分からないことを素直に認めて、一歩前へ。
家族でランチに行った時のこと。
隣に座っていた、おそらく40〜50代の女性2人。
会話の内容は、子ども(おそらく中学か高校)の学校の担任の先生について。
勉強しない子どものことを不安に思い、担任の先生に相談。
「大丈夫ですよ」と軽く言われたことに憤慨した様子。
それについて、ずっと話している。
これを聞いて思ったのは
「子どもの話しかしないんだな」
ということ。
それをなんだか、寂しいなと思ったのです。
自分もそうなるのかな?と。
私は会話の一部しか聞いていないので、実際には他の話もしていたのかもしれませんが。
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私には小2と5歳の子どもがいます。
中学や高校は、未知の世界。
その世界に入ったら
「子どもの勉強、受験」
などの話題で持ち切りになるのかもしれません。
もちろん親の役目なんだと思うし、それをするのが親なんでしょう。
でも、それだけになるのは何か違うなあと思うんです。
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先日、親戚の集まりがあり、同世代の子どもを持つママがいました。
「我が子が可愛くて仕方がない」
「目に入れても痛くない」
みたいなオーラが全面に出ていて、なんかすごいなあと思ったのです。(語彙力)
子どものことを夢中で話せる、無邪気な感じ?
そう見えるだけなのかな?
それを見て、
自分には出せないオーラだなあと。
出せない手紙だなあと。(関係ない)
もちろん、自分の子どもは可愛いです。
ただ、それだけを熱心に語るほど、私の中での最重要コンテンツではない、ということなのかな?
いや、違う?
子どものことをそんなに熱く語れないから、熱く語れる人を羨ましいと思ってるのかもしれない。
ランチで聞いた会話も、本当は羨ましかったのかも。
子どものことを、ひたすら一生懸命話せることが。
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自分の子どもの性格とか聞かれても、正直よく分からない。
だって、自分のことでもなければ、自分の所有物でもないから。
だから、子どもの性格や気質(?)について堂々と語れる人が、すごいなぁと思ってしまうのです。
長女は私に似てるのか真面目だな。
次女は甘え上手で、世渡り上手そうだな。
これくらいしか分かりません。
これだって推測だから、違うかもしれない。
自分のことすらよく分からないんだから、分かるわけないですよね。
…
え、暗っ。
めっちゃ暗っ。
クロネコみたいに暗っ。(暗いのではなく黒い)
最近の私のテーマに
「分からないことを素直に認める」
というのがあります。(急に登場するテーマ)
だから、素直に認めて一歩前進したいと思います。
そう、クロネコヤマトのように。
一歩前へ♪
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