うちのお茶とは違うけど、これもいいなあ」
 ユウリ、みんなおいしいって笑ってるよ。なんだか私までうれしくなる。
 目が覚めたとき、ユウリはもういなかった。後から起き出してきたみんなにそれとなく聞いてみたが、みんなユウリのことを忘れていた。魔法使いが来て、記憶を消す魔法をかけた。そして、お願いしたように、私だけは記憶を残してもらえた。あれは、夢なんかじゃなかった。でも、その魔法使いがどんな人なのか。それだけはもやがかかったように思い出せない。
「いいのかよ、商売敵じゃねーか。どうしたんだアンナ、いつもカセさんとこのお茶じゃねーか」
 私はお茶を濁して二人に説明する。
「貰い物のティーバッグなのよ、これ。おいしかったから、みんなにも飲んでほしくて。前にカセさんとキリーにもおすそ分けしたから、後で飲んでね。カセさん、ごめんなさい」
「いや、私は他のところのも飲んでいるよ。たしかに好敵手ではあるけどね、勉強になるし、お茶作り仲間だから、苦労も努力もよくわかるしね。おすそ分けしてもらっていたのをすっかり忘れてしまっていたよ、すまないね」
「そういうもんか。俺も忘れてたわ、わりーな」
「ううん、いいのよ。うれしの製薬っていうこのメーカーのペットボトルや紙パックのお茶もおいしいから、機会があったらぜひ飲んでみてね」
「なんでうれしの製薬のティーバッグなんか貰ったんだ?」
 いちいちキリーは詮索してくるんだから、ハラハラする。
「スーパーか何かで配ってたんだったかな」
 私は何食わぬ顔で答える。キリーはふーんとだけ言った。
「おかしゃ、おかあり」
「はいはい」
 アンリの言葉に席を立ち、お茶を淹れに行く。みんながユウリのお茶を好きでいてくれることに、キッチンで一人ほろりとしそうになる。ユウリやあの名も知らぬ魔法使いがどこかで元気でいてくれたら。もしいつかまた会えたら。それまで、このお茶を飲み続けるからね。
「はい、アンリ、おかわり持って来たよ。ねえ、みんなで写真撮らない?」
「なんだよ珍しいな、写真なんて」
 キリーが目を丸くする。
「残しておきたくなったの、この光景を。たとえ忘れても、ちゃんとこうして笑い合ってたってことを残しておけば、見返せるでしょう」
「いいじゃないか。カメラを持って来るよ」
「カセさんいいよ、スマホで」
「いや、せっかくだからカメラで撮った写真を、私の部屋に飾りたいんだ」
 カセさんが部屋にカメラと三脚を取りに行ってくれ、みんなで撮った。こうして写真に残したり、みんなと過ごしてみんなが覚えててくれれば、たとえ記憶をなくしても大丈夫。

 入院してから一ヶ月後に、私は無事退院した。跡は残ったものの、もう火傷の痛みはない。喉も足も無事だ。
 それからさらに三ヶ月後、社長やかあさんたちががんばってくれ、もとあった別の研究所を増築し、そこに秘密裏に移ることになった。いつまで隠しきれるかはわからないが、当面は大丈夫だと思いたい。
 今朝も淹れたてのおそらくカセさんのところのお茶を飲もうとすると、茶柱が立っていた。香りがよく、すっきりとして後味もいい。おいしくて、ほっとする。窓の向こうには青空が広がり、飛行機雲が上へと伸びて消えていく。
 これからも順風満帆とはいかないかもしれない。でも、私は、どんな人も健康でおいしい飲食生活を送れる社会の実現に向けて、おかあさんとおとうさんののこしてくれた「おいしさと健康に関するお茶と食品のシナジー効果およびアナジー効果」を明らかにする研究、研究結果を生かした商品やメニューの開発、組み合わせの良し悪しの発見をかあさんたちと続ける。啓発活動も会社全体で進めて普及に努める。お茶農家の方々が生活しやすいよう、社長、所長たちと協力して対等に公正に取り引きできる仕組みも整える。こうして毎朝お茶を飲んでがんばっていれば、きっと実現させられる。アンナたちに胸を張れるよう、私は今日も働く。

#創作大賞2024

#ファンタジー小説部門

この記事が参加している募集

サポートしてくださる方、ありがとうございます! いただいたサポートは大切に使わせていただき、私の糧といたします。