"孤"育てから子育てしやすい社会へ

「最近は、公園にも気軽に訪れることができず、孤育て状態です。孤育ては大変です…」
ニュースで、ベビーカーを押しながらインタビューを受けるお母さんが、このようなことをおっしゃっていた。
私が幼い時代から、子育てを地域ぐるみでするという意識は既に低かったように思うけれど、今はより一層その傾向が強まっているのかもしれない。

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母は、私と妹をほぼワンオペで育てていた。
母が専業主婦であったのもあるし、父の帰りが遅かったのもあると思う。両親ともとても真面目で優しく厳しく責任感のある人たちなので、父が一方的に押しつけていたわけではないし、母も理解して責任持って育ててくれていたのではないかと思う。
父もお風呂に入れてくれたり、週末余裕があればドライブで遊びに連れて行ってくれていたから、本当にワンオペ育児をされている方からしたら恵まれているかもしれない。
しかし、夜泣きがひどくても、父は翌日朝早くから夜遅くまで仕事のため、ひとりであやさねばならない。妹ばかり世話していると赤ちゃん返りした私が駄々をこねる。そんな日が続いて、それでもしつけをしっかりし、育て上げてくれた母には本当に感謝してもしきれない。
もちろん、父にもとても感謝している。仕事の愚痴を知る限り一度も溢したことのない父。でも、休職中の人の仕事を肩代わりさせられ自らの仕事と並行して深夜まで働き、セキュリティーの関係で昼に職場を出ることも許されず、帯状疱疹が出るほど大変だったのを知っている。そんな辛い思いをして貴重なお金を稼ぎ、娘ふたりを大学まで行かせてくれた。
そんな両親を、私は心から尊敬している。
ただ、母はいくら専業主婦でも大変だったと思う。
手作りのごはんを毎日作り、おやつも作り、家庭菜園をし、幼稚園小中学校で必要なものを手作りし、読み聞かせをし、宿題を見て、綺麗な字の書き方を教え、しつけをし、日々の家事もこなす。
これがいかに大変かということを、恥ずかしながら、私は一人暮らしをして初めて知った。

小学校に上がるまで、家族でアパートに住んでいた。母の実家は隣の市にあり、片道一時間以上かかる。だから、母はひとりで子育てをしなければならなかった。
小学校に上がって、同じ市内に父が買ってくれた家で暮らすようになってからも、状況は変わらない。団地のおじいさん、おばあさん、お兄さん、お姉さんに道であいさつをして、かわいがってもらったが、地域で面倒を見るところまでは至っていなかった。娘がいじめられたり、大怪我をしたりと困ったときは、ひとりで解決するしかない。自分の体調が悪くても、まだ看病もまともにできない子どもにしか助けを求められない。
話に聞く地域ぐるみの子育てなんて、夢物語だと思っていた。

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「運動会の音、声がうるさい。」
「公園で遊ぶ子どもたちが近所迷惑だ。」
こんな苦情が後をたたないと聞く。
いろんな事情があるから一概に言えないけれど、悲しいなと思う。
私自身、仕事でへとへとなときに眠りを妨げられたらきついな…と思うこともある。
でも、少し余裕が持てるときに振り返ると、そういえば自分も子どもの頃、妹と大声でけんかしたり、外でこけて泣きわめいたり、迷惑かけちゃってたなぁと思い出す。今では申し訳ないと思うけど、子どもってそういうものだよなぁと。それでも寛容に見守ってくれていたのだなぁと気づかされたのだ。
私は、間接的にだが子どもに関わる職業を選ぶくらい子どもが好きなので、余裕があれば、子どもを見かけると自然と頬が緩むし、泣きわめく赤ちゃん、子どもも笑って許せる。
しかし、世間の目は母子おやこに厳しいようである。乗り物内でベビーカーが邪魔だと言われ、泣く子を黙らせろと怒鳴られる。だっこ紐を外すという痛ましい事件も起きた。お父さんがいれば態度も違うというのがより悲しい。

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これは私自身がそうありたいというだけで、決して人に押しつけたいと思っているわけではない。子ども嫌いな人だっているし、そうでなくても日々をぎりぎりの精神状態で、肉体的疲労のある中で必死に生きている人たちがいる。できれば、後者に関しては、そもそもそんなきつい社会自体が変わるべきなのになと思うけれど、そう簡単にはいかないと痛感している。自分の会社一つとってみても、長年染み付いた悪しき体質を変えるのは容易くない。
そう前置きをした上で、私の思いを綴りたい。

私は、子どもと子育てを担う親御さんに寛容でありたいなと思う。
未来を担う子を育む親御さんはすごいと思う。子どもって、本当に何をするかわからない。妹を見ていても、近所でたまに遊んでいた赤ちゃんを見ていてもそう思う。よく乳幼児は自分から死に向かっていくと言うが、本当にそうだ。乳幼児を健やかに育て上げる親御さんは本当にすごいのだ。
そんな乳幼児に、その乳幼児を連れる親御さんに、世間は容赦ない。人々は自分のことで精一杯。どこにもやり場のない苦しみ、怒りが、弱い立場の人に向いてしまうのは世の常。でも、それじゃあ世の中明るくならない。働けども子育てに必要なお金を稼ぐのは大変。そんな世の中で、出生率が上がらないのは仕方ない。
私にも子どもはいない。私の場合はそもそもパートナーがいないのだが。いらしても、子どもを産めない人もいる。産まないという選択肢をとる人もいる。
その誰もが、幸せでいられるような世の中になってほしい。子どもがいなくても引け目に感じなくていいように、傷つかなくていいようにあってほしい。子どもがいても、自由に、のびのびとお子さんも親御さんも過ごせるといい。子どもがいるのに、と白い目で見られ、やりたいことができないなんておかしい。自分で産み育てるって決めたんだから弱音を吐くな、なんておかしい。親御さんだって同じ人間だ。子どもに泣くな、わめくな、なんて無理だ。赤ちゃんなんて泣くのが仕事だ。お互いにマウントをとらず、尊重し合いながら生きていけたらいい。

そして、子どもたちを産み育てやすいと、今の親御さんたちが思えるようにしていく必要がある。子育ての責任を家族だけに課すのは荷が重い。自助にも限界がある。地域や親戚などで助け合い、余裕のある人たちの支援を受けられ、金銭的にも実務的にも公的に支える仕組みが整うような社会になれば、少し子育てしやすくなるんではないだろうか。とはいえ、不審者による悲しい事件もあるから、安心して託せる人が身近にいて、周囲の人たちで守れるのがよいのだろうと思う。
綺麗事かもしれないけど、それが実現しない社会に未来はない。将来の社会を支えるのは今の子どもたちだ。私たちを支えなければならないとき、できればその子たちに、育んでもらった恩返しをしたいと思ってもらえたら、お互いにいいなと思う。

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