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13. 《 interview 》 愛されるドラマー: アミール・ブレッスラー
ジャンルを問わず活躍し、広く愛されるドラマーのアミール・ブレッスラー(Amir Bresler)。キリッと引き締まる一打一打、そして人柄の良さに私たちも惚れ込んで久しい。高三で初ステージを踏んで以降、数々の大物ミュージシャンと共演し続け、現在34歳にして十分な存在感が漂う。他のアーティストのようにNYに行くことはなく、イスラエルを拠点としていたが、最近ベルリンに移住し新たなキャリアを歩み始めた。ライブ演奏のためにテルアビブに一時帰国したアミールに聞いた。
アミールが出演する2024年5月31日からのElchin Shirinov(piano) trio日本ツアー日程はこちら
ーー ベルリンに移住しようと思ったのは?
生活の変化が欲しかった。僕と奥さんはまだ若いから、違う世界を経験したかった。ここ何年もヨーロッパをツアーで回って、ヨーロッパの良さを経験していたし、自分の可能性を広げたかった。また、息子が違う国で成長することもいいと思った。
イスラエルでの生活は、とても緊張感があるし、世界から切り離され、閉ざされている。ヨーロッパのように車で隣国に行けるなんていうこともない。だからもっと開かれた場所に行きたかった。
ーー 最初からベルリンと決めていた?
明確にベルリンを希望していたわけではなかったけど、移民に対して開かれた雰囲気をベルリンに感じていた。保育園が安くて、公園がたくさんあって子育てもしやすいと思った。ちょうどその頃、ベルリンに住んでいるハガイ・コーヘン・ミロ(ベーシスト。5月アミールと共に来日。)のアパートが空くという話を聞いて、2週間考えた末に移り住む決心をした。
ーー 音楽活動への影響は心配ではなかった?
心配はしたけど、いつも全てうまく行くなんてことはないし、変化を求める時は多少のリスクを伴うもの。誰かがアーティスト・レジデンシーで呼んでくれればと願ったこともあったけど、そのチャンスはなかったから自分自身で動こうと思った。
ーー 奥さんも同じ考えだった?
どちらかというと彼女の方が移住志向だった。自分はここに残る方向で考えていたけど、いざイスラエルを離れると決めたら、ここにいることが息苦しいとさえ感じるようになった。
ーー 1年経ってどう?
とても幸せ。生活は快適だし、仕事もあるし、新しい知り合いも増えているし、何より家族との時間があることが嬉しい。イスラエルにいたときは働きづめだった、本当に。だけどベルリンではそんなにずっと働く必要がなくて、子供と一緒にいられる時間がたっぷりある。
レコーディングに行ってもイスラエル人が一人もいなくて、今まで知らなかった人たちと仕事をしている。新しく道が開かれている感じがして、そういう新鮮さも気に入っている。
ーー 仕事とはライブのこと?それ以外は?
ライブだったり、レコーディングだったり。それ以外に、自分の楽曲を素材として登録するArtlistというシステムがあるんだけど、それ用に曲を作ったり。
ーー エンジニアとかも知り合いになった?
少しずつ人脈が広がっている。知り合いになった誰かがライブに呼んでくれたり、友達が誰かを紹介してくれたりする。イスラエルでは音楽関係は全員、文字通り全員と知り合いで、それと比べればまだ全然だけど。
たくさんの人と繋がることが大事だから、積極的にSNSを使ったり、売り込んだりしている人も多いけど、自分は自然に知り合うようにしている。例えば、ライブの後に声をかけてくれた人と知り合いになるとか。他の人に比べるとゆっくりだけど、自分に合った方法で少しずつ人脈を広げている。今は奥さんが英語とか文章とかを手伝ってくれるから、少しずつネット上でも自分をブランディングしていきたいとは思っている。
ーー 今週はテルアビブでいくつもライブがあるね、調整は自分で?
自分で予定を組むようにしている。ミュージシャンは基本的に仕事が好きだから、つい長時間労働をしてしまいがち。僕は家族との時間を優先するために、今はあまり仕事をいれないように心がけている。違う視点でものを見てみたいという気持ちもあるし、仕事ばかりしていたら自分の本当にやりたいことは何もできなくなる。
ーー 今週テルアビブで演奏するバンドについて教えて
Liquid Saloonという自分のバンド。もう何年もやっているけど、夢が叶ったというくらい気に入っている。友達とスタジオで何曲かレコーディングしてみたらいい出来に仕上がって、ライブで演奏し始めることになった。
ジャンルで言えばジャズだけど、ピアノトリオのようなものではなく、まさに自分がやりたいと思っていた音楽。ガーナとナイジェリアなどのアフリカ音楽の影響が色濃い楽曲になっている。楽譜にはあまり多くを書かず、自由を残している。
最初のライブは5年くらい前で、会場はここのRomano(インタビューをしたのはそこに隣接したカフェ)だった。それからアルバムを出して、アーティストも加わってきた。自分の曲でこのメンバーたちとステージに立つ、これは自分にとって理想の形で、本当に嬉しい。
Liquid Saloonの他にニタイ(ピアニストのニタイ・ハーシュコビッチ)と一緒にやっているApiferaも自分のバンド。
ーー ニタイからは、それぞれが演奏する楽器も決めない、ゼロから始めるとかって聴いたけど。
そう、ニタイとのバンドでは、かなり変わったことをしている。
あと、取り組んでいるバンドとしてもう一つある。ゲルション(ウード)、ロニー(パーカッション)そしてアブロ(ベース)とのバンドで、最近アルバムを出して、近々アムディームで演奏する。
自分が取り組むバンドは、単にメンバーとして関わるバンドとはかけるエネルギーも気持ちも全く違う。観客が自分の音楽にじっと耳を傾けたり、盛り上がったりするのを見ると特別な気持ちになる。
ーー アミールにとってのジャズは?
自由、そして即興があること。ジャズは譜面に書かれていることだけではなく、「自由」がある。音楽にとって「自由」は、色彩のようなものだと思う。そして演奏家たちだけでなく観客も巻き込んで、「play the music」と言うように、まさに音で遊ぶことができるのがジャズの楽しさ。ステージで即興するのが何より楽しい。ステージにあがると、どんなこともできると感じる。
ロックはロックで違う良さがあるから、ジャズと両方関わるのが自分には向いている。ジャズだけだったらロックを演奏したいと思うし、その逆もある。ただ、自分にとってのホーム(居場所)はジャズ。
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ーー では少し自身の話を聞かせて。生年月日は?両親もイスラエル生まれ?
1989年11月8日。両親は共に1956年イスラエル生まれ。父方の祖母はドイツ、祖父はイスラエル、母方の祖父母はトルコといろいろな国のミックス。
ーー ドラムを始めたきっかけは?
11か12歳のころ、クラシックギターをやっていたお父さんに何か楽器をやりたいかと聞かれた。それまでも関心はあったけど、楽器は全く演奏をしたことはなかった。それでドラムを選んで、近所のいたドラマーAvi Zehaviに習うことになった。ドラムには初めからハマった。
ーー 子どもの頃は?
サッカー選手になりたかった。お父さんからは、真面目に練習しなければ選手にはなれないんだと常々言われたけど、そんなに練習しなかった。でも、ドラムは数ヶ月間、毎日ちゃんと練習している姿を見せて買ってもらえた。
ーー どんなジャンル?
ジャズではなく、主にロックやパンク、メタルだった。
ある日お父さんが、ジョン・コルトレーン、マイルズ・デイビスとかジャズを聴かせてくれたけど、信じられないほど複雑で、どう演奏しているんだろうと思ったくらいだった。
初めの頃ジャズはよくわからなかった。毎週金曜日、お祖母さんの家に家族が集まると、ラジオでジャズを聴いていたけど、全然好きじゃなかった。今もアルバムを聴くことは好きだけど、正直ジャズのラジオ番組は好きではない。
ーー テルマ(ジャズ専科のある芸術高校)に行こうと思ったきっかけは?
中学校の英語の授業で、テルマ・ヤリンについて書かれた文章を読んだ。それでジャズ課程のある高校があることを知った。その後、テルマの学生のバンドを見に行ったら演奏が気に入って、そのバンドを教えていたアモス・ホフマン(ウード、ギター。ベースのアビシャイ・コーエンの高校同級生でアビシャイのアルバムに多数参加)のことも好きになって、この学校に入ったら面白そうだと思った。
ーー テルマに入ってどうだった?
まずテルマでアミット・ゴラン(※)に出会って、ジャズが好きになった。彼はジャズの歴史や即興の先生で、まさに僕にジャズの素晴らしさを教えてくれた人。それから学校のライブラリーからジョン・コルトレーンの「ブルートレイン」とかのCDを借りて、何度も何度も聴くようになった。
※アミット・ゴラン: イスラエルのジャズ教育に多大な影響を与えた伝説的人物。国際的に活躍する教え子は多数。2010年、教鞭を取っていたテルマ・ヤリン高校で休み時間に生徒とバスケットをしている最中に心臓発作で急逝
サックス奏者のエリ・ベネコットも自分にとってとても重要な先生。僕の聴く力を鍛えてくれた先生でもある。聴く力なんて最初はなんのことかわからなかったけど、適切な訓練のおかげで、楽しみながら聴く力をつけることができた。
ーー テルマの学生はオリジナルの作曲を習うでしょ?
僕の時代には習わなくて、編曲が多かった。ビックバンド向けに編曲をするとか。自分にとって一番の刺激は、来ている学生がみんな真剣で、誰よりも上手くなろうとしていたこと。だから自分も一番上手くなりたいと思って、できるだけ勉強して、できる限り練習した。
ーー テルマで一番よかったことは?
アミット・ゴラン、エレズ・バルノイ(※)、アモス・ホフマンがNYから持ち帰ったジャズに関するあらゆることを学べたこと。とにかく教育が素晴らしかった。特にアミットが授けてくれたものが大きいと思う。
※エレズ・バルノイ:アミット・ゴランと並びイスラエルのジャズ教育に貢献した主要人物。アミットの没後2011年から19年までThe Center for Jazz Studiesセンター長を務めるなど献身的に活躍も2021年夏急逝。
ジャズを愛する彼らのような人たちに出会えたことは幸運だった。彼らはそれぞれ特定の時代やジャンルのジャズが好きで、たとえばアモスはアラブ音楽に関心があって、自分もそれにすごく影響された。上手くなりたいなら、今のジャズだけではなく、ちゃんと伝統的なジャズを知らなければならないとも教えてもらった。
ーー テルマに通ってる頃からすでに大きな舞台に立ってたよね?
高3の時からかな。学校の廊下でアモス・ホフマンを見かけたから「いつか一緒に演奏できたら嬉しい。それが自分の夢です」と言った。そしたら、ちょうどその日の夜、予定していたドラマーが来られなくなったから来るかと連絡があった。行ってみると、アブロ(ギラッド・アブロ)やアミット・フリードマン(サックス)、それにトランペットのアビシャイ・コーエンがいて、一緒に演奏した。その日の演奏は自分にとって大きな意味あるものとなった。
それまでも友達とカフェなどで演奏していたけど、プロの音楽家と演奏したのは初めてで、とても興奮した。アモスは自分のキャリアの中で一番大事な存在で、初めて海外での演奏に連れていってくれたのも彼。まだ自分が軍に所属していた頃で(高卒後3年間の従軍が義務)、アモスとイラン・サーレムとアブロとのバンド。ベテランの中に若い自分が一人混ざって、それがおかしかった(笑)。
ーー 軍では音楽家特待コースだったよね?
そう。最初に事務仕事を少しやってから、そのうち軍のバンドのミュージシャンとして演奏するようになった。全国の基地を巡って、式典や兵隊の激励のために演奏した。曲は誰でも知っているようなイスラエルのヒット曲。バンドのメンバーにニタイ(ニタイ・ハーシュコビッチ)もいた。ニタイとはそこで初めて会った。
音楽家特待コースだと軍に従事する時間が短いのがいい。途中でレコーディングがあればスタジオに行ってもいいし、海外で演奏があればそれも行ける。それが特待コースの一番の特権。3年間(2007-2010)の軍での経験はとても重要なものだった。
最初に会った頃は、ステージで軍服姿だったよね?
マジ?やだなー(笑)。
(※私たちがアミールに知り会った頃、テルアビブの路上で見かけたことがあった。「練習に行くところ」と聞いて、音楽家も練習するんだと初めて思ったことを今でも鮮明に覚えている。)
ーー NY行きは考えなかった?
友達はみんなNYに行っていたし、少しは考えたけど、怖かった。きっと素晴らしいミュージシャンばかりだろうと思って、自分自身を信じきれなかった。自分の居場所はここだと感じていた。
ーー アミールからみてもここのコミュニティは何か違うと思う?
ここは小さな国のわりにレベルの高いアーティストの数が多いと思う。一番いいピアニストもサックス奏者もトランペット奏者も、自分が選ぶとしたらみんなイスラエル人。何か特別なもの持ってるピアニストを考えると、オムリー(オムリー・モール)、ニタイ、オメル(オメル・クライン)と名前は尽きない。
それに、ベイト・アムディームみたいなのは見たことない。ちょっと覗くといいアーティストがやっていて、かしこまった感じはなく自由だし、ジャズクラブというわけでもないし、誰が演奏しているか分からなくても行けば必ず知っている誰かがいる。それが楽しい。
ーー どこに秘密があると思う?
偶然だと思う。NYから戻ってきたアミット・ゴランやエレズ・バルノイなどによる教育がうまく浸透した。その時期とタイミングもよかった。彼らのおかげで、ある世代の多くの若者が、ジャズとは何かという本当の質の良い教育を受けることができたことが秘密といえば秘密だと思う。
ヨーロッパには音楽を学ぶための基金がいくつもあって、設備も機材もとても充実している。イスラエルでは、設備や機材は十分ではないけど、その代わり指導者たちと教育環境が充実している。最高の指導者たちが音楽というものの深みと豊かさと楽しさを教えてくれる。情熱のある生徒たちがいて、指導者たちは生徒のやる気を尊重し、音楽家になれと押し付けることはせず、でも甘くはない現実も教えてくれる、そういう雰囲気が影響を与えていると思う。
ーー 10年後は?
流れに乗っていきたい。自分はどんなことも好きだし、何でもやりたい。
朝、目が覚めたときに、良い気分でいられればいい。明日はいいことあるからとか、それがどんな理由でも。
Amir Bresler
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