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分からないことを素直に認めて、一歩前へ。

家族でランチに行った時のこと。

隣に座っていた、おそらく40〜50代の女性2人。

会話の内容は、子ども(おそらく中学か高校)の学校の担任の先生について。

勉強しない子どものことを不安に思い、担任の先生に相談。
「大丈夫ですよ」と軽く言われたことに憤慨した様子。
それについて、ずっと話している。

これを聞いて思ったのは

子どもの話しかしないんだな

ということ。
それをなんだか、寂しいなと思ったのです。
自分もそうなるのかな?と。

私は会話の一部しか聞いていないので、実際には他の話もしていたのかもしれませんが。

******

私には小2と5歳の子どもがいます。

中学や高校は、未知の世界。

その世界に入ったら
「子どもの勉強、受験」
などの話題で持ち切りになるのかもしれません。

もちろん親の役目なんだと思うし、それをするのが親なんでしょう。
でも、それだけになるのは何か違うなあと思うんです。

******

先日、親戚の集まりがあり、同世代の子どもを持つママがいました。

「我が子が可愛くて仕方がない」
「目に入れても痛くない」

みたいなオーラが全面に出ていて、なんかすごいなあと思ったのです。(語彙力)

子どものことを夢中で話せる、無邪気な感じ?
そう見えるだけなのかな?

それを見て、
自分には出せないオーラだなあと。
出せない手紙だなあと。(関係ない)

もちろん、自分の子どもは可愛いです。

ただ、それだけを熱心に語るほど、私の中での最重要コンテンツではない、ということなのかな?

いや、違う?

子どものことをそんなに熱く語れないから、熱く語れる人を羨ましいと思ってるのかもしれない。

ランチで聞いた会話も、本当は羨ましかったのかも。
子どものことを、ひたすら一生懸命話せることが。

******

自分の子どもの性格とか聞かれても、正直よく分からない。

だって、自分のことでもなければ、自分の所有物でもないから。
だから、子どもの性格や気質(?)について堂々と語れる人が、すごいなぁと思ってしまうのです。

長女は私に似てるのか真面目だな。
次女は甘え上手で、世渡り上手そうだな。

これくらいしか分かりません。
これだって推測だから、違うかもしれない。

自分のことすらよく分からないんだから、分かるわけないですよね。

え、暗っ。
めっちゃ暗っ。
クロネコみたいに暗っ。(暗いのではなく黒い)

最近の私のテーマに
「分からないことを素直に認める」
というのがあります。(急に登場するテーマ)

だから、素直に認めて一歩前進したいと思います。

そう、クロネコヤマトのように。

一歩前へ♪

<あとがき>
後半、自分でも書いてて何言ってるのかよく分からなくなりました。
クロネコヤマト、いつ頃のCMですかね?「一歩前へ」というフレーズだけが記憶に残っていました。

以前、子どもという「コンテンツ」についての記事を書いてました。
内容は、ママ友とは共通する「子ども」というコンテンツがあって、初めて成立するもの。でもその関係性は、どこか目と目が合っていない感じがする。その表面的な付き合いができないから、自分は友達が極端に少ないのでは?という誰得な考察の記事。よかったら読んでみてね…ってあとがき長っ。
今日もありがとうございました。

▼要チェケラ(死語?)な記事はこちら。



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