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5. 《interview》 イスラエルジャズ界のトップドラマー: オフリー・ネヘミヤ 前編

はじめてオフリーを見かけたのは、2010年。まだ名前など知らなかった。
いつもと変わらない週末の夕方、窓を開けると外からかっこいいジャズが聞こえてきた。イベントでもあるのだろうか? 家族3人で家を出て、音の方に向かっていくと、そこにいたのは何と少年たちだった。渋いジャズと目の前の少年とのギャップに思わず目を疑った。
その時、一番目を引いたのがドラムのオフリー。当時16歳。スティックの一打一打がクールで小気味よかった。

    2010年、オフリーに出会った日。ドラムは路線バスに乗せて運んだとのこと。

それから13年。オフリー・ネヘミヤは個性派揃いのイスラエルジャズ界を代表する一人に成長した。6年前にピアニストのシャイ・マエストロのバンドのレギュラーとなり、世界中をツアーで回っている。その合間を縫って、多くのアーティストのサイドマン、時には自身のバンドで積極的に演奏している。テルアビブのライブ会場のスケジュールを見ると、オフリーの名前が載っていない日は少ないくらいだ。
3月初旬、自身のトリオを率いて訪日する直前、テルアビブのカフェで会って話を聞いた。


しっかりキャリアを積めば評価してもらえるNY

ーーコロナでNYからテルアビブに拠点を移してしばらく経つけれど、NYとテルアビブのジャズシーンを見て日々どんなことを感じている?

テルアビブのジャズシーンは素晴らしい人たちに支えられている。こんな小さなところにもかかわらず、本当に盛んでレベルも高いと思う。

NYは世界中から来た若いアーティストが大勢いて、とても興味深かった。しっかりキャリアを積めば次第に名前が知られ、評価も得られるところがNYだと思う。NYに行って4年経った2020年、やっと自分が演奏したかったアーティストたちから声がかかってきた頃にコロナが始まって、ライブは全部中止になってしまって、そのことは残念で仕方ない。そこに到達するまで、とても大変だったから。

一緒に演奏してみたいと思わせるものがあるかないか

ーー星の数ほどアーティストがいるNYで、その地位を手に入れようとどんな努力をした?

まずオメル(イスラエル人ベーシストのオメル・アビタル(Omer Avital))がいろいろと手助けしてくれた。2016年にNYに移動した時には、オメルのメンバーに入ることが決まっていた。ちょうどオメルはブルックリンで物件(今はライブスペースWilsonになっている)を購入して、改修の許可を待っているところで、壁は半分くらい壊れていて、最上階はドアもなかったけど、そこに5ヶ月くらい住まわせてくれた。それに、オメルはNYでの知名度も高いから、彼のメンバーということで他からも声がかかるようになった。

NY在住のアーロン・ゴールドバーグ(Aaron Goldberg)、またギラッド・ヘクセルマン(Gilad Hekselman) など、以前から知っているアーティストには自分からも連絡した。アーティストといい関係を築くのは簡単じゃない。その人の作品や演奏が気に入っているだけで、いいわけではないからね。その人を人として好きになり、お互いの信頼関係が築けなければうまくいかない。

一緒に演奏したいアーティストがいたら、家に行ってコーヒー飲んで、おしゃべりしたりする。そのうちにお互いのことがよく分かってきて、ギグに呼ばれるようになったり、少しずつアーティスト同士のネットワークが広がっていく。素晴らしい音楽家はNYに有り余るほどいるわけで、人として魅力があって、評判も良くて、一緒にやってみたいと思わせるものがあるかないか、そこが鍵になる。それがアーティスト同士のネットワークに入ってやっていくために一番大切なことだと思う。

          

初デートみたいな感覚だった

ーーシャイ(イスラエル人ピアニストのシャイ・マエストロ)のレギュラーになったのもその頃だよね?

そう。もちろんシャイのことは知ってはいたけど、それまで一緒に演奏する機会がなかった。初めてシャイとセッションした時、今やヴィレッジ・ヴァンガードなどでも演奏するジョエル・ロスJoel Rossもいたんだけど、シャイと僕は、音楽に対する理解が一緒だとひしひしと感じた。音楽というものについて、技術的にも、リズムのことも、グルーブの感覚も、お互いが本当に理解しあっていると実感したんだ。まるで音楽の伴侶に出会ったみたいな。だから、シャイとの初めてのセッションは初デートのようだった。

ーーそれほど強い感覚って他のアーティストにも感じることがある?

ガディ・レハビ(Gadi Lehavi オフリーと同年代のイスラエル人ピアニスト。オフリーとはGTOトリオというバンドで来日経験もある)とも深いレベルでの繋がりは感じる。ガディの音楽センスはとてもとても繊細だけどね。

ガディと初めて一緒に演奏したのは結婚式、BGMとして生演奏を頼まれて行った。僕が15歳、ガディは13歳。僕は風邪をひいていて、ガディはうつされたくないと近寄らなかったこともよく覚えている(笑)。その数年後かな、エリ・ディジブリ(Eli Degibri イスラエル人サックス奏者)が僕とガディをメンバーに呼んでくれて、お互いに若い頃からかなり一緒に演奏している。

ヒントになる音に、自由に反応していく

ーーシャイとのライブは完全に即興というけど、ほんとに完全に即興?

完全に即興の時もあれば、今日はこの曲は演奏しようという時もある。ステージ上では常に耳をそば立てて、シャイがメロディーでヒントになる音を弾いたら、僕らはすぐにそれに反応していく。みんないい耳をしているから、違うキーでメロディが始まっても、ちゃんとついていけるんだ。
ちょうど粘土を扱うみたいに、自由に形を作っていく。グルーヴ、テンポ、キーなども変えながら、自分達の能力の限界に向かって行く感覚。
数年弾いていなかった曲でも、僕らは50曲くらいは覚えていて自由に対応できる。決まったセットを繰り返すわけじゃないから、当然毎回違う内容になる。僕ら自身がその一瞬一瞬の興奮を楽しんでいることで、お客さんも楽しんでくれるんだと思う。

今は怖がらずにLessでいられる

ーー オフリーの演奏はいつもかっこいいんだけど、何が違うの?心掛けていることは?

Less is More、基本的にそれを心がけている。ドラムを叩く手数(てかず)が少ないことは演奏していないわけではなく、演奏をより引き立てる。若い時はもっと叩いたけど、今は怖がらずにLessでいられる。自分の演奏のことだけではなく、音楽全体にとって自分がどう演奏するのがいいのか、それをもっと考えるようになったのかもしれない。

後編に続く

Ofri Nehemya

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