見出し画像

家族という名の収容所 

家が一番落ち着くところ

って、みんな言うよね。


でも、わたしは、
自分が生まれ育った環境を
人に理解してもらうために、

まるで
「刑務所」のような
「収容所」のような
ところだった。

という例えで表現している。今は。
というか、その言葉が一番しっくりくると気づいた。



きっと、こう話しても
にわかに信じる人は少ないだろう。


なぜなら、
私の家族は外から見たら、
「普通の家庭」に見えていたから。



両親は共働きで、同居する祖母が子どもたちのお世話をする。
身なりもきちんとしてるし、ご飯にも食いっぱぐれることはなかったし、
ネグレクトや暴力などの虐待もない、恵まれている、
側からみたら、幸せそうな3世帯家族。

「おばあちゃんにかわいがられて、愛されてるね」
なんてまわりからはよく言われたもんだ。


それくらい?
母も祖母も近所付き合いもふつうにやってたし、
彼らは「いい人」という社会的地位も確立していた。


人々は、彼らの家の中での本性が
見た目とは全く違うことなど想像もできない。


わたし自身も、
親に多少酷いことされつつも、
おばあちゃんには愛されて育ったし…
と思っていたんだけど、


ある日突然、
親との不健全な関係や家族のトラウマ(精神的な虐待や教育虐待)によって、
生きづらさや心の不調に気づき始めた。

そっからは、
人に自分の家族のことをなんて言えばいいかわからなくて、

「親とはちょっと折り合いが悪くて」

「うちの親は厳しい人で」

と、濁すのが精一杯だった。


心の奥の方では
ちがう、ちがうの!本当はちがうことを言いたいの!
モヤモヤするものをいつも感じてた。
だけど言葉にはできなかった。


ずいぶんと、
人に誤解されたり、ちがう意味で取られたりしてきたと思う。
ちゃんと理解してもらいたいのに、分かってもらえないもどかしさ。

根底には、
どうせ言っても誰にもわかってもらえないだろう
という諦めも強かったと思う。
だけど、諦めるしか方法がなかったからなんだけど。


時間はたくさんかかったけど、
カウンセリングなど専門家の力を借りながら、
わたしはようやく、自分の言葉で一番しっくりくる言葉で表現できるようになった。


それは裏返すと、
わたしがそこまで自分の気持ちを表現できないように、しつけられたということでもあるんだけど。


自分の意思や気持ちを自由に表現できないように
徹底的に育てられたということ。


こういう表現は本当はしたくないんだけど、

例えるなら
母や祖母が看守で子どものわたしは囚人。
支配するものと、支配されるものという関係。

わたしの親子関係を説明するのに、
これがなぜかぴったりくるのだ。

それが、わたしが育った家庭環境を
刑務所や収容所と例える大きな理由だ。


祖母も母も父も、とにかく話が通じない。

会話のキャッチボールができない。

対等に話し合って決める(解決する)という習慣がない。

イヤだとか、嫌い、とか、やめたいと言った本音も、
ワガママや口答えと鬼の形相で怒られる。

例えばそれが、
この食べ物キラ〜イ!
ちゃんと食べなさい!と言った
些細なやり取りだったら
なんの問題もないと思うけど、

進学先や職業を一方的に強要されるなどは、
人生においての重要なポイントで
大切な決定権を奪われることになる。


世間に顔向けできる評価される、
親にとっては娘は一種の商品のような感じだった。





これは、ふつうに育った人には理解できないと思うけど、
母も祖母も、わたしには何を考えているのかわからないっていうか、
不気味な感じがした。人間の感情がないような。
それは、人前では優しい母いい人なのに、
2人きりや家では、別人のようになるからもあるかも。

困った時も、親に相談したり頼ったり、甘えたりできない。

わたしはいつも、彼らに常に監視されるのが苦しかった。


いつのまにか、親の監視下の中で、
自分の考えや感情を押し殺して生きていた。

生き延びるためには、彼らの顔色をうかがい従うしかなかったからだ。


その甲斐あってか、
わたしは礼儀正しく、
それなりに勉強もできて
親が人様に自慢できるように仕上がった。

頭いいね〜
いい子に育ったねえ
いいお母さんとおばあちゃんだからねえ

ただ、周りの人は、上辺だけをなぞって、
そうやってキレイな言葉で飾り立てるだけ。

それは、環境に適応した人格が出来上がっただけなのに。


本当の自分は、なにが好きでどうしたいのか、
感情マヒがひどくて、
自分の感情や考えがわからなくなっていた…


そんな中でも、1つだけ確かに感じれたのは、
ここにい続けたら、完全に自分が壊れてなくなって、
一生彼らのロボットになってしまうという危機感だった。

あの時の湧きあがった感情は、
本当の自分からの精一杯のSOSだったのかもしれない。



最後まで読んでくれた人ありがとうございます。
少しでも共感できたら、スキやフォローで応援ください。


















この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?