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子どもという「コンテンツ」を介しての繋がりについて考える

※盛大な独り言です。

子どもが生まれる前から、なんとなく思っていたこと。

「私、自分の子どもが生まれても、LINEのアイコンに設定することはないだろうな」

…。
子どもがいますが、やはり設定しませんし、設定しようと思ったこともありません。
なんでだろう?

✅確かに子どもは可愛い

子どもの写真を設定している人を、否定しているわけではありません。

「〇〇ちゃんのお母さんなんだな」
「子どもが生まれたんだな」

など分かりやすいので、むしろ良いなと思います。可愛いし。
 
ただ、私にはできない。
ひねくれているのかな?(自覚はある笑)

でも、それだけじゃない気がする。
なんでだろう?

✅子どもは私のものではない

可愛いけど、子どもは私の所有物ではないんですよ。(当たり前ですが)

おそらく

アイコンに設定する=自分の所有物である

という感覚が、私にはあるのかもしれません。
※あくまでも、私が勝手に思ってるだけです。

✅唯一仲良くなれたママ友

アイコンに限らず、子どもが生まれると、みんな子どもの話が多くなるんですよね。
当たり前…なのかな?

以前、唯一少しだけ仲良くなれたママ友がいたんです。

仲良くなれた理由は、
自分のことを話してくれたから」。

「私、斉藤和義が好きなんだよねー」
「ここの洋服が好きでさー」

うんうん。
そういう話が聞きたい。

すごく楽しそうに話すので、私も楽しい。
そして私も、自分の話をしやすい。

こういうのが、私は楽しいなーと感じます。

✅「子ども」というコンテンツを介しての繋がり?

ナイツ塙が「つるむ」という状態について、以下のように書いてました。

それは「ひとつのコンテンツを介してのコミュニケーション」のような気がします。
ゴルフとか、プラモデルとか、はたまた酒だったり。(中略)
共通して好んでいる「物」があって初めて成立する関係性のことを「つるんでいる」と指すんじゃないだろうか。

「ぼやいて、聞いて。」

ママ友って、共通する「子ども」というコンテンツがあって、初めて成立するものなのかな?と。 まあ、考えてみればそらそうか、って感じですが。

で、私がこの関係が苦手な理由、たぶんこれ。

「コンテンツ」を介さないと成立しない関係性って、どこかちょっと寂しい。
なんだか、のっぺりしている結びつきという印象がある。目と目が合ってない感じと言うか、ただ肩を寄せ合っているだけで、本質的には充実していないトーンがあると言うか。

対して「関わる」っていうのは、そういう物を介さないで、互いにダイレクトに作用を与えあっている状態だと思います。

そうか。
私は「子どもを介さないと成立しない関係性」を寂しい、と思ってたのかもしれない。

寂しい?

うーん、寂しいというより、表面的な感じがするんですよね。
で、その表面的な付き合いができないから、友達が極端に少ない。

あーそれかも。
なんとなく、考えがまとまりました笑
自己完結感が半端ないですが。

おわりに

盛大な独り言を読んでいただき、ありがとうございました。

だから何なんw

ってツッコミは、なしでお願いします😆

あ、引用した塙の本はこちら。
これ本当好きで、よく読み返してます。

気になる方、読んでみてくださいね。

ではでは。

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