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なぜ日本人は、神頼みをするのか

こんばんは、横田です。

最近は話題の種になるような話が多くてですね、今週は何を書こうかなー、なんて、 #週1note でのアウトプットを前提にした時間の過ごし方が定着してきたところ。いいかも。

ほんとは毎日毎日書きたいんだけど、ちょっと忙しい時期なので、もう少し先かなぁ。また気が向けば。

というわけで、今週のテーマ

「なぜ日本人は、神頼みをするのか」

今日は、つい最近の新鮮なインプットを自分なりの言語でちゃんと落としたくて、まあ整理用とも言えるんだけど。今週もお付き合いいただければ。

ちょうど今日、ちょっとあやしめの雰囲気のイベントに参加してきたんだけど笑、お世話になってる方が登壇されて、渦中でいろいろぶった斬ってたのがおもしろかったので笑、今回はそんな内容を。

スピリチュアル、気功、波動、宇宙
見えないチカラによって良い結果を呼び起こす。そんな感じの情報が大集合したようなイベントで、ツッコミどころ満載な感じがある意味むちゃくちゃおもしろかったんだけど、いろいろ思うことがあった。

まずぼくが感じているスピリチュアルが持つ危険性の1つとして、論理が飛躍している点は見過ごせない。

どういう言動や考え方をすれば、どういう結果が出るのか、

それらしい言葉で語られるその話の筋自体は、たしかに、と思うこともある。だから全否定をすることはしないんだけど、ただ、

なぜそうなるのか、という分析の視点が欠落しているのは、いまから自分でその結果を起こそうと行動する人にとって、けっこう致命的なことだと思うんだ。それを身につけて体得することができなかったからみんな困ってるんだと思うしね。

あとで関連してくる話なので、ここで先に日本の教育についての話をしておきたい。

ぼくたち多くの日本人は、日本の義務教育制度の中で、文部科学省が定めた方針に則ったカリキュラム通り、オトナたちから指導を受けてきた。ぼくも御多分に洩れず、少しエリートな進路を歩んできたひとりだ。

挙げればたくさんあるんだけど、現状の教育制度が生む問題点として、「自分で考える力が養われないまま、社会に送り込まれてしまう」というのが、この文脈において非常に重要なポイントだ。

必ず正しい順序で、ルール通りの解答をしなければ加点されない、という教育者側の都合が全面に出た画一的・単一的な指導方針では、創意工夫というのか、今ある知識の中で対処できない事柄に対して、どのようにすればそれが解決できるか、その「思考力」を鍛える環境を提供することができない。

つまり、尤もらしい言葉で、自分が求める理想の結果に繋がる「正解」を与えてくれる、今回のスピリチュアルの分野なんかはまさに、思考力を持たない+ストレスフルな社会で過ごしている日本人にほどウケやすい、ある意味究極のコンテンツだったりするんだ。

本来であれば、なぜその人が望ましい結果を出せたのか、とか、うまくいっている人たちが持っている共通点はどういうものなんだろう、とか、知見と知識をもってその事象をしっかり分析さえできていれば、いま世の中で流行しているものに対してギモンを感じたり、得る情報の偏りに気づいたり、できているのが普通だと思うんだけどね。

よく例として出される、受験のタイミングで合格祈願に行く時間があるなら、その時間で英単語を1つでも2つでも覚えた方が合格確率は高まる、っていうむちゃくちゃ合理的な話があるんだけど、まさにその通りだと思っていて、

なぜそれがそうなるのか、しっかり因果を言語化することが出来るくらい、例えば知識があったほうがいいし、あるいは時間を割いて正しい日本語を習得する必要がある人も少なくないかもしれない。例えば、ぼくと会話が成立しない人は要注意。会話ができていないことすら認識できないかもしれないけど、実は、ぼくが出会う人たちの中にもたくさんいるんだ。

ぼくたちは、言語をベースとした情報社会の中で生きている。
ぼくたちは、自分が知っていることの中でしか当然判断ができない。

中国国内で行われている情報統制は、国外から見ているとあからさまな「規制」という形がわかりやすいかもしれないんだけど、例えば同じことが日本で起きているとしたら?たぶん、気づけない。

周りが良いと言ってるから良い、という判断の仕方をしている人はほんとに要注意。第2次世界大戦時の、今の時代から振り返れば異常ともいえる、その愛国心というか、お国のために、という考え方が共有されていたのも、おそらく同じ構図だと思うんだ。

知識や思考力がない、というのは、そういう非合理的な、被操作的な判断に疑問を持つことができない、ということ。シビアな話になるけど、その人の子どもや家系にまでほぼ間違いなく影響が出てくる話だし、その意味では今後、かなり厳しい二極化社会になることは予想できる。

家柄で身分が決まっていた時代からは大きく遷移し、今や情報・知識を持つもの持たないものとで格差が生まれてしまう社会になっている、あるいはもっと、そうなっていくと思うんだけど、逆に言えば、情報・知識さえあればなんとかなるってことだ。

インターネット社会になって広がった可能性は、そこにある。

持つものは搾取し、持たないものは搾取される。搾取する側になれとは思わないけど、搾取される側にいたまま、望むような豊かな生活を実現することはあり得ない。

スピリチュアルもある意味、マーケティング戦略の文脈からみれば、大変有効なビジネスだ。シンプルに、ターゲットになり得る人のボリュームが大きいからね。つまり、本も売れやすい。その国の宗教や文化とは異なる、資本主義社会の中で意図されて用意された、マーケットだ。

そんな、誰かの意図で溢れたこの世の中の構造・ルールをしっかり分析して理解した上で、自分の立ち位置・現在地もしっかり把握して、ゴールにたどり着くための戦略をロジカルに組み立てていく。ぼくたちがするべきことは、たぶんそれだけ。

be smartな生き方を、ぼくはみんなと実践していきたい。

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