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現代文単語を勉強しないと読み飛ばしをしがち

以前にも、現代文単語のついて述べてきたが、今回は現代文単語を勉強しないことによる読み飛ばしについて述べていく。


まず、現代文単語について簡単に説明する。

現代文単語は、現代文における評論などに登場する言葉のことである。

日本語なので、勉強する必要は無いと軽視されがちだが、現代文で用いられる語彙は、日常生活では使わない言葉が多いので、勉強しないと分からないことが多い。

「ノスタルジー」や「アプリオリ」などの外来語、「演繹(えんえき)」や「忸怩(じくじ)」などの日本語のように、聞いたことない、見たことないという言葉も数多く登場する。

因みに「ノスタルジー」は昔を懐かしむ思い、「アプリオリ」は先天的、「演繹」は普遍的な前提から個別の結論を導くこと、「忸怩」は深く恥じ入ることという意味である。

「先天」や「普遍」という言葉が分からなければ、意味を読んでも分からないだろう。

このように、現代文単語は、現代文を正しく読み解くためには、必要不可欠なのである。


では、読み飛ばしが起こる現象について、現代文と英語とを比較して述べていく。

まず、英語は、分からない単語に直面した時に読み飛ばしが起こりづらい。

理由としては、いくつかあるかもしれないが、日常生活で使わない言語という部分が大きいかもしれない。

英語長文を読むためには、英語を勉強しないと読むことはできない。

なので、読み進める時に、この単語の意味は分かるという実感を噛みしめて読み進めていく。

噛みしめるというのは少し大袈裟かもしれないが、分かるを意識しているのは確かだろう。

なので、分からないに直面すると止まる。

この単語は知らない、どういう意味なんだろうという風に考える。

このような思考になるので、読み飛ばしは起こらない。


一方、現代文は日常生活で使う日本語で構成されている。

現代文を読むために、日本語を勉強することはない。

なので、現代文を読み進めている時には、分かるをいちいち実感などしていない。

日頃使っている言語なので、勉強せずともすらすら読むことができる。

正しくは、読むふりができるということなのかもしれないが。

そうなると、分からない言葉に直面しても、読み方が分かれば読み飛ばしてしまいがちだ。

読み方が分からなければ、止まるかもしれないが、読める言葉やカタカナの場合は次に書いてある分かる言葉にスキップしてしまう。

このようにして読み飛ばしが起こる。


読み飛ばしは、現代文を正しく理解するために絶対にやってはいけないことである。

読み飛ばした部分が問題の答えだという場合もある。

そうなれば、文章の内容だと思っていない選択肢が正解になる。

このような場合、当てずっぽうでなければ、正解の選択肢は選べないだろう。

現代文単語を勉強することは現代文を正しく読むために必要不可欠であるとともに、今後の人生でも大事な役割を果たすことになるかもしれない。

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