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近くにあるドンキで消耗品の買い物をしているときに、海外の人とか、ヤンキーみたいな人とか、いろんな人たちと出会うんだけど、たまに「栄養失調?」みたいな人を見かけて心配になってしまう横田です。

昨日、2019年7月11日は、東日本大地震が発生してから8ヶ月と4ヶ月目の「月命日(げつめいにち)」だったんだけど、ちょうど100ヶ月目、100回目の月命日だったんだよね。

回数とかは別に何でもいいんだけど、「8年」っていうのが結構重たかった。月日が経つのは早い。

せっかくだから当時の話を今日はしようと思うんだけど、やっぱりね、あれほどの衝撃的な出来事は、鮮明に覚えているものでして。

何が起こったか、みたいなことを書いてもつまらないと思うので、ぼくが経験したことを書いておこうかな。

2011年3月11日

これはどこかで書いたことあるんと思うんだけど、当時、ぼくは20歳の大学生で、発災当日はバングラデシュにいたんだ。

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10日間前後くらい行ってたと思うんだけど、ちょうど中日(なかび)の日でね、現地の新聞やニュースなんかで様子を知って、状況はイマイチ掴めなかったりした。

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発災から1週間くらい経ってから帰国したら、なぜか東京電力が叩かれていて、なんかいろいろ状況はうまく飲み込めなかったんだけど、とんでもないことが起こっているのだけはわかった。

発災から1ヶ月経たないうちに、ぼくたちは現場に入った。場所は、宮城県石巻市。東北の4月はとても寒くて、車が凍りつく夜を、夏用のテントで毛布にくるまりながら、1週間ほど滞在した。

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それから場所を変えて、数年間は気仙沼市を中心に活動をするようになった。

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気仙沼では、伊藤さんという、変わった人に会った。全部流されてしまった家の跡地に、素敵な空間を作っていた。「GROUND ZERO 風の広場」だ。

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理不尽なまちづくりを進める気仙沼市の行政と何度もやり合ってるのをfacebookを通して見かけるんだけど、1人になっても負けない、強い意志のある人。1度しか会っていないけど、間違いなく当時のぼくの価値観に大きな影響を及ぼした、素晴らしい人だ。

現場では、そのほかにもたくさんの出会いがあった。

別れを告げたくても告げられない、悲しみの渦中にいる人たちとたくさん出会った。

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あれから8年間。

「復興」なんて言葉が使い古されたいま、どうなったのかをあまりよく知らないんだけど、復興、してたらいいな。

そこに住んでいる人たちの8年間は、どのようなものだったんだろう。毎年、毎月迎える「11日」は、どんな気持ちなんだろう。

先日行った音楽フェス「京都大作戦」には、東北での活動を続けるアーティストたちもたくさん参加していた。BRAHMAN:TOSHI-LOWが歌う「満月の夕」なんかはむちゃくちゃグッときた。阪神淡路大震災のことを想った歌だ。

そんな大きな出来事から8年と4ヶ月。

改めて、ぼくに出来ること、考えてみようと思ったんだ。


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