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謹賀新年…と言うより寒中見舞い?

新型コロナ禍も何とか収まって行動制限がなくなり、落ち着いたかと思えた2023年が終わり、2024年になりました。
元日は各新聞社で一年の抱負が語られた分厚くて重い新聞、即ち「ガンジツスゴクオモイシンブン」が各地で出回った事でしょう。
今回は諸事情により地元・富山県を離れられなかったので今年の元日は取り敢えず地元で手に入る範囲内で集めました。
しかし、16時10分にとんでもない事が起こりました。

「令和6年能登半島地震」です。

当時いた場所でも強く揺れました。富山県内では震度5以上の地震は記憶にある限り2007年の能登半島沖地震以来なく、油断し切っていました。
自宅では机上の書類や山積みにしていた新聞や本が倒れました。
その後も断続的に余震があり、数回緊急地震速報がスマホから鳴り響いていました。
運悪く翌日1月2日は全国的に新聞休刊日。スポーツ紙の「臨時即売版」さえも休刊と言う最悪のタイミングで、1月2日には号外は出回ったものの普通の新聞紙面で反映されたのは翌々日の1月3日朝刊でした。

その後も連日富山県と石川県の地元紙では震災の影響が1面を飾っています。震源であり最大の被災地である能登半島では地震で地割れや陥没などで幹線道路が機能せず、港湾も津波や地震による隆起などで麻痺が続いていました。現在に至るまで各地から結集した自衛隊・海上保安庁・消防・警察など捜索・救出活動が懸命に行われていますが、今でも被害の全貌が掴めず、連日新しい被害が報告されています。

やっとの思いで道路が通行可能になっても現在は緊急車両が最優先であり、馳石川県知事も各所で「能登への移動を控える」事を呼び掛けています。

現状能登半島各地では地震で破壊されたインフラの復旧工事と死傷者の捜索が同時進行で行われています。現状は落ち着いて義援金や支援物資の受け入れ態勢を待って、公的な受け入れ態勢が整ってから動く段階だと思っています。

新年の挨拶どころではなくなってしまいましたが、2024年も宜しくお願いします。

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