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【映画の話】エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』、とても長いタイトルだ。タピオカですら"タピ"と略す日本人にとっては長すぎて、タイトルを言い終わる頃には口の中が乾燥してパサパサだ。ちんすこうレベルのパサパサだ。だから略して『エブエブ』。主に前半に偏りがちな略称だ。『エブエブ』を観た

今年のアカデミー賞で、作品賞監督賞主演女優賞など7部門を受賞した、まさに2023年に間違いなく観ておかなくてはいけない映画のひとつだろう。これまでにも数多多くの衝撃作を送り込んできたスタジオA24が、またも衝撃作を送り込んできたということで公開前から観たいと思っていたにも関わらずタイミングを逃し、結局アカデミー賞発表後に観るということに。周りから見れば話題作を見にきた人間でしかなくなったことを悔やんでいる。そんな自意識モンスターの話はどうでもいいのだ。

映画館はいつも一番後ろの真ん中の席を取るようにしている。そこが空いてなければ一つずつ前にずらしていく。音とスクリーンのバランスを考えた時に、それが一番没入感を得られることに気づいた。ただ、これも映画館や上映スクリーンによって異なるので毎回映画館に行く時はスクリーンサイズと座席数を調べてからチケットを購入する。映画館ガチ勢だ。いや、もしかしたら映画館ガチ勢の人は同じ作品を何度も観るのかもしれないが、僕の場合は一度の鑑賞にすべてを賭けているところはある。1度目の体験は、やはり1度目しか味わえないのだ。これはもはやFIRST TAKEガチ勢なのではないかと思ってきた。一体何の話をしているのだろうか。100%食べきれないデカキャラメルポップコーンを抱えて席に着いた。

映画の内容はそれほど事前に調べずに来たので、前半部分でアトラクションのように振り回されながらも徐々に理解と放棄を並行しながら物語は進んでいく。『マトリックス』のような設定とアクションシーン、『エターナルサンシャイン』のような映像のギミック、『ブラッシュアップライフ』のような作中のメッセージ性、『進撃の巨人』のような怒りと感情の揺らぎ。自分に蓄積された様々な映画のフィルターを通すことで少しづつ自分なりに作品を咀嚼していった。
でもこの映画が「アカデミー賞を獲得しました!」と話題になって、万人にウケる、伝わるかといったら絶対に伝わらない作品だとは思った。基本的に映画自体が明らかに"普通じゃない"からだ。
少年ジャンプを通り越してコロコロコミックのようなコメディシーンが前半から続く。とにかく腹を抱えて笑ったけど、当然中には単純に下品や不快と感じてしまう人もいるだろう。『キック・アス』だったり『デッドプール』でやっていたようなことなのに平然とアカデミー賞を掻っ攫っていった。僕にとっては不快さも下品さも通り越して最高に痛快だった。何ということだろうか。すごいバランス感覚だ。

でもこうやって自分がこれまでいろんな映画を観て貰ってきた経験だとか、その後で生活の中で理解して受け取ってきたことがあるからこそ咀嚼できる部分があるというのも事実で、その感覚を受け取ったことのない人にはこの映画がどう映るのだろうかと気になった。それが作品の評価につながってしまうのはあまりに勿体無いと思うのだ。
でも同時にそれは作品だけに関わらずすべての物事、人間性や会話の中での言葉やコミュニケーションにすら言えることであって、結局は何もかも経験や各々の見える世界でしか評価されないのかもと思ったら虚しくもなってくる。そしてその言葉は結局のところ自分の元にも返ってくる。

この作品の主題には、人の感じる"虚しさ"や"虚無"が存在する。大人、子供、国籍やそれぞれのジェンダー、どんな立場にいても感じる虚無というものが存在する。
ある程度の年齢を重ねていくと人生に対する虚しさを感じるものだ。"あの時こうしていれば"、"こんなこと言わなければ"、生きている限りたくさんの"If"は降り積もっていくものだ。まだまだ僕のような若輩者には100年早いと言われそうだが10年、20年後を想像するだけでもその"If"の積もりようは容易に想像できる。ぼんやりと現実を忘れてもしもの世界のことを考えてしまう時、とてつもない虚しさに襲われる。だってどうしたってそのもしもの世界線には辿り着けないのだから。でもそれをもし見ることができるのならどうする?というのがこの映画のひとつのキッカケだ。これまでにもそういったタイムスリップもの、もしくは今作のようなマルチバースの作品は人間にウケ続け、山のように作られてきた。日本で話題のドラマ『ブラッシュアップライフ』だってそうだ。みんな別の世界に憧れている。

逆に若者の虚しさは、その大人の感じる虚しさすらも情報として手に入ってしまう、"人生を分かりきってしまう"という虚しさだ。
今の時代はインターネットで調べれば何もかも分かってしまう。SNSでは世論の声、世界中の人たちの声が聞こえてしまう。だからこそ自分の人生の程度だって"理解"してしまうのだ。どうせ社会は変わらない、どうせあの人は理解してくれない、どうせ人はいずれ死ぬ。その虚無感の呪いが若者全体の空気として蔓延っているのは事実だと思う。そしてそこからはみ出た何者かになりたがる。どこを見渡してもマジで希望がないのだ。NO HOPE GENERATIONだ。

そんな親子の虚しさの対立と、"人として分かり合えないことへの相互理解"をコインランドリーと国税庁の2つだけのフィールドを舞台にして多元宇宙で描いたのがこの映画。劇中に出てくるセリフで最も印象的だったのが"We're all small and stupid"という言葉。本当にそう思います。僕らはしょうもないのだ。

過去への反省と現状の整理、作中も作品の構造もポリコレへの"配慮"とかではなくハッキリとした"距離感"で描いて整理している気がして、今の時代に人は何を笑って何で泣くのか試している感覚もあり、個人的にすごくその部分が良かった。いいバランス感覚だった。ひとつ映画内のポイントでネタバレをするならば、小指アタックがスマブラのネスのホームランバットの音だったの最高だったね。

最低な人生、最低な社会でも諦めない"あなたの全ての人生"を肯定してくれる映画です。どんな選択をしても自分の人生を救うのは自分。この映画は間違いなく僕の呪いを掻き消す救いの映画でした。

「親切にならなきゃ、特に何が起こってるのか分からないときほど」

それだけは間違いなく僕らの社会に必ず伝えられるべきメッセージなのだ。

◻️NG集が最高にクリエイティビティに溢れてたのでこちらもぜひ

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