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イスラエルでジャズに出会ったのが2009年、それから夢中でイスラエルのジャズシーンを追…

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イスラエルでジャズに出会ったのが2009年、それから夢中でイスラエルのジャズシーンを追っている夫婦です。アーティストだけでなく、彼らの家族、教育者などなどジャズのコミュニティを支えている人たちに話を聞き、その声をお伝えします。若く元気なイスラエルジャズの世界へようこそ。

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1. イスラエルのジャズとの出会い

近年のジャズ、イスラエルが元気だ。 Avishai Cohen(アヴィシャイ・コーエン)、Shai Maestro(シャイ・マエストロ)、Gilad Hekselman (ギラッド・ヘクセルマン)などなど、日本でも知られるアーティストは増えている。NYのジャズ・シーンにもイスラエル人アーティストは欠かせない。 私たちは、そのことを知っていたのではなく、徐々に知ることとなった。 きっかけはアヴィシャイ・コーエン 2009年7月8日夜、当時5歳だった娘を連れて家族3人であ

    • 11. 《interview》 次世代教育に励むトロンボーン奏者:ヨナタン・ヴォルチョク 前編

      ーー教育に関わってどのくらい? 学校では何を教えている? 教育に携わるようになってもう11年くらい。現在はアンサンブルと即興のことを教えている。 NYからイスラエルに戻って以降、テルマ・ヤリン高校、コンサバトリアム、リモンでも教壇に立っている。(いずれもジャズを学べる代表校で、テルマ・ヤリンは芸術系高等学校。コンサバトリアムは高卒以上でNew Schoolとの共同課程を、リモンは高卒以降でバークリーとの共同課程を有する。) ーー教育に関心を持った経緯を教えて。 自分が高

      • 10. 《interview》 ダニエル・ドール: 「文化や愛を表現する演奏が、今は特に大切」

        ーー生年月日とかその辺のこと聞かせて 1986年12月2日、来週37歳になる。テルアビブ で生まれた。両親はイスラエルで大人気だったバンド(ポップミュージックのバンドHakol Over Habibi)で活躍していた。母は今でも歌っている。母と僕は時々一緒に演奏していて、今週もライブがある。父は今はあまり音楽には関わってなく、コーチングのようなことをしている。父と会う時は、そういう話をする。 僕は8歳の頃にピアノを始めて、10歳でピアノをやめてドラムにうつった。 ーーなん

        • 9. 《interview》 ナオール&オーリィ・ネヘミヤ 後編

          軍では兵隊のためにパフォーマンス ーーオーリィ、軍役中のことを教えて。 オーリィ:18歳で軍に入ると、軍のバンドに配属された。兵隊のいる場所を全国渡り歩いて、彼らのためにパフォーマンスをする。軍隊のためのバンドなんだけど、評判が良くて歌がラジオで流れたりし始めて、ときどき頼まれて軍以外でも歌った。 ーー 兵士を励ましたりとか、そういうこと? オーリィ:そうそう、例えば、パラシュート部隊が降下訓練を終えたあとに基地の中でのお祝いのイベントに出るとか。 ナオール: 自分

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        1. イスラエルのジャズとの出会い

        • 11. 《interview》 次世代教育に励むトロンボーン奏者:ヨナタン・ヴォルチョク 前編

        • 10. 《interview》 ダニエル・ドール: 「文化や愛を表現する演奏が、今は特に大切」

        • 9. 《interview》 ナオール&オーリィ・ネヘミヤ 後編

          8. 《interview》イスラエルのジャズドラマー、オフリー・ネヘミヤの両親:ナオール&オーリィ 前編

          コチン(Cochin) とは まずはじめに、「コチン」というのは何なんだろう。イスラエル南部のコチン遺産センターに説明がある。  インド南西部ケララ州に居住していたユダヤ人コミュニティ。1950年代に大半の約2500名がイスラエルに移住し、今インドに残るのは数名のみ。歴史的には紀元前10世紀に商人としてインド南西部に到着し、やがて現在のコチン市に根付いたとされる。(by Cochin Jewish Heritage Center) 1950年、移住の波にのって、オフリー

          8. 《interview》イスラエルのジャズドラマー、オフリー・ネヘミヤの両親:ナオール&オーリィ 前編

          7. テルアビブのレコード事情

          久々のレコード・フェア 2月24日に「レコード・フェア」が久しぶりに開催された。テデル(Teder)の看板イベントのひとつである。レコードショップ、個人コレクターが段ボールを並べ、そこにお目当てのレコードを求める人々がわさわさと鼻息荒く群がっている。若者たちも意外と多い。みんな楽しそうだ。 アラビア語のレコードコレクター 会場を歩き回っているとアラビア語のジャケットに目が止まった。レバノンの歌手だという。段ボールの中の一枚一枚めくってみると、どれもアラビア語のレコード。

          7. テルアビブのレコード事情

          6. 《interview》 オフリー・ネヘミヤ (ドラマー) 後編

          ーー来週は自身のバンドとして来日するわけだけれども、サイドマンとバンドリーダの大きな違いって何だと思う?(注:このインタビューは2023年3月に実施、2024年3月はGTOで日本ツアー予定、ぜひ!) まず音楽面では、サイドマンは自分の好きなようにしていればいいけど、バンドリーダーはスーパーバイザー(責任者)のように音楽全てに責任があると思う。自分の耳にどう聞こえるかだけではなく、お客さんにどうやって伝わっているかも気にかける必要があるしね。その他では、日程調整やビザの手続き

          6. 《interview》 オフリー・ネヘミヤ (ドラマー) 後編

          5. 《interview》 イスラエルジャズ界のトップドラマー: オフリー・ネヘミヤ 前編

          しっかりキャリアを積めば評価してもらえるNY ーーコロナでNYからテルアビブに拠点を移してしばらく経つけれど、NYとテルアビブのジャズシーンを見て日々どんなことを感じている? テルアビブのジャズシーンは素晴らしい人たちに支えられている。こんな小さなところにもかかわらず、本当に盛んでレベルも高いと思う。 NYは世界中から来た若いアーティストが大勢いて、とても興味深かった。しっかりキャリアを積めば次第に名前が知られ、評価も得られるところがNYだと思う。NYに行って4年経っ

          5. 《interview》 イスラエルジャズ界のトップドラマー: オフリー・ネヘミヤ 前編

          4. 《interview》 テルアビブの音楽シーンの仕掛け人:ツァハ・バール 

          「常に音楽が周りにあった。今も音楽のことばかり考えているよ」。 トレードマークは帽子とまるぶち眼鏡、背筋はピンと伸びている。ツァハ・バール (Tzach Bar)、テルアビブの音楽シーンの仕掛け人である。 音楽を軸とした複合施設に 「Kissa」 2010年夏、友人3人とともに、オンラインのラジオとバーを併設したTederを実験的に開始した(※Tederはヘブライ語で周波数)。 Tederとは音楽を軸とした複合空間である。1200名を収容するメイン会場、ミニホール、展示ス

          4. 《interview》 テルアビブの音楽シーンの仕掛け人:ツァハ・バール 

          3. 《interview》 シャイ・マエストロ (ピアニスト) 後編

          まだ育てているところ ーオケのプロジェクトのほうはどう?進んでいる? 今は自分が生み出したオケの曲を育てている、というところかな。 幼稚園児がクレヨンでニコニコマークを描くと、親は手を叩いて喜ぶ。でもしばらくしたら、もっと顔らしいものを描かないと感動しなくなるでしょ。自分も自分の作曲したオケを初めて聞いた時は、うゎかっこいいと思えた。でも、次に聞いた時は全くダメだなと、いろいろ手を加えた。オケは自分にとってまだニコニコマークの段階だ。 オーケストラはアーティストが何十

          3. 《interview》 シャイ・マエストロ (ピアニスト) 後編

          2. 《interview》 シャイ・マエストロ (ピアニスト) 前編

          インパクトのある名前である。シャイ・マエストロ、本名だ。 若干19歳でベースのアヴィシャイ・コーエンのピアニストに抜擢され、『Gently Disturbed』『Seven Seas』など4作のアルバムに参加。アヴィシャイのピアニストとして5年間一緒に世界中を回った。私たちがシャイと出会ったのもその頃だ。2011年にアヴィシャイから独立、その後はシャイ・マエストロとして自身の音楽世界を追求し6枚のアルバムを発表、最近2枚はECMから出ている。音楽からも人柄が感じられ、同時代

          2. 《interview》 シャイ・マエストロ (ピアニスト) 前編