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映画『キリエのうた』感想:死者の生かし方、刹那の祝い方





人力あらすじ『キリエのうた』

 カラーウィッグをつけて夜遊びをするイッコは、路上でギターを抱えるキリエを拾う。
 キリエは普通にしゃべるとまともに声が出せず、しかし歌いはじめると素晴らしい声で歌った。
 イッコは彼女に住む場所を提供し、彼女のマネージャーを務めると言いだす。イッコの出資で機材を集め、本格的な路上ライブを始めたキリエはまたたく間にファンを得て配信も人気者に。順風満帆に見えたキリエの音楽活動だったが……。


情緒ズガーンしててとっ散らかった感想と紹介

 『スワロウテイル』『リリイ・シュシュのすべて』『リップヴァン・ウィンクルの花嫁』の岩井俊二監督最新作。特にカルト的青春ノワール作品たる『リリイ~』以来約20年ぶりの“音楽映画”と呼べる代物で、個人的に期待が高かったのだけれど――“約束どおり”情緒を荒らしまわっていってくれました。そんな約束はしていないと怒られそうだけれど、した。わたしはした(面倒くさいファンムーブ)。余韻はそれこそ“嵐のあと”。

 物語はキリエ(本名ルカ)について、まずは三つの時系列、彼女の「現在」「幼少期」「高校時代」を頻繁に入れ替えながら、コラージュのようにその半生をつづっていく。そこへさらに、ある二人(ある意味三人)の人生と、彼らがキリエ/ルカと関わっていく物語が並行して語られる。メイン三人の群像劇でもあり、それぞれの自伝とも呼べる作品だけに、最初は驚く上映時間3時間も最後は納得です(そもそも岩井作品は2時間越えザラですが)。

 また、あまり前に出して宣伝はしていないようですが、これは仙台のあの津波に端を発する物語です(まんま描写がある映画です。劇場には注意書きの貼り紙がしてありました。上のXポストも参照)。
 端的に言ってしまえば、「津波によって人生を失った一人の少女が、出会いと別れを通して自分の“声”を取り戻すまで」を描いたもの。ただ、単に震災映画と呼んでしまうにはあまりに多層的、多面的で、運命論もチラつくほど複雑な“人生”のお話でした。ただ、その“人生”の中に、震災のような大きな災害が、直接関係のない誰かにまで繋がるものとして、いつも確かに存在するのだと言っているようにも思いました。

 岩井監督といえば、これは私見ですが、“死者”を描くことに強いこだわりが見えることがあります。
 生物的な死者ではありません(が、時にそれも含む)。何かに人生を奪われた者や、自分の人生を歩むのを諦めた者など。’16年の『リップヴァン・ウィンクルの花嫁』は特に直接的にそういう物語で、「まったく人生の違う女性が女性を拾う」という物語の導入が『キリエのうた』と似通ってもいます。もしかして元々『リップ~』が前身だったか、下地にしたのかなと思って観ていましたが、「互いに心を救いあう」という点も似ていましたね(岩井監督が百合好きなのは『花とアリス』からなのでもう明らかだとしてw)。

 『キリエのうた』は、ある二人の“死者”が死にかけの小鳥を拾う物語。かつ、それぞれの事情で“死んでしまった”彼らの魂の救済の物語でもあります。
 なお、うち一人とキリエは震災と直接かかわりのある被災者ですが、もう一人は災害とは特に直接の縁がありません。

 少し嫌なことを言いますが、人生の絶頂や黄金期を早めに迎えてしまう人というのは少なくないものです。むしろ後半に持って来られる人のほうが少数派でしょうか。
 津波のような大きな災害は、そういった絶頂や黄金期のおしまいに拍車をかけるものの一つということなのでしょう。そして人生を狂わせるものは、災害ばかりとは限らない。

 あのときああだったら、こうだったらが、この作品にはたくさん横たわっています。
 震災・津波ですら、あのときああしていたら、ああなっていなかったらと、些細な違いが命運を分けた事例がいくつもあっただろうと思わせてきます。考えてどうなるものでもないとわかっていても、理屈では納得できないものごと。
 作中では、当時の混乱の中で明るみになった「制度の問題点」などにも触れています。それもまた、理解はできても納得できないことにあふれていました。

 ただ、人生は悲劇ばかりではない。
 あのときああだったから、今のこの高揚した気持ちがある。
 そんな風に思える瞬間というのは、生きていればあるのではないでしょうか。

 この映画において、音楽はその幸福な高揚と瞬間のメタファーのようでした。

 また今度は変な話をしますが、音楽ってその場にいないと聴こえないんです。
 録音再生技術が発達し、配信でどこにいても音楽に触れられるように思えている時代かもしれません。
 でも私のような物書きや、絵描きさんや写真家さんにはピンと来るでしょうか。
 小説も絵も写真も、そして映画も、あらゆるクラフト的なものも、よほど特殊な場合でない限り、作った時点で有形です。期限付きではあっても、基本的には作ったものが作った状態のまま実在しつづけます。

 作曲家の描いた楽譜は有形です。けれど、誰かが弾くことで作ること自体を再現し続けない限り実在できないのが音楽です。そして再現のたびに、音楽は変わる。
 その上で、録音も配信も、音楽のプレイの外にあるものです。言い替えれば、録音しなくても音楽は成立する。そして録音再生・配信されているものは、再現のたびにかたちを変える“音楽”と呼べる無限の存在の、実はほんの一部でしかありません。

 これほど刹那的で頼りないモノでありながら、音楽は人の心に直接はたらきかけ、高揚をもたらす。鳴っているその場にいる人間だけを、どうしようもなく救いうる。
 ある宗教では音楽そのものが禁止らしいですね。それはそうだと納得しかけもします。この瞬間さえあれば生きていけると思わせるだけの力が、音楽にはありうるのですから。

 もちろん、運命論で納得しろというわけではないと思います。
 どれだけ楽しい美しい瞬間に出逢えたところで、傷や苦しみが消えるわけではない。アメをやるから家が焼けても我慢しろなんて最低ですよね。

 けれど、苦しんでいるときは、楽しいことが待っているだなどと信じられなくなるものです。
 だから、いざ目の前にその瞬間が訪れたとき、なんて世界だろうと、我々は数奇さに圧倒される。
 歳を取るごとに感じる、ニュートラルでいることも難しさ。立ち直ることもやさしい憐れみも、しかしそれを知ることの先にきっとある。

 だから、前を向いて生きよう。出会いをいつくしんで。瞬間を祝って。音楽のように。
 劇場からの帰り道でそう思える、とても美しい物語だと思いました。まる


ぜひ劇場で

 こんなに音楽映画であることを讃えながら劇中音楽のことに全然触れてないな自分!!?(;゚ω゚)

 キリエ役をつとめた実際にシンガーソングライターでもあるアイナ・ジ・エンドさん。自分は初見です。
 自身の魂を削るように歌える人はとても少ないと思うんですが、この方は好例で、それがそのまま数奇な運命を抱えるキリエの歌声として映画を彩るのですから適役とかいう次元じゃありませんでしたね。実際キリエというキャラクターの説得力にしかなってない。ナマです。全部ナマ。

 物書きの身でこんなこと言うのも何ですが、先述のとおり音楽とは刹那性が本質にあり、実際聴いてもらわないことには価値を教えられません。というかぜひ、劇場の音響で聴いて頂きたい。独特なクセの強い歌声だとは思いましたが、だからこそ確実にそこにキリエという数奇な存在がいると感じさせてくれる。その上でとても力強く、エモーショナルに物語と私たちを引っ張っていく。
 自分の声をなくしてしまったキリエの魂の叫びだと思える歌声。劇場でならそれを聴きに行くだけでもこの作品を選ぶ価値があると断言できます。

 その他BGMがこれまた小林武史さんなんですね。
 本作音楽のメインはあくまでキリエでアイナ・ジ・エンドさんですが、キリエがまともに歌うのは三つの時系列のうち「現在」のパートのみ。キリエが歌っていないあいだはずっと小林武史さんの音楽が、岩井監督センスの印象的なタイミングと構成で情緒的な物語を彩ります。アイナさんの歌が本当に力強いだけに、小林さんのBGMは緩急の“緩”といったところでしょうか。一度の鑑賞では味わい尽くせていませんが、お財布が許せば劇中歌アルバムといっしょにサントラも欲しかったところ。

 そもそも岩井監督と小林さんって、先に触れた岩井監督の『リリイ・シュシュのすべて』って“音楽映画”でまさにタッグを組んでたんですよね。岩井ファン的にはスーパーサブな御方で再タッグは期待する要素でしかなく。裏で小林さんが支えてて良くないわけがなかったぐらいの勢いです。

(えー!?特典付きが通常版と同じ値段やないかーい!(´;ω;`)←CDだけのを買った人)


余談:岩井オタクな話

 さすがにオタク自称しちゃうのは畏れ多いんですけどね。現実には全作どころか、観られてるのは岩井作品のごく一部のような気もしますし……。  
 でもこれほんと、アッと思ったところだから言いたい。言いたいだけです。思っただけ。

 ここは私見以上で明らかだと思うんですが、岩井監督は“お金”を重要なガジェットやなにかのメタファーのように取り入れることが多いんじゃないかと思ってるんですね。
 初期の出世作のひとつで異色作『スワロウテイル』はガッツリお金が題材でしたが、だからということでもなく、自分が観てる作品はだいたいにおいて端々に“お金”が存在感を持っています。岩井作品は往々にしておとぎ話チックに思えることもあるんですが、だから生々しいモノが際立つというのもあるのかもしれません。『リップヴァン~』がわかりやすいんですけど、『リリイ~』にも片鱗が見えましたね。

 ここは度々“貧困”に触れたがる是枝裕和監督ともちょっと似ているというか、彷彿とさせられるところです。ほかの人を引き合いに出して比較がしたいわけではありませんが、是枝監督が“貧困”はある種の大前提として、だいたい「お金があればこうはならなかった」という物語を作るのに対し、岩井監督の場合はお金で解決できるような問題にも触れつつ、その対比として「お金があってもどうにもならないことはある」だったり「どれだけ稼いでも足りないことはある」であったり、お金を通じて作品世界にコントラストのようなものを演出しているように思います。
 作品によって目的は違うと思うのでひと口には言えませんが、「大人のおとぎ話」のような物語を書きつつ、地に足のついた現実のうち逃れがたいものとして、監督の中で意識されているのかもしれません。

↑そういえば黒木華さん、メイン三人のように「半生」を描かれるほどはないんですが、めちゃめちゃ重要でいい役で出てきます。美ッ人!!

↑22年前の岩井監督“伝説的”音楽映画(私評)。青春ノワール? そ、そんなこと言ったっけー?(口笛)
 ちなみに市原隼人くん主演。ガチ中学生の市原隼人くん映画デビュー作。観たくなってきたよね?ね?(ズイ

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