コスパばかり気にしていると、余白が台無しになる
週6で働いて休みが1日、その1日の休みでさえ結局頭の中は仕事のことで一杯だったあの頃の方が、今よりも余白を有意義に使えていたのかもしれない。
それはそれはコスパの悪い休日だったと思う。
10時くらいまで寝て、起きて何もしない時間をしばらく過ごし、ご飯を食べて、動画を観て、カフェに行って本を読んで、帰りは散歩がてら2駅分くらい歩いて帰ってみたり。
「貴重な1日の休みで自分は成長できたのか」
「今日は明日以降につながる有意義な1日になったのか」
当時は本気でそんなことを考えていた。
だから、何をしても結局「また休日を無駄にしてしまった」という罪悪感に襲われていた。
そして、月日は流れ現在。
時間的にも、精神的にも、当時よりかなり余裕がある。
だからこそ、毎日noteでこうして文章を書くことができている。
こんなに理想的な余白の埋め方が他にあるだろうか、いや、ない。
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と思っていた。
蓋を開けてみると、余白を埋めよう、埋めようとするコスパ重視の人間がそこにはいた。そんな考え方に支配されていた。
初めのうちは「何もしない時間を大切にしよう」、「自分の好きなように過ごす時間を大切にしよう」と思えていたのに、次第に「何かしなきゃ」という義務感が押し寄せてきた。
「これをやって何かメリットあるのか?」
「これって仕事になるのか?お金になるのか?」
「この本を読む時間って、本当に今必要なのか?」
そんなことばかり考えるようになっていた。
いつしか、好きだった小説も全然読まなくなってしまっていた。
消費ではなく投資という考え方を好み、癒しよりも効率を求め、余白を埋めることが目的と化した行動ばかり取るようになっていた。
コスパ重視の考え方を否定するわけではない。
けれど、余白を大切にしたいと思っていたそもそもの理由は、余白をどんどん埋めるためではなかったはずだ。
「どう過ごそうかな?」という問いから始まり、自分の本能やその時の気分だけを頼りに、気の向くままに過ごす。
休日の過ごし方に限らず、人生の中でもそんな時期があっても良いかもしれない。
生産性とか効率とか、メリットとかマネタイズとか、そんなことは全部無かったことにして、気の向くままに生きる。そういう日や時期があっても良いじゃないか、という提案だ。
僕らは、きっとまだ気づいていない。
結局、一見遠回りに思えるそんな生き方が、“最もコスパが良い”ということを。
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