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ぼくは世界からきらわれてしまいたい

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像としての身体と、衝動を宿す肉体。それらの乖離に葛藤する売れないモデルのお話。テーマ上、性描写が多いです。
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2021年2月の記事一覧

ぼくは世界からきらわれてしまいたい #21

場に戻るともはやTが肉体に取り込まれたみたいに、ぼくは意識せずとも直立することができるようになっていた。それはなにかあの、ぼくの外部からやってきて核に巣食った欲動と、大きく関係しているように思われた。ぼくではないものと、ぼくの内側のものとが、ひとつのものによって貫かれているという感じがした。

通りに屹立する電柱に、親近感を覚える。それはどこにでもある電柱であり、意味をあえて付与されることもなく、

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #22

背後の女たちのひそめいた話し声が、脅迫的にぼくの意識に浮かびあがってきた。それは明確な言葉の形ではなく、内容を欠いた信号として、空気のふるえを微弱な抑揚のうちに伝えた。それはなにかぼくについての否定的評価を含んでいるようで、ぼくの不安を煽った。

ひとつの声が長く続いたり、ふたつ重なったり、いくつかの掛け合いのようになったりして、それは独特なかたちで、ある磁場のようなものを形成していった。それは女

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #23

終業後、ぼくは死にかけた爬虫類の交尾みたいなスピードで階段を昇る。自分の足取りが、麻酔が切れかけているときのように頼りない。

服を脱いでぼくは背中のTを剥ぎ取った。セロテープの部分がふやけて、期限切れの安いチーズみたいな感触がした。立ちこめる自身の体臭に、ぼくはマリの尻を思った。それは吹き溜まったあらゆる汚れを受容するように思われた。あらゆる肉体の罪を上書きしうるほどに、それはぼくのなかで肉々し

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #24

マリの話には迂回が多かった。表情そのものが、なにか明確な形状を避けながら動いているように見えた。それがあの男を前にしたときの形であるように思い、ぼくは苛立った。

被害者であることを装いながら、この女はそのときの悦びをたしかに享受していたのではなかろうか。そんな疑念がぼくのうちにじんわり広がっていた。

「いけないって、わかってるんです、わたしがはっきり拒まないとって、わかってはいるんですけど、で

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #25

席に戻ると、なにやら知らない女と相席させられているような居心地の悪さがあった。先の言葉によって、マリの表情がぼくのうちに映し出すイメージが一変させられていた。その表情の裏面を、常にぼくは意識しなければならないのだった。

しばらくぼくらは無言だった。マリの目を盗むようにぼくはその顔色を窺うのだけれども、彼女が今何を思っているのか、その手掛かりすらぼくは掴むことができないでいた。

顔、反復によって

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #26

それにしても、彼女のうちにあるぼくに対する軽蔑と、相反する内面の開示……これは何を意味するだろう? もしかすると、軽蔑に足る卑しい存在によって虐げられることを、彼女は無意識に望んでいるのではないか?

それが軽蔑しうる者であるだけ、いっそう彼女を構成する内実はふくらんでいくだろう。つまるところ、彼女はいつも、軽蔑しうる男を、自分に罰を与える存在として選んできたのではあるまいか?

「勘ですけど、お

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #27

店を出てぼくはいかにもよろめいたようにマリの身体にもたれかかった。肉のやわらかさと裏腹に、ぼくを支えるマリの脚にはたしかな骨格が感じられた。ぼくはマリをかたちづくっているその構造を愛した。

よじのぼるようにマリの両肩に手を掛け目を合わせると、案ずるような瞳があった。切迫した衝動に打たれてぼくはマリの唇にかぶりついた。舌が蛇の腹のように、触れるものの質感と温度とぬめり気を、つぶさに知覚しようとする

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #28

※性的な描写を含みます※

部屋の照明のもと、マリは価値判断の一切を停止したような顔で、自身の肉体をめぐる権限を放棄していた。何をしてもいい、という感覚と、何もしてはいけない、という感覚がひとしく並びたち、ぼくは白紙を配られた生徒のように途方に暮れた。

ぼくは何を欲していたのだろう? この部屋に入ることで、自身を規定していた衝動が締め出されてしまったように感じた。ぼくはマリの肉体に、ぼくの核に触

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #29

夢でぼくは無のなかを漂っていた。無にはイスがひとつ備え付けられていた。当然無なので形として認識することはできないけれども、たしかにぼくはそこにイスがあることを確信しきっていて、そこに腰をかけた。

ぼくの尻はいかなる板にも受け止められることなく、そのままぼくは無限に落下しているのだった。「無なのだから、落下も静止も同じじゃないか」という声が聞こえて、ぼくはコペルニクス的転回だ、と感銘を受けて、声の

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #30

ぼくは失われたものが何であるのかを考えた。あの男のまなざしはぼくにいかなる意味を伝えようとしていただろう?

それはいま目の前を流れる無関心の往来のなかから、ときおり川面の反射のように向けられてくる視線のどれとも異なっていたし、背後に感じる女たちの、釣り上げられた魚を計量器に載せるような視線とも異なっていた。それでいてあの責めは、ぼくに謝罪とか金銭とか、そういうものを要求しているわけでもないのだっ

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