最近の記事

不調

新年度から3ヶ月くらい元気だったのだけど、また体調を崩してしまった。 ここ数年、毎年この時期に同じようになっている。少しの喉風邪から、仕事を続けているとあっという間に声が出なくなる。声が出ないと仕事で使い物にならない。熱があるわけでもないのに休むしかなくなる。 今回も分かってはいたので気をつけていたつもりだったが、治りそうだな、と何度も思っていつの間にかこのザマだ。パターンをよく知っている夫は、風邪の引き始め(コフト顆粒を飲み始めた時)から、無理して悪化させないでよと言ってく

    • ケアの世界をつくる

      久しぶりに娘と喧嘩をした。 夜寝る前に素直に歯を磨かないなど、面倒なやりとりに痺れを切らしたのだ。 私は当たり前のことを当たり前に言うことしかできず、それで動かないともう面倒になってしまう。こんなことやっていられるかと思う。結局は自分のことで頭がいっぱいになっているが、悪循環をやめることができない。 子供はとにかく素直じゃない。面倒なことが大好きだ。自分の気持ちを理路整然と言えるはずもなく、素直になれず、面倒なやりとりに巻き込もうとする。気持ちが収まらないのだ。面倒だけどや

      • 自分を受け入れる

        この週末は二晩夜更かしをして、只々疲れているということをnoteに書いていた。 今日は娘の習い事の待ち時間に、いつものドトールで短い時間だが本を読んだ。今年度の私の課題図書、ポール・ディックス『子どもは罰から学ばない』。 もう3回は通読しているので、大体覚えていると思い、開くのは気が進まなかった。一度見たものを繰り返し見ることはどうしても避けてしまう方だ。その癖内容はほとんど忘れてしまう。何故だかよく分からない。 案の定、読んでみればあぁそうだったと思うことばかり、忘れてい

        • 疲れること

          教師の仕事は、やるべきことが多すぎる。学ぶべきことが多すぎる。 例えば1、2冊の本を何度か通読して、これをバイブルにしてやっていこうと思うが、1ヶ月くらい実践をしていれば徐々に忘れていく。現場の習慣と日々の感情が、目指したい理念をすぐに上回ってしまう。6月がきついというのはそのためだ。理想は逃げていき、付け足す時間がなく、擦り切れ続けていく。 4月に一生懸命本を読んでから、もう2ヶ月も経ったのか。そうなるのも当たり前だ。 立ち止まる暇がないことはきつい。付け足さなければやって

          詩が与えてくれること

          ある時テレビをつけると、大江健三郎が中学校で講演をしているものすごく古い映像が流れていたので、とりあえず録画をした。 大江健三郎に興味を持っている若い人は稀だろう。私は大江健三郎が好きだ。難解なものは読まないし人にお薦めもしないけど、エッセーやそれに近いような作品は読みやすく、そういうものを読んでいるととても親近感が湧いてくる。だからご本人が喋っている様子はぜひ見たいのだ。 その映像は80年代終わりに愛媛県の中学校で行われた授業で、微動だにしないでポカンと聞いている中学生と

          詩が与えてくれること

          ただ描くことの喜び

          娘が美大の子ども向け講座に行ってきた。 何度か応募していて、ようやく抽選に当たったのだ。 美大の先生に教えてもらえるだなんて、子どもの頃の私には夢にも思えないことだ。羨ましい限りである。 なんだか自分も美大に行けると思うとワクワクしてしまったけど、実際連れて行くと親はさっさと帰されてしまい、本当に子どもだけ預かって一日たっぷりと活動していた。 もう小学生になって久しいのに、子どもだけで体験してくるとなると妙にそわそわし、手持ち無沙汰に感じている自分がいる。 思えばこれまでの

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          ルビーの王さま

          娘と寝る前に、少し長めのお話を読むようになった。 クマのプーさん、パディントン、ムーミンなど。 娘は自分で読むことには興味がないが、聞くことでほとんど話を理解して、かなりシュールなものでも楽しんでいる。 私は娘の歳の頃には自分で本を読んでいて、今も文章が大好きな生粋の視覚優位だが、この子は真逆の聴覚優位なのだと今更気付いた。 数日前に読んだ話の細部を驚くほど覚えている。私は目で見て読んでいても何も覚えていないのに。 これだから脳機能は不思議だ。 ムーミンのお話は初めて読んだ

          ルビーの王さま

          追悼と鎮魂の物語

          ※『すずめの戸締まり』のネタバレ記事です。 『君の名は。』を観た頃、震災の記憶はまだ生々しくて、前々前世というふざけたタイトルの曲で流行った映画に、彗星が落ちて街がなくなるという描写が出てきたことに驚いた。 私たちが経験したこと、経験していることを、描こうとしている人が出てきたのだなと思った。 『天気の子』は劇場で観た。よく知っている東京の街の汚さが美しくて、その頃確かに実感としてあった異常気象に、ファンタジーの視点から向き合い、未来を描く物語はとても新しいように思った。

          追悼と鎮魂の物語

          広い場所へ

          春休みには、一緒にどこか出掛けられるように、休みをとっておいてねーと言った。 結局体調が悪かったりし、行きたいところも特に決まらないなぁと言っていた。 休みが始まって、どこ行こうかと言ったら、え、行くの。である。 いいよ、じゃあ。 以前の私ならここでパニックだ。 出掛けようって言ったのに、これだから、私ばっかりだ。呪いの言葉を吐いて暴れ回る。 しかし、私はこれでも成長しているのだ。 まぁ結局出掛けたがりなのは私だけであるし、二人ともが行きたい場所があるのではないのだから、そも

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          また始めるために

          3年間受け持った生徒が卒業した。 最後の1年はひどいものだった。 はじめの2年間で、自分と特性の近い自閉の人たちとクラスをつくり、周りにも認めてもらって、自分の実力に浮き足立っていた。 最後の1年で意外なクラスを任され、正直それでも余裕だろうと思っていたのだ。 始まってみるとそれまでは落ち着いていた生徒からの激しい反発、暴言。一人言うことを聞かないことで学級が成立しない。 これまで学んできた理屈、教材、どれだけ洗い直してやり直そうとしてもうまくいかず、周りからもどうして自分

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          誰がケアするのか?

          昨日から娘が熱を出している。 一日中ぐったりとして、テレビをつけながらソファで寝ている。こんなことは滅多にないので、私も大人しく傍で本を読んで過ごしている。 おかげで最近隙を見つけては少しずつ読んでいた本を読み終えることができた。 谷川俊太郎選『永瀬清子詩集』は、これまた若松先生が取り上げていた本だが、正直この厚みの詩集をこれほどスラスラ読めたのは初めてだった。(谷川俊太郎の自選詩集は全部読めていない。) なぜかと思うと、女性としての生活の中で書き続けられた詩が、本当に分か

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          20年

          新紙幣に興味をもっている娘が、前にお札が変わったのは20年前だから、ママは何歳だった…と数えていた。 お札が変わったことは覚えてるけど、それから20年もたつのか。 ではあと20年たったら何歳か、意外とまだまだ生きるな、と思ってしまった。 あと20年も生きたら、というのが長いと思ったのは、自分の一年一年で得るものが案外濃すぎて、あと20年もたったらどうなるん…と途方もないような気がしたからだ。 でもそれよりも、世の中の変わるスピードが速すぎて、あと20年もたつというのがそもそ

          幼少期の終わり

          小学校の高学年頃だったかと思う。 ある日朝起きたら、あぁ、学校に行きたくないな、このまま起きたくないなと思った。 その時何かが変わった、何かが終わったことを感じた。 学校では、声の大きい女子たちに同調しなければならないことが多くなり、自分が楽しいこと、自分が声を発せられる場所はもうほとんどないように感じた。やりたいことではなく、仕方ないからそのように過ごしていることが多くなった。 それまでの私は、自分がやりたいことをして、友達にも受け入れてもらえ、満足だった。自分のことが大好

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          ねじまき鳥クロニクル

          岡真理さんの『ガザとは何か』を読む前に、京大で行われた講演会の映像を週末に見ていた。 気になったのは、「人文学の死」というタイトルだった。 今ガザで起きていることについて、人文学の視点から語ることができないならば人文学研究に何の意味があるのか、というような訴えには切実なものがあった。 全ては繋がっている、ということを人文学の知は教えてくれる。 その言葉を聞いたとき蘇ったのは、去年読んだ村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』だった。 三部作の長編で、ノモンハン事件のことを書いて

          ねじまき鳥クロニクル

          子どもの歌

          卒業シーズンになると思い出す歌がある。 前の学校で、小中合同の卒業式の時に、みんなで「はじめの一歩」という歌を歌っていた。中川ひろたかと新沢としひこの歌だ。 光の差し込む冷たい旧校舎の体育館で、最後にこの歌が流れ、子どもたちが「一歩」という言葉に合わせて足を前に踏み出す時、この瞬間を忘れないだろうという不思議な気持ちが皆を包む。 子どもの頃、中川ひろたかの「トラや帽子店」というバンドが私の住んでいた地域に来て、母が連れて行ってくれた。そのときのCDを今でも持っている。保育園

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          読むと書く

          あなたが「書かなければならない」のなら、書くことを中心にして自らの生活を打ち立てよー 若松先生が紹介していて、昨日買ったリルケの本の言葉が、朝起きた時ふと頭にあった。 やっていられないような日々、やりたいのかよくわからないような生活の中で、書くことを私の生活の中心としたならば。 夫は歌うことを、誰のためにという次元と全く関係のないところで、自らの生そのもののように続けている。評価を求めることなく、途切れることなく、一人で何年も、自分で歌を歌い聴き続けている。 そのようなも

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