6. 《interview》 オフリー・ネヘミヤ (ドラマー) 後編
ーー来週は自身のバンドとして来日するわけだけれども、サイドマンとバンドリーダの大きな違いって何だと思う?(注:このインタビューは2023年3月に実施、2024年3月はGTOで日本ツアー予定、ぜひ!)
まず音楽面では、サイドマンは自分の好きなようにしていればいいけど、バンドリーダーはスーパーバイザー(責任者)のように音楽全てに責任があると思う。自分の耳にどう聞こえるかだけではなく、お客さんにどうやって伝わっているかも気にかける必要があるしね。その他では、日程調整やビザの手続きとか、メンバーの楽器やパーソナルなことまで気を回さなければいけない。
メンバーのトメル(Tomer Bar) もニッツァン (Nitzan Bar) も友達だけど、バンドリーダーだとメンバーのボスみたいな立場になる。例えば彼らがリハの時間に遅れて来たら、ストレートに指摘した方がいいのかとか、プロフェッショナルとしてどうしたらいいのか考えなければいけない。
友達の間柄だと微妙なこともあるけど、あえて彼らを選んだのは、お互いよく知っていて信頼感があるし、彼らと作り出す音楽のバイブもいいから。そういう関係がバンドリーダーとしての緊張を和らげてくれたりもする。どれだけ音楽がプロでも、途中でプロモーターと口論しちゃうような人はだめで、メンバーはやっぱり人間性が決め手になる。
ーー両親も音楽家だけど、どんな家庭で育った?
父親は今も現役のドラマーで、主に宗教コミュニティの結婚式で演奏している。彼は宗教家ではないけど、宗教コミュニティの間ではよく知られたミュージシャン。母親はボイストレーナーをやっている。若い時には女優やコメディアンもしていて、父親はそのマネージャーだった。出会ったのはその前だけどね。
両親は若い頃に、ミュージカルのレ・ミゼラブルに出ていた。母は女優として、父はバンドメンバーとして。公演が終わると、母親がいつもみんなを笑わせていたのを見て、父が母にスタンドアップのコメディを勧めた。二人ともユーモアのセンスがあって、いつも楽しくて音楽のある家庭に育った。マイケル・ジャクソンとか、ジャズ、イスラエルのヨナ・リヒターやマティ・カスピなどの音楽がラジオから流れている家だった。
僕が2歳か3歳の時、すでに椅子に座ってドラムを叩くようになっていて、マイケルジャクソンのHeal the worldに合わせたりしていた。父は僕のリズム感が優れていると思ったみたい。5歳上の姉は小さい頃から歌が上手で、テレビに出て歌ったりもしていた。家の中はいろいろな音楽が溢れていたんだ。
小さい頃はサッカー選手やパイロットになりたいという時もあった。でも音楽へのパッションは強かったし、得意だったし、高校に入る前には自分はドラマーになると確信していた。家では父が練習しやすい雰囲気を作ってくれたし、近所にもちゃんと言ってくれたりして、いつでも練習できる環境だったことも大きかった。
ーー両親の出身は?
両親はどちらもイスラエル生まれ。でも、父の両親はインド南部、母の両親はイエメンの出身。母はヤッフォで、父はキリアット・ビアリックで生まれ育った。どちらも貧しい家庭だった。父は7人兄弟の末っ子で、食べ物や必要な物資はあったけど、新しい服を買ったり、食後のデザートとかはなかったと言っている。母はもっと大変で、掃除をして家庭を支えたり、弟の世話もしていた。そんな幼少期を過ごした二人が、音楽家としてきちんと生計を立てて、ここで人生を築いたことはすごいと思う。
自分が子ども時代は、音楽も、放課後のクラブもやりたいことはなんでもやらせてくれて、不満を感じることはなかった。
ーー家の中でインドやイエメンの音楽の影響はあった?
両親はイスラエルで生まれ、イスラエルのラジオの音楽を聴いて育っているから、インドやイエメンの音楽の影響はないね。でも食事はインド、イエメンそれぞれのルーツがしっかりと引き継がれて、父はインド、母はイエメンの食事をよく作っている。母がつくるイエメンのミックススパイス(ハワイェッジ)をもみ込んで焼くだけの魚はとても美味しいよ。
最高の学校、テルマ・ヤリン
ーー なんでテルマに行ったの?
姉がテルマに通っていて、12歳の時にテルマの演奏会を見に行った。当時高校生だったアミール・ブレッスラー(Amir Bresler、イスラエルを代表するドラマーの一人)を見て、ここで学びたいと思うようになった。テルマに行くならジャズを知らないといけないから、それからジャズを聞いて勉強するようになった。
テルマに来る学生は、テルマが最高の学校だと知っている。クラシック以外の音楽をやりたい人はジャズに関心がなくてもテルマにやってくる(注:テルマにはクラシック専科もある)。そして徐々にジャズに馴染んで、演奏もうまくなり、テルマを卒業する年には大学一年レベルのことをやっている。似たような音楽教育をやっている高校はないんじゃないかな。
同級生にはロックやポップ、またプロデューサーとして活躍している人もいる。他にも天才的なすごいピアニストがいたんだけど、卒業後かなり狂信的に宗教を信仰するようになって音楽の世界から8年間離れてしまった。でも最近になって、宗教家のままながら音楽に戻ってきて、この間はシャブルール(テルアビブのライブハウス)で一緒に演奏したんだ。素晴らしいステージだったよ。
ーー テルマに行く前にイスラエルはジャズが盛んということは知っていた?
高2の時にバークリーのサマーコースに行ったら、参加者15人のうち6名がイスラエル人で、全員がテルマの学生だった。その時に初めてテルマのレベルを実感した。
ーージャズをやったことで自分の音楽観を広げられたと思う?
音楽のレベルを引き上げてくれたことは確か。時々、ロックもフュージョンもイスラエルの音楽も演奏するけど、ロックしかやっていなかったら今のように洗練されたミュージシャンにはなれなかったと思うし、作曲もしていなかったと思う。ドラムだけではなく音楽の知識やいろいろな経験ができたのは大きい。
ーー教育は相変わらずしっかりしていて、テルマのレベルも高いけど、これからのイスラエルのジャズはどこに向かうと思う?
教育はすごく重要。他の学校でもジャズを教える課程が増えてきている。学校だけではなく、アミット・ゴランやエレズ・バルノイ(イスラエルのジャズ教育に貢献したと言われる代表的な2名、残念ながらいずれも若くして亡くなっている。)といった素晴らしい教育者の貢献も大きい。
またアムディーム(テルアビブのライブハウス Beit Haamudim)のように、アーティストが集まるホームのような場所があることもとても重要だと思う。いい教育とアムディームというみんなが集えるホームがある限り、イスラエルのジャズはこれからも成長していくと思う。もっと多くの人たちに聞きに来てほしいし、アムディームのブッキングを担当しているヤエルのように、ビジネスではなく、もっとジャズを聞いてもらおう、弾いてもらおうというパッションの大きな人が出てきてほしいと思う。
ーー17歳でエリ・ディジブリのバンドに参加し、すでに十分なキャリアがあるけど、自身は10年後どうなってると思う?
同じ年代のミュージシャンは、まだ世界ツアーを目指したりしているかもしれないけど、僕は全てやったと思う。ある面やり切ったというか、達成した気持ちもある。ただ、NYでできることはイスラエルではできないし、限られていることもある。NYで大好きなアーティストが演奏しているのをインスタで見ると羨ましいと思ったりもする。
でもテルアビブでの生活は気に入っている。ここには家族もいるし、NYにはなかったものがあるからね。とはいえ、もっと世界的に有名なジャズアーティストのサイドマンとしてのキャリアを積みたいという気持ちもあるし、同時にイスラエルで家族をもって、子どもを育てたいとも思う。NYとテルアビブ のどちらがいいか、その正解はないという結論に達した。ここで得られるものはここでしか得られないし、NYが楽しいとNYに行ってしまったらテルアビブの面白さを味わうことはできなくなってしまう。10年後か〜、どこにいるのかな。今は全くわからないな。
10年後にぜひ教えてほしい。 (2023年3月 Cafe Nachat)
Ofri Nehemya
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