【調べ物】歴史から学ぶDX -第一次産業革命(蒸気機関)-
■ DXに疲れたら
もう日々デジタルだAIだIoTだ・・・疲れましたよ!もう。デジタルトランスフォーメーションってもう映画トランスフォーマーの変身風景しか思い浮かばないんですよ。物理をかじった身として質量保存則は無視できないので、トランスフォームする前の車って尋常じゃなく重いんやろーなぁ。とか思ってたわけですが、トランスフォームと聞くとあの風景しか思い浮かばないんですよ!それをデジタルにトランスフォームするって言われましても全然パッと浮かんで来ないんですよ!見えるもので説明してくれ!!
・・・というモードなので、ちょっと過去のDX事例を学んでみたいと思います。現在のIT革命は第四次産業革命と呼ばれており、その革命に乗れーーー!GAFAに負けるなーーー!生産性を上げろーーー!デジタル庁じゃーーー!などの号砲が鳴り響いているわけですが、第四次と言われるぐらいだから1次~3次もあるんだろう。という事で振り返ってみます。
■ 産業革命とは
第1次~第3次とか言われる前に、そもそも産業革命って何やねん。というレベルなので、おなじみWikipedia先生の1文目からインストールしたいと思います。
産業革命(さんぎょうかくめい、英: Industrial Revolution)は、18世紀半ばから19世紀にかけて起こった一連の産業の変革と、それにともなう社会構造の変革のことである。
なるほど。「一連の産業の変革と、それに伴う社会構造の変革」のことなんですね。うん、分からん。(^-^)
もう少しお願いします。。2文目はどうだ・・・!
産業革命において特に重要な変革とみなされるものには、綿織物の生産過程におけるさまざまな技術革新、製鉄業の成長、そしてなによりも蒸気機関の開発による動力源の刷新が挙げられる。これによって工場制機械工業が成立し、また蒸気機関の交通機関への応用によって蒸気船や鉄道が発明されたことにより交通革命が起こったことも重要である。
お・・・!ちょっと具体的になったぞ!「蒸気機関の開発」ってもしかしてエジソンさんのあれか!いや~すごいなエジソンは。さすが発明王!
ほうほう。生涯研究に没頭し、1日30分の仮眠を何回かに分けて24時間働いていたとな。。84歳でもまだ16時間仕事に没頭していたとな。。えーっと・・・働き方改革とは。。。まぁそこはいいや!蒸気機関蒸気機関・・・ん?無い・・・?1300個も発明してるのに・・・?
■ 蒸気機関の開発
・・・ワットやったんかーーーい!そのレベルかーーーーい!!
・・・という事で、蒸気機関の発明はワットさんでした笑。すみません。これですね。
イギリスのエンジニアであるジェームズ・ワット(James Watt, 1736年1月19日 - 1819年8月19日)は、1769年に新方式の蒸気機関を開発した。
・・・ん?これワットさんが蒸気機関を開発したんではなく、ワットさんは蒸気機関を新方式にしたんですね。
ワットは実験を重ね、シリンダー内に噴射される冷水によってシリンダーが毎回冷却され、次に蒸気が導入されたときに、熱の80%がシリンダーの加熱に費やされてしまっていることを突き止めた。ワットの発見の要所は、ピストン部分とは別に設けたチャンバー(分離凝縮器、復水器)で蒸気の凝縮過程を行い、シリンダーを常に注入蒸気と同じ温度にしたことである。
なるほど。せっかく蒸気で熱を得られる仕組みだったのに、その熱の80%を容器の加熱に使っていたんですね。なんと。それをワットさんのアイデアで容器の加熱に費やさなくてもよくなり、今まで失われていた80%の熱を動力に変換することができるようになったという事のようです。単純に言えば熱効率を劇的に上げた、という感じでしょうか。
■ 蒸気機関の普及
もう1つ興味深い事実がありました。
ワットの蒸気機関の特許が1800年に失効すると、リチャード・トレヴィシックらがさっそく高圧蒸気機関の開発に成功し、蒸気機関の出力は大きく向上した。
ワットさんは仕組みを発明した人であって、蒸気機関を広めるきっかけとなった人(リチャードさん)は別にいたんですね。そして興味深いのが、ワットさんが1769年に開発してから1800年までの特許が効いている31年間、蒸気機関はワットさんの関係者しか触れなかったんですね。具体的にはボールトン・アンド・ワット商会という会社が、1775年から1800年までの間、蒸気機関を事業化しようと頑張ったようです。
これつまり、特許に護られた先行者利益を得られるリードタイムが30年近くあったという事ですね。めちゃくちゃ有利ですね。そして特許が切れた1800年によーいドン状態となり、市場の力で普及した感じですね。なるほど。
そのリチャードさんは、ワットさんが「爆発するから高圧は止めとけ」と言った高圧蒸気機関の開発に成功し、「これ高圧でも行けるようになりましたぜ☆」という感じで実用性を上げていったようです。なるほど。
■ 社会を挙げてのPOC
何やら高圧で実用的な蒸気機関ができたらしいという噂を耳にし、まず動いたのは船会社のようです。いわゆる蒸気船ってやつですね。よーいドンから7年後の1807年には船を動かすことに成功したようです。それまでは風を利用した帆船か人力で漕いで移動していたようです。パイレーツオブカリビアンの世界ですね。
続いて蒸気機関の効果は陸上交通に出てきました。馬車鉄道から蒸気機関車へのジャンプですね。馬車ってキングダムにも出てくるのでいつが由来かなぁと思って調べると、
紀元前2800年から2700年の古代メソポタミアの遺跡から、馬車の粘土模型が発掘されている。
らしいです。笑 お疲れ、馬車。4600年間もよく頑張ったな。あとは蒸気機関が頑張ってくれるから、ゆっくり生活しておくれ。
という事で、4600年の歴史的な移動方法を改革する蒸気機関車が、産業革命の流れの中で生まれたようです。まさに革命ですね。
・・・となると気になるのは自動車ですよね。車はどうなんだと。蒸気で動けばいろんな所に行けるんじゃないかと。
蒸気自動車
イギリスでは1827年ごろから定期バスとして都市部および、都市間で広く用いられ、1860年ごろにはフランスでも用いられるようになった。
お、よーいドンから27年遅れで自動車も市民権を得てますね。船の20年後という事で時間はかかってますね。
■ 蒸気機関の頭打ち
しかしここで蒸気機関も頭打ちの時代があったようです。ひと言で言えば「デカすぎるやろ」というクレームのようです。石炭を燃料に空気をシュシュポポと圧縮する機械自体がデカすぎて、「自動車とかちょっと仰々しくね?」というクレームが入ったようです。一方で別にサイズが関係ない(デカくてもいい)SLなんかは世界中に普及していったようです。
■ ガソリンの登場
そこでまた誰かが考えたんでしょうね。「もしかして空気に頼らんでも、燃える気体をシュシュポポさせたら小型化できんじゃね?」という発想を抱いたマルクスさんという方がいたようです。この方も発明家。いやぁ素晴らしい。まさに仰る通りです。マルクスさんが1870年に「第一マルクスカー」というガソリン自動車の原型を開発して、現在のガソリン自動車が普及していったようです。
なるほど。自分が燃える気体をシュシュポポしたらいいのか。いやぁ考えましたね。ということで、ガソリン+蒸気機関の仕組みを「内燃機関」、蒸気機関のみの仕組みを「外燃機関」という呼び方をするようです。
■ 日本への普及
その蒸気機関の普及が始まったのは遠いヨーロッパの出来事なのですが、当時の日本人はどうやってその仕組みを知ったのでしょうか。日本でいう1800年は、江戸時代の後半ですね。江戸かぁ。江戸時代でシュシュポポしてた印象はあまり無いなぁ~。どちらかと言えば西洋っぽいなぁ。
という事で調べると、ここでなんと彼が出てきました!ペリーさん!「開国してくださぁ~い」でおなじみあのペリーさん!いやぁ、どうりで西洋っぽいと思った。
そのペリーさんが1853年、余裕で安定運用フェーズになった蒸気船で浦賀に現われたんですね!泰平の眠りをさます上喜撰(蒸気船)でおなじみあの蒸気船ですよ!ここで繋がるかぁ。ペリーさんめっちゃいい人やん。
※ここで我らが吉田松陰さんは、謎の蒸気船を目の前にして、「なんじゃあれは・・・乗らんといかん!」と小舟をせっせと漕いで蒸気船に向かって行ったらしいです。もちろん乗船拒否されて結局投獄されたようですけどね笑。肖像画からは想像もつかないファンキーっぷりですね。
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そこでペリーさんが蒸気機関車の模型を走らせて、日本人は蒸気機関車の存在を知ったようです。その後すぐに私のふるさと久留米が生んだ大スター、田中久重さんが鉄道模型を再現したそうです(1853年)。1年以内にパクる技術力、恐るべしですね。
ちなみに日本で先ほどの内燃機関(ガソリン+蒸気機関)が普及したのは第二次大戦後(1945年以降)とのことなので、100年近く遅れを取っていたことになりますね。
■ まとめ
いやぁ、勉強になった。調べてみるとなかなか楽しいもんですね。やっぱり世界と日本の繋がりとか、発明家が突破した当時最先端の悩みなどが見えてくると面白いですね。大人が歴史を学びなおしたくなる理由が分かります。
で、覚えただけじゃアレなので、今に活かせるように一段階抽象化しましょう。ざっとまとめるとこんな感じだと思います。
・発明家は全く新しいものを思いついたわけではなく、当時の悩みを劇的に楽にする工夫を思いついて実装した。
-ワット「壁を温めるのに熱使うんなら壁も同じ温度で良くね?」
-リチャード「蒸気冷やすのに水要らんくね?」
-マルクス「蒸気って空気じゃなくて燃える気体でも良くね?」
・発明家は研究に没頭している
・発明する人・普及する人・事業化する人は別の人の事が多い。
・単発の工夫ではなく、異なる人による複数のブレークスルーにより発展する。
・技術の普及はパクることから始まる。
という感じでしょうか。確かに現代でもヒントン先生から始まるディープラーニングの系譜にも似たような流れがあると感じます。数十年という単位で進んでいくので、大枠の流れを時々意識することは大事だと思います。
それでは!(^-^)
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