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仕事を任せたくないひとの特徴

こんばんは。

腰痛が酷すぎて湿布を2枚貼っている横田です。いつも鍼治療してもらってたんだけど、ちょっとご無沙汰になってきたからなぁ。腰痛で苦しんでいるにも関わらず更新するぼく、偉い。

今日は #週1note の担当日なので、いつもよりちゃんとした内容で書こうと思うんだけど笑、いや、相変わらずの走り書きです。リライト予定の文章だと思って気楽に読んでください。

ということで「仕事を任せたくないひと」の特徴について書いてみようかなと。あくまでぼくの視点だけどね。

一言で言うと、「気が付かないひと」**はNG **

プライベートな人付き合いなら、「なんとなく波長が合うから、一緒にいて楽しい」とか、そういう感じの人間関係で良いと思うんだけど、仕事の関係になると話は別。

この気が付かない、ってどういうことかというと、

それをすると、そうなっちゃうってわからない?みたいな行動をしたり、客観的にみて人に迷惑をかけるような、特に「ぼくに」不快感を与えるひとたちに共通している特徴のことなんだけど、

例えば・足音が異常にうるさい・大きな奇声をあげる・道路で道いっぱいに広がる・進路を塞ぐ動きをする・ドアを閉める音が大きい・真っ直ぐ進めない(斜め移動をしたり、ふらふら進んだりする)

みたいなのが、ちょっと無理だ。笑

まあここに挙げてるのはあくまで具体的な行動であって、この行動自体ではなく、共通している「客観視ができていない」という特徴に対して思うことがあるわけです。

結局この「客観視ができない」ってどういうことかというと、それをすればこうなる、っていう想像力や知性が欠けているってことだし、たった一手先の予測が出来ない危機管理能力しか身に付いていないってことだと思うんだ。

あくまで、その人自身を否定している内容ではなく、それを身につけられなかった今までの環境が悪いんだというのがぼくの主張ではあるんだけど、

今、仕事を任せる人を選ぶなら、どうしても今時点でちゃんと気付けるひとを優先してしまうよね。

そう、気づける人、気遣いができる人に仕事を任せたい、というのは多くの人に共通している感覚だと思うから、いま出来ていないひとが最優先で身につけるべきものはこれしかないと思ってるし、ぼくが仕事を一緒にする人に求める最低限のレベルでもある。

いつも書いてるけど、これを身につけるためには「誰といるか」という環境選びが重要になってくる。この辺りの話を出版・音声配信でしていきたいなと思うので、また見にきてください。

(追記)
なんか書いてると刺々しい感じになった気がするので補足なんだけど、別にそうじゃないひとがどうとか、そういう批判的な話がしたいではなくて、「仕事を任せたくないひと」にならないようにできたらいいよね、っていうのが言いたかっただけです。

ただ、

足音が大きいひとに、仕事が出来る人はいない。

っていうのはぼくの持論です。自分の行動に対する周囲のリアクションが読み取れない人とはやっぱり仕事はできない。(ちなみに天然な人はおもしろいのでオールOK。)

気遣いができる知性があるか、おもしろいか、どちらかになれば、人生はイージーモードだ。


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