ぼくは世界からきらわれてしまいたい #23

終業後、ぼくは死にかけた爬虫類の交尾みたいなスピードで階段を昇る。自分の足取りが、麻酔が切れかけているときのように頼りない。

服を脱いでぼくは背中のTを剥ぎ取った。セロテープの部分がふやけて、期限切れの安いチーズみたいな感触がした。立ちこめる自身の体臭に、ぼくはマリの尻を思った。それは吹き溜まったあらゆる汚れを受容するように思われた。あらゆる肉体の罪を上書きしうるほどに、それはぼくのなかで肉々しく、不浄に膨らんでいた。

階段を降り、裏口からドアを開けた瞬間、世の不浄をいちどに詰め込んだようなヘドロ臭が鼻腔を突いた。店の内側に、嗅覚が飼い慣らされていたのだった。ぼくは愕然として通りに出た。臭いは鼻腔にこびりついていたが、人々は平然と、店の内側から見えるのと同じ表情で歩いていたし、装飾も変わらず輝いていた。

臭気について街はまったくの無関心を決め込んでいた。人間社会の縫い目から、不浄なものが次々に溢れ出しているにもかかわらず、縫い目は自身が存在しないかのごとく振舞っており、そのような公然の欺瞞は、なにより人々の合意の上で行われているのだった。

薄いコンクリートのすぐ下に、墨汁のように澱みのない黒い海が凪いでいた。液体は過剰な密度で、あらゆる色彩をした像と垢人形とをそのうちに混ぜ込んでいるために、それ以上ないほど滑らかな黒色となって、それはほとんど底抜けの穴と等しかった。

選別しえなくなった無数のイメージが互いに衝突しあい、その摩擦から偶発的に生じた磁場が、網となって漆黒から地上の色彩を掬い上げる。そのうちに、ぼくとマリの肉体の色が浮かんでいることを、ぼくは期待する。

――確率論の神は実在する肉体に届く手を持っているかい?

〈良心〉は器用にも、あのホームレスの像をぼくの脳に映じていた。彼は泡の跡が皺のようになっている口角をいやらしく上げた。慣れない筋肉の動きに、出来の悪い翁面のような笑みが浮かんでいた。

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