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#書く

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衣食住書。
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#毎日投稿

280日毎日投稿から、毎日投稿を辞めて起きた変化、あるいは苦悩、展望

毎日投稿を辞めてから、早いもので1ヶ月以上経つ。 振り返ってみると、毎日投稿を辞めてからの直近1ヶ月間は10記事しか公開していないらしい。 毎日投稿を辞めて起きた変化、結論、それほど大きな変化はない。 「やっぱり、書くことは自分にとって大切だった」 「無意識に書こうとしている自分がいた」 残念ながら、そのように感じるほど、自分にとって「書く」という行為はかけがえのないものではなかったらしい。 書かなくなった分その時間や労力が他の行為に充てられる、ただそれだけだ。

280日ぶりに、noteに投稿しなかった日

大した話ではないけれど、2021年5月17日から続けてきたnote毎日投稿を一昨日ついに辞めた。 元々「そろそろ毎日書くのをやめる」と宣言していたから、たまたまその日が一昨日だっただけ、という感じだけれど、いざこうして毎日投稿が終わってみると、「280日」という積み重ねてきた数字のわりに何ともあっけない。 予定が立て込んで書けなさそうな時は、事前にいくつか書き溜めたりしていたので、文章を書かない日はあってもnoteに何も投稿しない日は、この280日間の中で一日もなかった。

最近、投稿ボタンまでの距離を遠く感じる

※無料で一通り読めます ついに、自分にもその時がやってきたのかもしれない。 決して書けないわけじゃないし、現にこうして毎日書いているわけだし、明日も明後日も書こうと思えば書けるのだけど、何だか投稿ボタンを押す元気みたいなものがない。 (もしかして、ダークモードが反映されたついでに、投稿ボタンまでの距離も遠くなった…?) 冗談はさておき、毎日投稿を「一旦、辞めてみたい」と思っている。 ずっと考えていたことではあったけれど、言葉にしたら本当にそうなってしまいそうで、言わ

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たとえ汚い文章だったとしても、世に出し続ける

「毎日文章を書いて公開する」 と決めていると、正直なところ、雑然としていてあまり納得のいかない文章を不本意ながら公開する時も多々ある。 ただ、「毎日書いて公開する」と決めているから毎日文章を書けているし、継続して世に公開することができている。 もっと時間をかければ良い文章を書けるのかもしれないし、もっとリアクションの集まる文章を書けるのかもしれない。 そんなことを言っていたら、キリがない。 就職活動も恋愛も、多くの人生の選択は「期限」があるから成り立つ。 期限があ

心に余裕がないと良い文章は書けない、のだろうか?

こう見えて、毎月末にnoteの振り返りをしているのだけど、11月の数値や記事に対するリアクションが面白かった。 振り返りをする時はいつも、 ・先月の数値との比較(ビュー、コメント、スキ、フォロワー) ・良かったこと ・改善点 これらについてざっくり考えている。 11月は後半から一気に忙しくなったのだが、忙しさに比例するように、公開した記事へのリアクションが悪くなっていた。 それもそのはず。 明らかに文章と向き合う時間(=自分と向き合う時間)が減ったし、そもそも一日

「何でも書く」は、結局「何も書けない」

余裕のない日々が続いていて、なかなか腰を据えて文章を書けていない。 「書くテーマが決まっていたら、書きやすいのかな」 なんて考えてみたりした。 「書くテーマが決まっていないから書けない」といった言い訳にも聞こえるけれど。 ・〇〇について文章を書く ・毎日の日記を書く のように、書くテーマやスタイルを予め決めていたら、もっとスラスラ書けるのだろうか。 自分は、noteを始めた時から漠然と「人生のモヤモヤについて書く」と決めてはいたものの、実際、「人生」というテーマが

「書きたい時に書く」を信用できない

僕が毎日投稿を辞められないのは、正直なところ、「◯日連続で記事公開」というインセンティブに完全に依存してしまっているからだ。 創作を続けるために設計された機能が、僕にとっては、創作を義務づける機能になってしまった。 何だか、すごく申し訳ない気持ちになっている。 ただ、このインセンティブのおかげで間違いなく「文章を書くこと」を習慣にできたし、noteのおかげで文章を書くハードルが格段に下がった。 文章を書くことを「習慣」と呼べた時期もあったし、「惰性の取り組み」としか思

毎日書くか、全く書かないかのどっちか

「毎日書くのをそろそろ辞めよう」と、もうずっと思っている。 とは言ったものの、実際は毎日書き続けているのだけど、最近いよいよ時間的にも体力的にも厳しくなってきている。 「だけど、毎日書く」 というのがこの文章のオチなのだけれど、きっと、ここで毎日書くことを辞めたら、僕はもうしばらく文章を書かないと思う。 「気が向いたら書こう」 「週に2,3個書ければいいや」 これらは「行けたら行く」みたいなものだ。 元々自分の生活に「書くこと」は存在していなかったわけで、その生活

毎日投稿はするけど、毎日書くのはもう辞める

書ける時にたくさん書いて、書けない時は全く書かない、試しにそうすることにした。 やっぱり書ける時と書けない時の波はあるし、適度な余白がないと良質なアウトプットもできないし、毎日投稿が目的にもなってしまう、結果つまらなくなる。 実は、2回目のワクチン接種の関係で、1日にまとめて4記事作成して連日ストックを公開する、ということを昨日までしていたのだが、これが意外と良かった。 直近4日間はだいぶ気が楽で、どうやら、心のどこかで「書かなきゃ」という謎の義務感を毎日感じていたらし

整理したいなら「書く」、気づきたいなら「話す」

書くことで言語化できるし、話すことでも言語化できる。 書くときは、自分のペースでじっくりできるから、散らかった脳内を整理できて、自分が思っていることや感じていることを、一つひとつ言語化できる気がする。 話すときは、他者の存在があるから自分の思い通りのペースにはならないものの、思いがけない発言があったり、新たな視点を得られるから、一人でじっくり書いていたときには気づけなかったことに気づける。 書きながら、新たな気づきを得られる時ももちろんあるけれど、自分の場合は誰かと話し

「くっっっさ、カッコつけすぎ。」なダメ記事4選。#毎日投稿100日記念

普段とはがらっとテイストを変えてお送りします。 天邪鬼な人間なので「毎日投稿を初めて〇〇日(記事)」とかあんまり書きたくないのですが、実は、この記事が毎日投稿を始めて100記事目になります。 せっかくなので、多くの方から共感いただけた記事や自信作の紹介でもしようかと思ったのですが、天邪鬼な人間なので、かっこつけすぎて、不発だった記事を紹介します。 ああ、恥ずかしい。目を瞑りながらぜひご覧ください。 ①短編小説(全部)このマガジンの存在自体が、もう恥ずかしい。 特に、

noteの初心って何だっけ

はじめは、「文章を書きたい」、「自分の思いを表現したい」、そんな気持ちで始めたnoteも記事が読まれるようになって、フォロワーが増えて、欲が出てきて、いつしかリアクションに一喜一憂するようになって、モチベーションに波が出て。 そうやって、「何のためにやってるんだっけ」と書く理由や目的を見失っていく。 書くのに、理由や目的なんていらなかったはずなのに。 そんな時、note CXOである深津さん(@fladdict)の「もっとも大事なこと(noteのはじめかた)」という記事

書きたいことはないのに、書けないことならたくさんある

書きたいことがない、何を書けばいいか分からない。 ほとんど毎日そんな状態だけれど、皮肉なことに、書けないことならたくさんあるし、その書けないことが何かははっきりと分かっている。 文章にできるほど思考が整理できておらず「書けない」、そんなものもあれば、「書きたくない」という明確な意思のもとに「書けない」ものもある。 連日こんな文章を書いているけれど、自分のためだからとか、ありのままで良いからといって自分の丸裸を晒せるほど、僕は強くない。 書きたいこと以上に、書けないこと

ありのままでいられる場所が、一つでもあると良い

できることなら、ありのままの自分でいたいけれど、あらゆる環境や関係性において、そうあるのは難しい。 中学時代の友人に見せる自分、高校時代の友人に見せる自分、職場での自分、趣味で繋がっている人に見せる自分、親の前での自分、パートナーに見せる自分。 それらは同じ「自分」でないことがほとんどだ。 時には、その矛盾に苦しんだり、居心地の悪さから関係を解消したり離れたりすることもある。 自分は自分でしかなく絶対的なものであるけれど、相手の存在によって影響を受ける、という点では相