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もし、ビーガン生活をするとしたら。

昨日、こんな記事を書きました。

ビーガンとは、動物性食品を食べないだけではなく、「動物を利用する営みから距離を置く人」を指す。
だから、毛皮も着ないし、動物園や水族館などの動物娯楽にお金を落とすこともしない、という話でした。

で、今日はこの本を読んだ感想。

おそらく私も含め、非ビーガンの人がビーガンの人に対して思うこと。

「なぜ、ビーガンという生き方を選ぶのか?」
ということ。

著者は、ドキュメンタリーで酷い漁獲の現実を目の当たりにし、
「食べものならほかにいくらでもあるじゃないか」
と思ったことが、食への見直しの第一歩になったとのこと。

この本、水産業だけでなく、畜産業や環境破壊の現実がリアルに描かれていて、「えっ…」と思わず目を背けたくような内容も載ってます。


そのうちの一つを、チラッと紹介します。
乳用の牛について。↓

乳用の牛は基本的に金具や縄で首を1ヶ所に固定され、動き回れないようにされます。そして人の手で精子を植え付けられ、何度も妊娠と出産を強いられつつ、乳を搾り取られます。

p41

母牛が自分の産んだ子を育てることはできません。子牛はすぐに母から引き離され、雌ならやがて母と同じ運命をたどり、雄なら早々に殺されて肉にされます。

p42


たぶん、通常の教育(?)だと
牛はこんなことをしてまで、人間のために牛乳を絞り出してくれている
→だから、残さず飲もう!感謝しよう!
という流れになるのかなと。

それに対して、ビーガンは
「他にも栄養摂取する方法あるなら、わざわざ牛乳飲まなくても良いんじゃ?」
という考えなのかなと。

最近は、豆乳やアーモンドミルクなどもありますし、あえて牛乳を選ぶ必要はないのかもなーと。

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じゃあ実際に、ビーガン生活をしようと思ったら?

たとえば「牛乳を避ける」という選択について考えます。

大人の私一人だけなら、牛乳を飲まないという選択は簡単です。

でも小学生の娘は、給食で牛乳が出ます。

牛乳アレルギーの子どもは、代わりにお茶が出るようです。
ただそれは身体的な「アレルギー」に対しての対応。
ビーガンという「生き方」に学校が対応するのか?というのは、また別の話な気がします。


また、学校の遠足で、動物園や水族館に行くこともあります。
そうなると、ビーガンゆえに「欠席」という選択肢になりそう?

ビーガンの人がいるから、行き先を変えよう、とはならないと思うのです。たぶん。

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そうやって色々考えていくと、この世界で
「ビーガンとして生活していくこと」って、相当難易度が高い気がします。

「多様性を認める」
って最近よく聞かれる言葉ですが、本当に多様性を認めるのであれば、学校のような「集団生活」って、ちょっと無理があるんじゃないかな、と思ってしまいます。

そして、おそらくビーガンの人は
「なぜ肉を食べないの?」と聞かれる機会が多いと思います。なぜなら、マイノリティだから。

でも、非ビーガンの人は、
「なぜ肉を食べるの?」とは聞かれないわけです。大多数が食べていて、説明する必要がないから。

朝井リョウの小説「正欲」も、まさにマイノリティの話でしたが、当事者しか分からないことって多々あるんだろうなあと。

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まとまりなくツラツラと書いてしまいましたが、今日はこの辺で終わります。

ビーガンの考え方は理解できるけど、実施するのは壁が高そうだなあ。

色々と、考えさせられた本でした。

<あとがき>
この本、自分が実施するかしないかは別として、ビーガンという生き方を知るにはすごく分かりやすいです。私は知らないことがたくさんあったので、めちゃくちゃ勉強になりました。挿絵のイラストもかわいくてオススメ。
今日もありがとうございました。


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