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1. イスラエルのジャズとの出会い

近年のジャズ、イスラエルが元気だ。

Avishai Cohen(アヴィシャイ・コーエン)、Shai Maestro(シャイ・マエストロ)、Gilad Hekselman (ギラッド・ヘクセルマン)などなど、日本でも知られるアーティストは増えている。NYのジャズ・シーンにもイスラエル人アーティストは欠かせない。

私たちは、そのことを知っていたのではなく、徐々に知ることとなった。


きっかけはアヴィシャイ・コーエン

2009年7月8日夜、当時5歳だった娘を連れて家族3人であるコンサートに行った。NYにあるNew Schoolとテルアビブの音楽学校 Israel Conservatory のジャズ専科(The center for Jazz Studies)が、合同の教育課程を開始することを祝ってのガラ・コンサートだった。その時はNew Schoolが何であるかも分からず、ただアヴィシャイ・コーエンが演奏するという新聞広告がきっかけだった。

「イスラエルにはアヴィシャイ・コーエンという素晴らしいベーシストがいる。チック・コリアのライブに行ったけど、ベーシストにばかり目が奪われた。」とアメリカに住むジャズ好きの友人から10年前に聞いて、ずっと気になっていた。

コンサートは2時間ほどで、アーティストが次から次に演奏した。今から思えば豪華なメンバーだった。会場ではプログラムが配られた。初めて見る名前が並ぶ中で、シャイ・マエストロという芸名みたいなピアニスト、フルートのItai Kriss(イタイ・クリス)、そしてアヴィシャイが「彼が高校の頃に知り合って以来、彼との演奏は楽しい。」と紹介したピアニストのOmri Mor(オムリ・モール)が印象的だった。

 2009年7月31日 決定的な夜

そして7月31日、アヴィシャイ・コーエンのライブがテルアビブであった。そのライブに夫婦ですっかり痺れてしまい、しばらく二人で放心状態になった。言葉にならない、何なんだこれは!私たちがイスラエルのジャズに夢中になる決定的な日となった。

その時のピアニストは、あのシャイ・マエストロ。数日後、シャイ・マエストロがテルアビブ のLevontin7という小さなクラブで演奏するというので、早速行った。

中高生の少年たちが最前列の床に座り込み、シャイの演奏をじーっと見つめていたことが何よりの驚きだった。その場で新しい音楽が生み出されていく興奮が伝わってきて、少年たちは前のめり、私たちもすっかり引き込まれた。

演奏が終わり、控え室から出てきたシャイをその少年たちが囲んで、あれこれ聞いたり気楽に話しかけていた。アーティストとの距離がこんなに近いのか。その勢いで私たちもシャイに近づき、先日のアヴィシャイ・コーエンのライブでの演奏に感動したと伝えた。年季の入った堂々とした演奏だったので、シャイがまだ22歳だと知って驚いた。

シャイ・マエストロのピアノをもっと聴きたい、絶対聴きたいと思いながら家路に着いた。結局、それからシャイがNYに飛び立つまでの数ヶ月間、数えきれないほどのシャイのライブ全てに足を運ぶことになった。

毎週ライブ音楽を聴く生活が始まる

シャイと一緒に演奏していたサックスのYuval Cohen(ユバール・コーエン)やベースのGilad Abro(ギラッド・アブロ)、ドラムのAmir Bresler(アミール・ブレッスラー)にも興味が湧き、彼らが出る機会を探しては足を運んだ。実際彼らは毎週必ずどこかのライブハウスで演奏していて、私たち家族も毎週ライブ音楽を聴きに行く生活が始まった。

演奏される曲は、オリジナル楽曲やイスラエルで知られた曲をアレンジしたものが多く、それまでイメージしていたジャズとは少し違った。アーティストはどんどん新しい曲を試し、何よりアーティスト同士が楽しそうで、それに、素人の私たちから見ても、とてもうまかった。

ある日のこと「次の曲は、妹が一緒に演奏します」とユバール・コーエンが何やら誇らしげにステージから妹を呼んだ。「なんだ、妹かよ」と思ったのも束の間、最初の音から「おいおい、すごいな」と釘付けになったことがあった。それもそのはずで、その妹とは世界中で活躍するAnat Cohen(アナット・コーエン)だった。さらに、弟はこれまたアヴィシャイ・コーエンAvishai Cohenと言って、我々が惚れ込んだベーシストと同姓同名の国際的に知られたトランペット奏者であること、また、兄弟3人で「3Cohens」というユニットがあることも会場の人に教えてもらった。

通ったライブは138回

ライブ会場に行く度に新しいアーティストと出会い、次々と生み出されるフレッシュな音に感動し、もっと、もっとと夢中になって追いかけ続け、次第にライブ会場の最前列は私たち家族3人の定位置になった。そして、演奏の途中から娘が寝入り、ライブ後に背負って帰るというのがお決まりになった。

イスラエルを離れるまでの3年間で通ったライブを数えると138回。アーティストだけではなく、その家族とも知り合い、気がつけば私たちは元気なイスラエルのジャズの世界の一員になっていた。

正直なところ、今でもジャズそのものはよく分からないし、ジャズ好き?と聞かれるとちょっと戸惑う。でも、特別に音楽好きでも、ましてやジャズ好きでもなかった私たちを魅了するものが、ここにはあるなと思う。

9年ぶり、イスラエルジャズ再び

2021年8月、9年ぶりにイスラエルに戻り、テルアビブでのライブ演奏を聴いた途端、あーこれこれ!と一気に感覚が戻った、またこの楽しみを味わえるのだ。

なぜジャズなのか、何がここまで惹きつけるのか?世界で活躍するアーティスト、その家族、未来のアーティストを養成する教育者、ライブハウスのオーナー、プロデューサーなどの声を通して、イスラエルのジャズのおもしろさを伝えたい。




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