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古代の意匠を再現する理由

 餅を食べるとき、古代には餅はあったのか?と考える。弥生時代には稲作が始まっているので古墳時代には米があった。とすれば餅もありそうだ。餅はどのように認識されていただろうか。米は煮炊きに時間がかかるが、餅は焼けばすぐに食える。古代人にとってのファーストフードだったのではないか。
  料理で塩を使うときも、古代に塩はあったのか?と考える。塩は人間にとって必要不可欠な成分のはずだから古代にもあったに違いない。精製の方法はおそらく原始的で、わずかしか作れなかったろう。塩づくりの職人は命をつなぐ医者のように尊敬されたかもしれない。
 油はどうだ?猪は土偶にもなっているので古墳時代にも食べられていたと考えられ、焼いたか、煮たか、そのレシピは分からないが、肉から取れる油は保管して薬のように保存されたことだろう。現代人が鍋の油を廃棄するのを見たら目を丸くするだろうか?
 というように、私はいつも古代人だったら、と考える。

 世間には「歴史好き」な人がいるが多くは大河ドラマの影響で戦国時代が好きだったりする。私からすれば文字の記録が残っている時代は新しすぎて興味が湧かない。古代すなわち古墳時代は、多くの謎に満ちていて私をひきつける。文字の記録がほとんど残されておらず、銅鐸、古墳、埴輪、銅鏡などの遺物から推測するしかない。

 いくつか謎を並べてみる。邪馬台国はどこにあったのか。卑弥呼はどのような最期を迎えたか。古事記や日本書紀に書かれていることは基になる事実があったのか。神武天皇が実在したとすればいつの時代か。古墳はなぜあのような形をしているのか。中国の文献に残されている倭の五王とは何者か。

 古代にあるのは謎だけではない。古墳や墳墓からは病気や戦いの痕跡がある被葬者が発見されている。混乱した苦しい時代だったはずだ。その時代を生きた人々を尊敬する。学校の授業で、その時代をすっ飛ばして、卑弥呼が登場したらすぐに聖徳太子の話になるのは歴史の抹殺のように思えてならない。私たちは無名の古代人についてもっと知るべきである。

 独学で本を読み漁るうちに、この時代の造形のもつ美しさ、大陸の文化に影響を受ける前の素朴な意匠にひかれるようになった。次第に見るだけでは満足できなくなり、作品として形作ることで、手に取って触れて古代人のことを考え、また多くの人に知ってもらう機会を作りたいと考えるようになった。

 そういうわけで私は陶芸作品として古代の意匠の再現に取り組んでいる。

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