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【8500字自己紹介】新卒の会社を半年で辞めたら泥沼転落人生が待っていた

新卒退職~転職~うつ病発症~破産~現在を綴った8500字の自己紹介文です。有料(150円)にしていますが全文ご覧いただけます。よければご支援お願いしますm(__)m

▼参考:前回アップ分(新卒の話中心)

【①新卒入社編】ブラック企業に入ってしまい、激務で半年で退職

僕は就活に苦戦し、目先の内定にとらわれて新卒で週6勤務・月300時間労働の零細企業に入ってしまった。職種はリフォーム営業。

週6勤務で年休90日程度、しかも安月給なのは入社前から分かっていたことなのだが、「いけるやろ」みたいな軽いノリで入ってしまった。大バカ者だ。反省してもしきれない。浪人してまで中堅大学に進んだのに何をしているのだろうか。

ここから人生のレールを外れていくことになった。

思考停止営業マンになったのがすべて始まりだった

僕は経営学部出身で、「文系=営業職」という固定観念にとらわれていた。自分は内向的で人見知りの性格だったので、明らかに営業マンに向いていないことは分かっていた。ただ、他の道を探すことはしなかった。雰囲気に流されたのだ。

営業のストレス、みなし残業、土曜日も仕事という苦痛…
プライベートはほぼなく、入社1ヵ月半で帯状疱疹が出た。原因はズバリ「疲労とストレス」とのこと。

帯状疱疹自体は1週間ほどで治ったが、心身の不調が続いた。体力が急激に落ちた。

社長面談があったので、その時に不安を伝えた。すると
「休め。完治するまで戻ってくるな」
と言われた。こうして1回目の休職生活が始まった。


強制休職生活になってからは、体が鉛のように重く、体力が戻らない状態が続いた。

「完治」をめざし、夏の猛暑の中ランニングして体力をつけることに励んだ。
といっても、何がどうなれば完治なのか分からず、復職するのに2ヶ月ほどかかった。

転職も考えてハローワークにも行った。復職することを勧められ、悩んだ末に戻ることにした。

上司には「戻ったということは、完全に治ったとみなして指導していく。体調の考慮はしない。同じ病気では休めないよ」と釘を刺された。


復職してからはメンタルがおかしくなっていった。

車通勤だったのだが、ストレスをアクセルペダルに向けるようになり、田舎道を毎日110キロでぶっ飛ばした。

山道のカーブ手前で「このまま真っすぐいってガードレール突き破ったらどうなるのかなぁ?」なんて考えたこともあった。

当時は診察を受けてないので分からないが、今思えばこの時からうつ病だったのかもしれない。

辞職は突然に

ある日の会議で、えげつないノルマを課せられた。社長は「数字を達成できない社員はいらない」とも言っていた。発破をかけるためか本気で言ってるのかは分からない。

会議中に「もうここではやっていけない」と決意し、その日の夜に上司に退職したいと伝えた。すると「社長室に行こう」と言われ、上司と社長と3者面談することになった。

「15日(締め日)まであと2日あるけど、試用期間やし引継ぎも特にないから今日で終わりな。給料は出すから。お前はまだ若いからこれからなんとでもなる」

退職届も書かずに辞めることになった。こういう時だけ異様に仕事が速い。

荷物を片付けるよう指示され、残業でオフィスに残っている人にだけ挨拶をした。

1つ年上の女性社員は動揺して涙を浮かべていた。「あぁ、女を泣かせてしまった」と思った。

こうして一瞬にして無職の世界に放り出された。明日からどうしよう。

9月13日の夜、風が冬のように冷たく感じた。

【②既卒就活編】「何で辞めたの?」ハードモードの転職活動

その後、転職活動を始め、何社か面接を受けた。性懲りもなく営業職である(まだ思考停止状態)。

第二新卒といっても早期退職がネックとなり(ほかに要因はあるかもしれないけど)、採用されることはなかった。

「なんで辞めたの?」と人事に必ず突っ込まれる。

「特別ブラックでもないよ?これくらいの仕事で辞めてるようじゃやっていけないよ?」

合同説明会のブースであなたのとこの人事に呼ばれたから行ったんだけど…

確かに仕事内容でブラックとは言い難いが、安全帯をつけずに住宅の屋根に登らせるのは完全にアウトである。

新卒と既卒で人の扱いが極端に変わる

大学を卒業したての新卒採用者はたいてい入社月の4月から数ヶ月程度、合同の新人研修を受ける。そこで電話応対や名刺交換など、基礎的なビジネスマナーを身につける。入社してからしばらくずーっと座学という学生時代の友人もいた。

僕のいた前職にそんなものはなく、入社日からいきなり現場に放り込まれた。で5月に帯状疱疹になって休職→退職だから、社会人スキルなど欠片もない。

新卒入社だと、会社が手取り足取り教えてくれる。既卒の転職者はというと、基本的なビジネスマナーは前職で実践レベルで身に着けていて、教育しなくてもすぐ現場で働ける人と見なされる。すなわち即戦力というのが採用側の認識だ。

入社1年目の年で「新卒」の肩書きがなくなると、一度蓋をあけたぬるいコーラやワケありB品のように扱われる。
半年もたずに脱落したので、社会人経験なんてあってないようなもの。人としての価値がないんだと痛感した。

手に職つけて再スタート…のはずだった

そんな時に参加したハローワークの就職セミナーで、職業訓練校の紹介があった。ここで手に職を付けてやり直そうと決め、職業訓練校に入校した。

そこで資格を取り、運よく大手企業に入社できることになった。
外れたレールからやっと戻れると思った。

しかし、今度は奈落の底に落ちた。

【③2社目入社編】転職のストレスで適応障害に

2社目はビルメンテナンス会社に設備管理職として入社した。なぜこの業界を選んだかというと、ネットでラクと言われていたからだ。
(まあラク以外にも職業訓練で取った資格も活かせるし、技術職のほうが自分には合っていると考えたから、というのもある)

やっぱり前職のことから、営業での負担を減らしたかった。

配属先は上司(チーフ)、中堅正社員、ベテラン契約社員、嘱託社員、そこに新人の自分を入れた5人という、男だけの少人数体制だった。

いきなり事務所のナンバー2になった。まだ試用期間なのに

入社して1ヵ月後、中堅の正社員が玉突き人事異動になり、その後任としてまだ試用期間だった僕が繰り上がる形になった。
右も左も分からないまま1人シフト、すなわちワンオペがこの日から始まることになった。

業界未経験のぺーぺー。なのにいきなり事務所のNo.2(責任者代理)にのし上がってしまった。
キャリアや経験など一切関係なく、正社員採用という理由だけで選ばれた。

責任者の業務に対応できるよう、上司がバンバン仕事を振ってくるようになった。とりあえずがむしゃらにやるしかなかった。


といっても、確かにラクな側面もあった。
電話がバンバン鳴るわけじゃないし、ヒマな時間もあったし、残業することもあまりなかった。

ただ覚えることが山ほどあった。

ビルメンテナンスというの言わば「建物のなんでも屋」。電気屋のオヤジ業務から空調設備、給排水、DIY…あらゆることをオールマイティにこなさなければならなかった。

マニュアルに沿って対応する業務はほぼない。ルーティンワークもメーター検針くらいで、「トイレの手を洗う水が流れない」とか「漏電してる」とか、不測の事態に対応するのが仕事みたいなもの。

なので、毎日がイレギュラーで、毎日が不測の事態なのだ。依頼がくるたびに心の中で「知らんがな」というのが口癖になった。

とにかく覚えるのに必死だった。現場のことは現場でしか分からない。それに加えて責任者である上司の仕事も振られてこなしていた。事務処理、資料作成、顧客対応、そして営業のノルマも課された。

何か客に備品の修繕を頼まれても
「すみません、できません」
「明日(午後から)なら分かる者が居るのでお待ちいただけますか」
と言うしかない。できることと言えば管球交換くらい。

大半がワンオペなので、仕事中に聞ける人は誰もいない。これが大きなストレスだった。

ヘコヘコ謝ることが、自尊心というか、内面をじわじわと潰してきた。
試用期間も終わってないのに1人でいったい何ができるねん!という話だが、何もできない自分というのは辛いものがある。

知識も技量もなく、客の依頼に対応できない。「早く一人前にならなければ」というプレッシャーがかかる。

適応障害と診断された

入社から3ヶ月ほど経って、次第に腹痛やフワフワするめまいがするようになった。「新入社員だから」という言い訳も通用しないなあと思うようになった。周りからも「期待してるで」と言われる。プレッシャーがきつくなってきた。

しんどくなってきて心療内科を受診したら、適応障害だと言われた。

ちなみに適応障害というのはちょっと休んだらすぐ戻れるような生易しい病気ではない。雅子さまを見ていればよく分かると思う。

医者の指示を無視して悪化、心身限界に

ここで僕は痛恨のミスをした。医者の休職の診断を拒否してしまったのだ。

ペーペーの分際で謎の責任感を発揮して「一人勤務だから休めない」「仕事が回らない」なんて思考になっていた。全然休めたのに。

医者の指示を無視して仕事を続けて症状が悪化。めまいでフラフラしながら帰って布団にダイブするようになり、夜一人になった事務所の奥(空調設備やダクトのある薄暗いスペースでいじけるにはぴったり)で、プツンと糸が切れて無気力になり、すべてを放棄して座り込んだ。
この数日前にようやく上司に相談して、仕事量を減らしてもらえたけど、時すでに遅しだった

心身限界を感じ、心療内科に駆け込んだ。「もうムリ、休もう」という気しかなかった。今回も休職しなさいと言われた。ちゃんと免罪符というか証明が出て、すごく安心したのを覚えている。(まあ3ヶ月休めと言われたのを「いや、1ヶ月で」なんて言ってたけど…)

上司に電話し「医者から休職の診断書が出ました。休ませてください」と伝え、そのまま休職することになった。
次の日は半日ワンオペの日だったけど、行く気力はもうなかった。上司が休日をつぶして出勤してくれたらしい。人1人休んでも、会社なんて普通に回る。

なお、休職してから適応障害から「うつ病」に診断名が変わった。

そして、二度と出勤することはなかった。

【④2社目休職→退職編】会社から40万弱請求されて1度目の破産


「40万請求?はあ?」と思った方もいると思うが、これは読者の皆さんにも普通に起こり得る話である。以下に少し解説をする。

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当初、欠勤扱いの「病欠」で仕事を離れ、規則で2ヶ月後から正式に辞令が出て「休職」の扱いになった。
どちらも仕事を休んでいることに変わりはない。

当然だが、欠勤すると、その日数分の給料がなくなる。
しかも0円どころかマイナスの給与明細と請求書が会社から送られてくる

基本給は一旦支給される形になるが、前月の欠勤控除で同額マイナスされて結果0円になる。
これはどの会社でもだいたいそうだと思う。

休んだ日数分の定期代精算と、社会保険控除やらなんやらで計17万円。

さて翌月。

基本給は一応支給されているが、前月の欠勤控除で±0円。

先ほど「2ヶ月欠勤すると休職扱いになる」と書いた。
「欠勤」から「休職」に扱いが変わるとどうなるか。

欠勤控除で口座から引かれるタイミングが「前月」から「当月」に変わる。

すなわちどういうことかというと…

「休職」が開始した月は、「当月欠勤控除」と「前月欠勤控除」が同時に発生する。

「前月」の請求は、基本給で相殺されて0円になるが、「当月」の請求が発生するので1か月分の基本給がまるごとマイナスされる。
社会保険諸々合わせて21万円請求された。

これが40万弱請求されたカラクリである。
(2ヶ月間の合計でおよそ39万円。翌月から社会保険諸々のみの請求となる)

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大卒後入った会社をすぐに辞め、訓練校に通ってからの転職した僕に貯金などほぼない。で病気になって働けなくなってしまった。

そんな時に、会社から40万弱請求された。

事情など考慮されることもなく、十万もの大金をさも当たり前のように、何の猶予もなしに、紙切れ1枚で「はい払ってね~」と突きつけてくる。

ひと月目が20万ほどの請求で、その時点で会社に「お金ないです。払えません」と電話したが意味はなかった。

翌月にもほぼ同額を請求され、もうこれで残高がゼロだ。
「あ、終わった」こう悟った。

弱った体にえげつないボディブロー。会心の一撃。こんなものどれだけ頑張っても強制終了の即死ゲーでしかないだろう。


悔しさ、無力さ、理不尽さ、そして現実。
1社目選びのミスがここまで尾を引いて、人生が狂うのか…

床を何度も殴り、請求書をビリビリに破き裂いた。
そんな僕の姿を見かねて、結局母が25万円貸してくれた。

頼みの綱の傷病手当金、支給まで2ヶ月かかった

破産の一因になったのが、傷病手当金の支給の遅れである。

病気やケガで仕事を連続して休むことになったら、「傷病手当金」という補償を受けることができる。当然僕も申請した。しかし、一向に支払われない。

支給が待ちきれなくなったので(というかガチで生きられないので)、会社の健保組合に問い合わせた。

「支給日はいつ?」
『分かりません』
「審査は通ってるの?」
『答えられません』
「分かり次第連絡もらえる?」
『できません』

清々しいくらいの塩対応だ。

その後、ツイッターのフォロワーさんから「事情を伝えれば早めてくれるのでは?」とアドバイスをもらい、再度連絡を試みることに。
セリフを用意し、情に訴えかけることにした。

「休職中でお金もらう術がありません。1年目で貯金もありません。傷病手当金の支給の見込みが立たないままだと借金もできません。親からも見捨てられ食べていくことができません。金の切れ目が命の切れ目です。どうか助けてください」

ちょっと盛ったが大方事実。意を決して2回目の電話を掛けた。
前回とは違う人が出た。

「傷病手当金はいつ支給されますか?」
『お調べします。少々お待ちください。・・・今月末の予定です』
「え…あ、わかりました…」

泣きつく気だったので、拍子抜けだった。あっけないというか、どんな手のひら返しなんだ…と思った。
電話して1週間後くらいに無事支給された。

慣らし勤務が認められず、復職届を出して退職

安定してお金が入る状況が戻り、リハビリに集中できるようになった。「焦らずゆっくり治しましょう」とは言うが、会社はいつまでも待ってくれない。規則で定められた期間以内に治らなければ雇用契約が終わる。諦めなくても試合終了だ。

主治医の指示で、復職後数ヶ月の時短勤務と業務の軽減を会社に要望したが、それが認められなかった。
8時間勤務が6時間勤務にしかならなかった。転勤は決まっていたが、業務内容や量は全く同じだ。

辞めさせたい意図が見え見えで、「じゃあ辞めます」と言っても二つ返事で終わった。
病気を理由に辞めされることはないはずだが、これではクビも同然だ。

結局、休職期間満了で退職(自己都合にならなかったのが唯一の救い)。そんなわけで再び路頭に迷うことになった。
心療内科の復職支援プログラムに通っていたが、戻る会社がなくなってしまった。

【⑤就労移行支援編】「前年度所得」が足枷となり2回目の破産

再発防止のためにしっかり準備をして再就職すべく、主治医から就労移行支援施設を紹介してもらい、そこに通うことにした。

その当時は貯金に少し余裕があった。
傷病手当金のストックがあり、その満期も見越して障害年金も申請していた。

といっても収入より支出が圧倒的に多く、徐々に貯金が減っていった。

利用料は月9300円。9割の人が無料らしいが

就労移行支援は福祉サービスで、市からの助成を受けて利用することができる。利用料は所得に応じて決まり、「9割の人は無料」とのことだが(どこの事業所もそう謳っている)、前年度に所得がある人はその額に応じて月上限9300円の利用料がかかる。

僕はたった半年とはいえがっつり仕事していたので、MAXの9300円かかることになってしまった。これがまた大きな痛手である。

住民税でもなんでも、前年度の所得で決められるのは本当に困る。無職で一番しんどい時に、現役バリバリ社会人が払う額を請求されるのである。今が苦しいのだから、今の基準で判断してほしい。「前年度主義、マジでやめませんか?」と心の底から思う。

一度社会のレールから外れたら、底辺から抜け出せなくなる理由の一つがここにある。

当時収入は障害年金のみ、2ヶ月で8万円

入ってくるお金は障害年金の中でも最低額の厚生3級。年間で48万円程度を2ヶ月に1回分割して振り込まれる。もらえるだけありがたいんだけど…いやあやっぱり安い。

少し余談になるが、同じ精神疾患でも、パニック障害だと「神経症」に分類されて支給の対象にすらならない。発作のほうがよほどしんどいと思うのに…

今日の年金事情は出し渋りが異常で、本当に必要な人が頼んでも貰えないのが現状。万が一に備えて年金申請を社労士に頼んだ。成功報酬で15万くらい払ったが、まあこれは避けられない投資である。

支出は交通費、病院代、生活費、税金等の固定費、そして就労移行の利用料

交通費は月平均15000円かかる。通所・通院先が遠く、乗り換えもあって余計に電車賃がかさむ。たまには遊びたくて県外に出ることもあったが、そんな感じで多い時は18000円の月もあった。

精神科は自立支援医療で自己負担はわずかだが、アトピーで通っている皮膚科代が月4000円ほどかかる。あと時々体調崩して通う内科が予定外の出費に。

その他税金は国民健康保険税が月8000円ほど、ケータイ代は格安SIMにしてるので、本体の分割払い込みで4000円ほどで済んでいる。
キャッシュレス決済の還元をフル活用したり、節約についてやれることはやっているつもりだ。

で、生活費としては、実家で住ませてもらっているが、家に入れるお金として毎月3万払っている。親は定年再雇用の安月給。家計は厳しい。
まあ3万円で家賃光熱費食費すべてコミコミと思えばかなり安いと思う。ほんと助かっている。

そんなわけで赤字である。
不定期の試験監督バイトもしているが、気持ち程度の足しにしかならない。

実は洋服代が一番かかってるんだけど…

趣味で浪費してんのかい!って突っ込みたくなった人もいると思う。否定はしない。

洋服が趣味で、服や靴を買ったり、コミュニティ内のイベントに参加したりで、ユニクロがメインといえど毎月数万円は消えていっていた。
これを我慢していれば、残高ゼロはあと数ヶ月は遅くなっていたと思う(余命があることに変わりはなかったけど)。

あなたは自分の一切の楽しみを遮断することができますか??

財布の紐を緩めて後先考えずにお金を使ってしまったのは自分の失敗。が、これだけは少し言っておきたい。

洋服で気持ちを前向きに持っていって、やっとこさ精神を保てているところもある。それを排除してしまうと、はっきり言って生きている理由がない。カイジだって地下強制労働のなけなしの賃金で、キンキンに冷えたビールを飲んでいるのだ。
言い訳がましくなるが、いくらお金がないといっても、少しの楽しみは持っていたい。

服を売り払い、失業保険を貰って就活中

どうしようもなくなったので、また親に頭を下げて借金をした。そして勢いのままに、金目になる手持ちの服や靴を半分以上売り捌いた。5,6万円ほどにはなった。クローゼットがスカスカになった。

病状が回復したとはいえないが、就職を急いでハローワークで失業給付を申請した。医師から就業可能の証明を書いてもらえば、辞めてからブランクが多少あっても、受給期間を延長して申請することができる。

一度失敗するとドツボにはまる社会

1社目の会社選びの失敗
休職の診断を無視する失敗
浪費の失敗…

このような失敗で社会から一度脱落すると、どんどん地に落ちて元に戻れなくなる。そういう構造になっているんだと痛感した。

特に新卒の会社を早々に辞めると、前科でもついたかように人生が狂う。学生時代の判断ミスが、ここまで尾を引くとは夢にも思わなかった。

2社目を休職してさらに金欠で追い詰められたのも、1社目を早期退職したことが響いている。そして会社に戻れなくなって退職しても収入が途絶えても、現役バリバリで働いている額の税金を取られる。
このようにして負のスパイラルが起こり、貧困に陥る。

自分のミスも大いにあるが、社会を恨みたくもなる。罪は何一つ犯していないのに。早く普通の人間らしい生活を取り戻したい。

もし読者さんの中に、春から新入社員!がんばるぞ!という人が居たらぜひ知っていてほしいこと。それは

・しんどくなったらすぐ休もう。体が資本
・けど1年以内に辞めるとその後の人生ベリーハード

相反することを言ってる気もするが、これが僕の経験したすべてである。現実としてぜひこの2つだけでも頭の片隅に入れてほしい。

最後に

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