得意なこと、好きなこと

「先生が、この子は抜群に文章がうまいって、褒めてたよ」親面談を終えた母が言った。小学校2年生の時。

文章が抜群にうまい。小学校では、日記が毎日の宿題として課され、提出していた。毎日。かなり苦痛だった。毎日、毎日、書くことがない。「今日は、XXちゃんと遊びました。面白かったです」基本はこれだ。小学校2年生のクラスでは、クラス新聞なるものがあり、優秀な日記を匿名で掲載していた。私の記憶では、私の日記が掲載されたのは、2回しかない。お母さんの膝枕で耳掃除をしてもらい、「終わったよ」で体を起こしてみると、お母さんのエプロンに、私のヨダレがべったり着いていた話。もう1つは、おじいちゃんの工場で飼っている猫に、餌をやった話。猫がお辞儀をしているようで、「ありがとう」と言ってくれたみたいだ、というオチだ。これに関しては、小学2年生ながら、立派に捏造している。実際には、良かれと思い、ネコマンマを盛り直した際に、ウーと威嚇してきたのだ。あまりにもショックで、現実逃避したのだった。

小学校高学年になると、日記に加え、読書感想文で多いに悩まされた。日記と違い、読書感想文に関しては、原稿用紙200字詰めに何枚とか、注文がついた。今なら、自分や他人の経験などに照らし合わせ、まあ、なんとか書けるだろう。当時は、苦痛で苦痛で仕方なかった。常套句である「面白かった」とか、「主人公が可哀想だと思った」以外、何も書くことがない。それで思いついたのが、本文そのまま引用し、文字数を稼ぐことだった。一方で、家族旅行などに行って、両親が撮ってくれた写真を集め、丁寧に、ひとつひとつの写真にキャプションをつけ、アルバムを作るという作業に没頭したりもした。

中学校に上がると、宿題である日記から解放された変わり、友達と交換日記が始まった。毎日毎日、書くことがないという苦悩は、嘘のように消えた。高校に入ると、授業中の手紙のまわしあいが、激化した。大学に入ると、文章を書くという機会が減り、気がつけば、日記をつけていた。

時代は、就職氷河期。本命は、2社。吉本興業と横乗り系出版会社。吉本は、難関の一次面接を突破し、数百人の応募書の中から50人に残ったものの、当時導入されたばかりのマーク式テストで落ちた。だが、幸運にも横乗り系出版社には、合格した。今でも、吉本には未練タラタラだが、吉本に入社できていれば、渡米はなかっただろう。なぜ、横乗り系出版社、しかも希望だった大阪支社で採用されたのか。。大阪支社での採用があるかどうかもわからないまま、横浜の本社まで採用試験を受けに行った。やはり出版社ということで、文章力を試された。吉本での面接もそうだったが、大勢いる学生の中で自分の印象を残すためには、奇をてらってはいけないことは重々承知していた。自分が面接官だったら、そんな奴は単純すぎて絶対雇わないだろう。そして優等生ぶって社会のことについて語るのも違うと思っていた。社会経験がない学生に、何が語れるだろう。等身大で、それでいて自虐だがちょっと笑えるエピソードをいくつか用意していた。この出版社は横のり系だったため、サーフィンにまつわるエピソードを。冷たい海水で足腰が冷え、ぢになってしまった、と。サーフィンだけが原因でないのは明らかなのだが、「おもしろい子がいるけど、大阪で採用しない?」と本社から大阪支社へ持ちかけてくれたのだった。そのぢこそ、25年以上たった今もアメリカで私を苦しめ続けることになろうとは。ぢの話は、またの機会に。さて、晴れて大阪支社で就職できたものの、広告を扱う営業職だった。今思えば、営業職で、いろんなタイプの人と接し、交渉してきたことは、今の私の肥やしになった。とはいっても、出版社。会長はハワイ経験が長く、風通しがいい会社だった。営業の側、自分のページがもらえ、文章を書く機会をもらえた。かの交換日記に近い感覚で、ネタ探しから構成まで、全て自分の好きなようにできた。自分で撮った写真に、キャプションをつけていく作業は、まさに小学生の頃のアルバム作りの延長だった。

その後、出版社を退社し、渡米した。フリーランスとして、ストリート系の雑誌社から仕事をもらえるようになった。そこでも、ネタ探しから、構成まで全て自分の好きなようにできた。読ませるヒップホップ雑誌、Bmrからも、仕事をいただくようになった。3000文字という、私にとっては初の長文依頼だったが、尊敬してやまない当時の編集長、丸屋九兵衛氏に、「さすが」と言って褒めていただいた。丸屋氏には、予め、私がMixiで書き溜めていたアトランタのフッド(貧困層が住む地域)の記録を読んでもらっていた。この頃、気がついたことがあった。文章を書くのは好きだが、かなり時間を要してしまう、ということだった。

これは、葛藤だ。自分が得意なこと、好きなことに、こんなに時間がかかっていいものだろうか?まして、それでお金がもらえている、となれば、作業時間は短くて当然ではないのだろうか?あーでもない、こうでもないと推敲するのは、実は、文章力がないからではないのだろうか?アトランタでは、photographerがメインであり、どっぷりと物書きという訳ではない。逆に、原稿をかく仕事がメインであれば、このスピードだと、本数をこなせないだろう。食べてはいけない。

ただひとつ、言えることは、金銭が関わると、視界がぼやける。そして、他人に強制されると、さらにぼやける。小学生の頃の日記や、読書感想文みたいなもんだ。プラス、自身の作業の遅さに、嫌気がさす。ただし、それは一時的なもので、本当に好きなことは、また無意識のうちに続けている。それが、このnoteだったりするわけで、それでいいんだと最近思う。

余談だが、小学校6年生の親面談では「この子は、まあ、気が強いですね〜、ビックリしました」と言われたそうだ。あながち、人のいうことは間違っていなく、本人がどう思おうと、そこに真実があるものだ。気が弱ければ、貧相な英語で、体格の違うアメリカ人に食ってかかったりもしないだろう。



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