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生きていく限り、生きる糧が必要なのだ
吉本興業の問題が世間を賑わせている。
私は芸能界についてもテレビ局の問題についても詳しくないから、その善悪について語るつもりはない。
でもひとつだけ。ロンブーの亮さんの言葉に胸をぐわっとつかまれた。
会見中にファンから届いた応援の言葉に対して
この後、自分がどうなるのはどうでもよくて、今後どんな活動していくかは考えていないんですけど、生きるにあたって糧になると思います。
彼はこう答えて号泣。頭はがくっと落ち、ぐしゃぐしゃの顔とあふれる涙をハンカチで抑えるようにぬぐっていた。
「生きる糧になる」
本当に重い、体重がのった言葉だ。
どれだけ間違ったことをしてバッシングを受けている人間も、生身の人間なのだ。仕事どうこうではなく、生きると決めたなら生きなければならない。この問題が騒がれている今も、いずれ忘れ去られる未来も、彼は生きていく。生きていく限り、生きる糧が必要なのだ。
だからいろんなものを背負っている彼に、ファンや仲間という「生きる糧」があって本当にほんとうによかったなと思っている。
今回のことと自分を比べるつもりはないが、私自身も今までの人生で悩んだときもあれば、苦しいときもあった。
それでも今こうやって立っていられるのは、たくさんの生きる糧があったから。
学校の人間関係に悩んでいたときに救ってくれたのは、私の個性を受容してくれた先生たち、気持ちをただ受け止めてくれたピアノ、そして勉強だった。
読書や海外旅行は、今いる場所だけじゃないからと、私の視野をいつだって広げてくれた。
SNSに投稿される写真の美しさは、癒やしと希望をくれた。
そして、どんな文字だって書きつけてきたノートと。産まれたときからずっと見守り続けてくれる家族も。
この生きる糧があったから、私はここにいられるのだ。
「生きる糧」とか「生き抜くとか」はたまた「死」とか、そういう言葉は暑苦しいよと感じる人もいるのかもしれない。でも私にとっては、どちらかというと、じんわりとした切ない、慈悲のような気持ちがこもった言葉に聞こえる。キラキラはしてないかもしれないけど、苦しいときに、それでも生きようと思わせてくれるものたち。
だから私もだれかの生きる糧になるような文章を書いていきたい。写真を撮っていきたい。いまは全然実現できていないけれど、信じてやっていこう。
困ったとき、悩んだとき、後悔したとき、また今日も生きようと思ってもらえるようなものをつくれたら、それほど幸せなことはないと思うなあ。
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