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表題作「千マイルブルース」切り抜き

現在、表題作「千マイルブルース」の加筆修正作業を続けています。
そこで、ここに一部を掲載することにいたしました。
本編は、原稿用紙で50枚ほど。バイク小説、ロードノベルです。
販売時には、変更されている箇所もあると思います。
ご購入の参考にどうぞ。


 俺は、ミラーにかけたジェットヘルに手を伸ばした。走り出さずにはいられなかったのだ。ちっぽけな羽虫ほど、軌跡を残すために飛びまわりたがるものなのかもしれない。
 真夜中の北海道を、飛ばす。別に急ぐ旅ではない。あのブルースマンとも期日を決めたわけではなかったし、網走など、ここからせいぜい五百キロ程度だ。二日もあれば着ける。けれど、俺は走ることで疲れたかった。走り疲れることで、なにかが降って来そうな気がしていた。
 ヘッドライトがくり貫いた、まるでトンネルのような真夜中の国道の上で、苦笑する。振り返れば毎回、そんな想いで走り始めてはいなかったか。

 日高町に入り、病人のように静かに横たわるドライブインを見つける。「ひと山」の前に調子を整えたい。俺は起こさぬよう、そっとワルキューレを敷地の隅に停めた。
 霧が出始めている。疲れが霧滴とともに革ジャンに貼り付き、疲労だけがゆっくりと体に染み込んでゆく。真夜中のせいだろうか、北海道を走っているという感覚が薄い。
 タバコを取り出し、ジッポーで火を点ける。驚いたように退く闇を、ぼんやりと見つめる。エンジンとともに思考も停止したらしい。俺は闇に笑った。これだ。この状態になるのを待っていたのだ。「無」とは違うのだろうが、ここから、バイクと俺は一体となる。疲弊してくたばる一歩手前が調子よいのだ。
 追い抜いていったトラックが、次々と闇から現れ、赤い点となり消えてゆく。タバコが、いつのまにかフィルターまで燃えていた。吸殻をほぐし大きく伸びをすると、足がシリンダーに触れた。すっかりエンジンが冷えている。強がるな、とセルが心配そうにまわる。
「平気だよ。楽しい峠越えにしようぜ」

 ペースカーになる車を探す。遅すぎても危ないし、速すぎてもついてゆけない。何台目かのトラックを追い抜いた時、やっと気の合いそうなベーシストに巡り会った。コーナーでの排気ブレーキも小気味よい、帯広ナンバーのパネルトラックである。リアに貼られた冗談ステッカーが緊張を解す。
『お先にどうぞ、天国へ』
 そういえば、別れたクリスチャンの女房が、俺に熱心に洗礼を勧めたことがあった。なにかの本を読み頭が混乱していたのだろう。私は天国だけど、あなたは極楽に行ってしまう、とかなんとか言って。まて……。あの時洗礼を受けていれば、もっと長続きしたのだろうか? いや、もっと早く終わっていただろう。「聖書勉強会」の嘘を見破ってしまって。女房は浮気をしていたのだ。

 清水町から鹿追町のロングストレートを抜け、上士幌かみしほろ町まで一気に走る。ここまで来ると、さすがに俺もワルキューレも予備タンだ。足寄あしょろでホクレンに寄り、道の駅に向かう。
 カマンベールチーズカレーなるものを食い、ワルキューレにせわしなく跨る。そしてバックミラーに被せていたヘルメットを取り上げ、ハッとした。ミラーの角度がずれ、青一色になっている。そういえばここまで、真後ろばかりに気を取られていた。俺はミラーに自分を映してみた。薄汚れた男が、不安げにこちらを窺っている。まるで逃亡者の顔ではないか。
「なにに追われているんだ、おまえは」
 俺は両手で頬を数度ひっぱたいた。するとなんだか可笑おかしくなり、力みがすっと抜けた。ワルキューレを、思い切りゆっくりと発進させた。

 テント設営の次は火に決まっている。付近の燃し残しや倒木、木切れやゴミを吟味する。地面に浅い穴を掘り、なたで分解したスチール缶を広げて敷く。その上に小枝をのせ、コンロのガソリンをたらす。火を点けるのはマッチだ。儀式のつもりか、なぜだか昔から、着火にライターは使ったことがない。
 燃し木は、手首の太さを限度とする。これを三本集め、着火した小枝を中心とし、三つ矢車紋の形に突き合わせる。どこでも変わらない、俺の流儀だ。

「いい夜ですね」
 突然かけられた言葉に、俺はハッとした。といっても、起き上がるほどの驚きや緊張感はない。ふわりとした声だ。寝転んだまま体を捻り、声の主を見る。五十がらみのオジサンが、ニコニコしながらレジ袋を提げて立っていた。もうひとつのテントを指差し、あちらの者だという身ぶりをする。
「火に誘われましてね。ご一緒させてもらえませんか?」
 俺は上体を起こした。こちらも、ふわりとした声音を意識する。
「火が誘ったんだったら、断ったらどんな目に遭うか知れない。どうぞ」
 男は隣に座った。袋から、カップ酒とパック物のツマミを取り出しながら言う。
「駐車場を見ましたよ。大きなバイクですねえ」
「乗っている奴は、ちっぽけなんですけどね……」
 本音だ。そして最近では、ますますバイクが大きく見えてきた。つまり、俺がますます縮んでいる気がする。いや、よそう。俺は頭を振って自嘲の笑みを払い、男に顔を向けた。

 弟子屈町を出て小清水町に入る。オホーツクまであと十キロという場所で、バシッとヘルメットのシールドで雨滴が弾けた。辺りの景色が墨絵のように色を変えている。またたく間に、スプリンクラーのような雨が俺を包んだ。俺は慌てて、行く手に現れた小さな土産物屋の軒先に舵を切った。
 北海道には梅雨がない。しかしこの時期は、「エゾ梅雨」と呼ばれる気まぐれな雨雲が、無邪気に辺りを飛びまわる。いずれむと見た俺は、しばらく土産物屋の軒先を借りることにした。カッパを着て走るほどの急ぎでもないし、濡れたまま走るほどの楽しい奴でもない。

「お兄ちゃん、どこから来たの?」
「横浜です」
「東京の?」
「いや、その隣の県の」
 ふーん、とバアチャンは嬉しそうに頷いた。そうか。俺は気がついた。
「そうですよね。ここから見たら、東京も横浜も、たいして場所は変わりませんもんね」

 ワルキューレがアスファルトを手繰たぐり寄せる。道は広くなり狭まり、曲がり、荒れ、輝き、褪せ、喚き、黙る。行く手から脇から、様々な角度で分岐が体当たりしてくる。十字路で戸惑い、Y字路で決断し、丁字路で別れ。苦笑いが出る。たいして生きてはいないが、俺の半生と一緒だ。そして今もこうして人生のアクセルを開き……。
 いや、まて。
「……俺は、本当にそれほど走ってきたか? 戸惑い、決断し、別れてきたか?」

 有明埠頭にフェリーが着岸したのは、午後九時近くだった。まだ間に合う。俺は首都高に乗り、横須賀を目指した。ここからだと一時間もかかるまい。しかし北海道を走っていたせいだろうか、どうにも走りづらい。大陸ドライバーになっていて、勘が戻らないのだ。それと自分でも驚くが、悪意に満ちた幅寄せや追い越しにあっても、驚きこそすれ腹立ちがしない。これが数日もすれば、悪態をつき、追いかけまわすことになるのだろうが。

掲載しすぎか?
ということで、いくつか削除するかもしれません。


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