これから「素直に伝える」経験を
憧れている人がたくさんいる。彼らに共通するのは、自分をさらけ出していること。
嬉しい出来事はもちろん、葛藤や悩みも正直に打ち明ける。何よりすてきだなあと思うのが、「私はこうしたい」という思いを素直に公言したり行動にうつしていること。
だけど私にはそれが難しい。素直に言ってはいけないという思い込みがあるのだ。
あるとき写真のレタッチを教えてもらう機会があった。「洋子さんはどういう写真にしたいですか?」と聞かれたのだけど、答えることができなかった。
「こんな写真を撮りたい」という思いは私の中にあった。でもそれをそのまま素直に出すことができない。なぜなら「こんなこと言ったら恥ずかしいかな」「うまく伝えられないだろうな」「空気読めてるかな」といったたくさんの心配事が、脳内で大渋滞を起こしていたからだ。
こういうとき、すぐに共感してもらえそうな発言=模範解答を、あたかも自分の思いのように言うことも少なくない。
そんなことあるの?って思う人もいるのかもしれない。でも本当なのだ。
しかも、自素直な思いを押さえ込んでいることに、ここ最近まで気がつかなかった。それが当たり前すぎて。
気づけたきっかけは、桜林さんだ。自身の経験をもとに考えた「自己肯定感」の正体を、分かりやすい言葉にして見せてくれる方だ。
ここ1年くらいだろうか。彼女のnoteが公開されては何度もなんども読みこんで、言葉を自分の過去に当てはめていった。すると素直な気持ちを抑え込んでいたことに意識的になれたのだ。
他の人たちが楽しそうにしているときに声をかけたくてもかけられなかったこと。質問したかったのにしなかったこと。いっぱいいっぱいだったのに、頼まれた仕事を断れなかったこと。
すべて言ってはいけないと思い込んでいたのだ。言ったら迷惑をかけるから。恥ずかしいから。変な人だと思われそうだから。
こんな自分を変えたい。
そう思ったのは、素直に「こうしたい」を公言して走っている憧れの人たちと、素直な思いにフタをして勝手な我慢を積み重ねている自分との違いに、嫉妬してしまいそうだったから。
本当の思いを伝えることは今でもすごく怖い。だけど隠し続けたらいつまでたっても今の位置のままだ。指をくわえて憧れの人たちを傍観して、嫉妬に狂う人だけにはなりたくない。
ただ、素直に伝えるのが苦手な自分を卑下しているわけではない。苦手だからこそ、伝えられたときのよろこびは人一倍だ。
本当に思っている愛情や感謝を伝えると涙目になってしまうのだけど、それほど伝えたかったんだなあ、ずっと胸の中に押さえ込んで苦しかったんだなあ、なんて自分のことながら思う。
これまで以上に、noteやTwitterで、素直に伝えることを意識していきたい。素直になれないからこそ、同じ気持ちの人たちの苦しみが分かる。誰かの「素直になりたい」を叶えていきたい。そして自分のも。
時間はかかるかもしれないけど、少しずつ慣らしていけば、長年の習慣も変えることができる。そう思っている。
写真と文章とピアノがすきなのは、口頭では素直に伝えられないことも表現できるからかもしれないな。
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